「階段と便所の図面が描けるようになると一人前だと言われたんだよね」と、円形校舎の階段を見ながら案内してくれた建築家の松嶋さんが言う。
そうなんだ。僕も先輩に散々いわれたし若き所員にもそう言ってきた。そうか、坂本鹿名夫もそう言ったのか。
でも階段が描けたからといって建築家として一人前だと言うことではない。図面描き、つまりドラフトマンとしてまあ何とかなるなあ、というくらいかとも思う。しかし一方、図面が描けると言うことは、建築がわかってきたということでもある、といまさら言うまでもないことだがこれは結構大切なことだ。
昔は、といってもCADになるほんの数年前までのことなのだが、鉛筆?いや製図用シャープで四苦八苦して描いた図面を、赤鉛筆でぐちゃぐちゃにされてしまう。これはなにも前川國男に限ったことではなかった。こうやって建築の大切さを、建築に関わることの厳しさを叩き込まれたのだが、階段だと言ってもこの螺旋階段を描くのは大変だったと思う。これを描ければ正しく一人前だといいたくなる。
階段を下から見上げることはあまりないことかもしれない。建築基準法で竪穴区画が制度化されてから、三層以上の螺旋階段を見る機会がほとんどなくなった。と言うことはやはり螺旋階段は建築の見せ所だったのかもしれない。ぶきっちょな僕ではスケッチはできてもこの複雑な図面描きに四苦八苦するに違いない。老眼のせいだけではないなあ!と情けないことを思う。
円形校舎の見上げる階段は美しい。円形でなくても微妙なカーブを持った佐世保に建つ白井晟一の親和銀行の階段は、見上げても覗き込んでも建築家の情念が伝わってきて魅せられる。建築家は階段で遊ぶとも言えるが、階段に己を託すのだ。
ある若き建築家(?)はまず模型を作り、それを施工業者に示して図面をかかせ、デザインにこだわって(果たしてそれをデザインと言っていいのか)シャープな建築を作ったそうだ。それが評価されたりしてデビューする。何処かおかしい。図面の描けない設計者も、サポートするほうも、評価して賞を与えるほうも。
いずれは技術を自分のものにして著名建築家になっていくのだろうが、階段一つかけなくたって建築家だとさ!
だから雑誌に取り上げられ、もてはやされても数年しか経たないのに廃墟になるようなことが起こるのだ。勿論多くの建築家は今でも呻吟しながら創っているのだが。
真剣に建築を考えたいものだと螺旋階段を見上げながらこんなことを考えている。
また、高橋氏の著書も是非読んでおかなければとも考えております。実際に「住む」とどのような感想を持つのか。
まずは実現を願っております。
時代が変わっているなあと思います。僕の学生時代、聴竹居の存在も知らなかったし、この建築に問題意識が生まれたのは建築の保存に目が向いてからですからね。そして初めてみたのは、DOCOMOMO20選の展覧会をやることになったときに関西の歴史学者が観に行くと聞き込み、何をさておいてととんで行ったのが最初です。京都の大学にいた娘を連れてね。
石田潤一郎さんなどが来て、僕が東京から来たと聞いて呆れていましたけど・・・その日の午後大阪に行き、住友ビル(DOCOMOMO20選)の前で武田さんという建築家と待ち合わせ、神戸の保存関係の話を聴いたりしました。
聴竹居で調査などをしているA,Matsukumaさんと出会ったのもそのときです。お昼を一緒に食べ意気投合したのです。その後も数多くはありませんけど行く機会がありました。OKもらえることを願っています。感想もお聞きしたいものです。
本日から新学期が始まり、早くもレポート課題4本を義務付け(内2本は聴竹居に関して)、関西行きに備えております。
プレゼンを見ていただいた新3年生の1人は、先行して関西に建築を見に行き、その案内役としてDOCOMOMO選定建築を選んだようです。ポートタワーやその他の建築の話をしておりました。又、来春には彼らの成長した姿を見てあげて下さい。
階段は、大工さんもこれを作れたら認められるところがありますね。学生の中に型枠大工の経験者もいて、彼らと階段談義などしてますが、階段まで作ったことのある子は、優秀です。建築野朗2のS君です。(建築野朗1はI君)