日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

風吹く`終戦の日`に

2018-08-15 13:27:21 | 生きること

北面に大きな窓があるが、部屋の入り口が廊下に面していて風が通らない。まあ!そんなものだと考えもしなかったが、新宿の事務所から帰ってきてふと僕の部屋を見たらベッドがない。オヤ!と頭を傾げながらリビング(らしき部屋・苦笑)に入ったら、妻君が部屋を変えたからネ、とのたまう。四畳半の和室に我がベッドが鎮座している。南のリビングから此の部屋の北の窓へ風が抜けていく。どうやって重いベッドを運んだのか!と思わず瞑目。これが此の夏の、秋へ向かう一時(昨日)のできごとでもあった。

 今日8月15日は『終戦の日』。

父がフィリピンで戦死してから73年を経た。

毎年この日を迎えると、父が亡くなった『昭和20年6月17日戦没 行年37才』と記載されている位牌に瞑目することになる。と同時に総理を初めとする有識者と言われる人たちの瞑目言に苦笑せざるを得ない。と繰り返し記載するが、言うまでもなく苦笑では済まされない。

 今朝の朝日新聞の「天声人語」、・・・戦争を知らぬ世代が、日本を戦争のできる国へ造り変えようとしている昨今、戦禍に耐えた世代の直言はひときわ重みが増す・・・とのあとの、武力行使を唱えている人がいてそれを支持する人がいる、という一言にさもありなんとの思いと同時に、彼らは戦争によって利を得たのではないかとの疑念が離れない。

 では僕達に何ができるか、喜寿を経ても、いや喜寿を経たからこそ、そんなことを模索することになるのだろう。

 お宮参りについての父の一言を再録する。父の文字です。

『・・・風が強く・・・ついつい風邪をひかせては・・などと今考えると不必要に心配してとうとうお宮参りをせずに終わった。紘一郎よ、許してくれるだろう・』

 <画像 「吾児の生い立ち」 父が記載した冒頭の一文:小さかった時の鉛筆による僕の落書き、僕の頬が思わず緩む!>

 

 

 



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