日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

UFOをつくったひと

2011-04-10 17:12:23 | 建築・風景

UFOに住む異星人は、時折僕のブログに登場する小西敏正(宇都宮大学名誉教授)さんと、キルト作家の春江夫人、そしてご子息である。僕たちを迎えてくれたご夫妻は、まずUFOの乗る大正末期に建てられ70年を経た仕舞た屋(シモタヤ)に驚いている僕たちを笑顔で迎え入れてくれた。同行したJIA(日本建築家協会)の保存問題委員会のメンバーもなにやらあっけに取られている。僕はまさしくカルチャーショックを受けていて呆然としていた。

玄関の格子のある引き違いの戸を開けると3尺の廊下があって、右側は台所など、左は二間続きの和室になっている。庭側の障子を開けると縁側(廊下)があり、ガラス戸越に庭が見える。中学時代から20年ほど住んだ叔父の会社の社宅がそんな風だった。小西さんは一昔前には、玄関を入ったすぐ左手に洋間があったんだけどと昔を振り返る。その時代の大きな家にあったぶ厚いカーテンの掛かった異空間・応接間なのだと思った。この大正時代の空間でスイスのミシンを使いこなしながら、味わい深い、そして時代を先取りする新鮮な「キルト作品」が生み出されるのかという驚きもある。

そこへUFOを乗せたのだ。
この2階を改造した6坪の部屋は、1988年の建築誌「ディテール96号」に「瓦屋根に舞い降りたUFO」として紹介されている。
設計して完成するまで1年と記されているが小西ご夫妻によると、考えてから出来上がるまでに15年掛かった、お金がなかったので一人で手づくりをしたから、でも流石に鉄骨でトラス梁を組んだときには建築会社に手伝ってもらったねえと、夫人を見返りながら懐かしげな顔をする。
其れをサポートした春江夫人の笑顔を見ると、やはり異星人か!と溜息が出る。

突然見学に現れた首都大学東京教授の深尾精一さんと互いオヤッと笑顔をかわした。深尾先生(突然先生!)は建築構法の研究者で東大時代の内田祥哉先生の門下生、小西さんとは研究者仲間なのだ。内田先生の秘書をされているのが東京工業大学平井聖先生のご息女ゆかさんで、僕はゆかさんから相談を受けて小笠原邸の保存をサポートしたときに僕と面識が出来た、と深尾さんは言う。言われるとそうだったのかと思うが、何だか親しいのだ。ゆかさんは明大のOG、まあ言ってみれば僕の後輩でもある。
その深尾さんが気になっていたUFOを見るいい機会だと現れたのだ。フーン!世の中は狭い。

小西さんは東京工業大学OBの建築構法の研究者なのだ。そしてJIA(日本建築家協会)の栃木代表を永く務め、学生や市民を巻き込んだ活動をして栃木の建築家を率いた。僕の2代後のJIAの保存問題委員会の委員長でもあった。そしてその研究と活動経験を生かして、各地の地震の調査や支援にも尽力してきた。僕とは長い付き合いだが怒った顔を見たことがない。すぐ顔に出て黙っていられなくなり、すぐ後悔して落ち込む僕とは違って大人だ。

ショックは続く。何故かと彼自身上手く説明できないようだが、ともかくこういう建築をつくってみようと思ったのだろう。若き日の研究の実践体験を試みたのだ。この異空間の居心地のよさ、開口のバランスや周辺自然との関わり方のスケール感が素晴らしい。唸りたくなるほど建築家の家なのだ。

エピソードがある。
戦前、ここに住む一家が東京が恐いと九州に転居するというので、小西さんの父親がここを買い取って住むことにした。そしてあの東京大空襲に見舞われなかった。移転した一家が九州で空爆に遭い東京に逃げてきたので一時2階を仮住まいとして提供したのだと言う。
今回の大震災直後のUFO体験は、様々なことを教えてくれる。
大正生まれの家屋が残っていたからUFOが舞い降りたなどと・・


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2 コメント

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「鷲は舞い降りた」ではなく (moro)
2011-04-16 14:10:00
UFOが舞い降りたのですか。ジャック・ヒギンズもビックリですね!(笑)
24年前のUFO建築…これはもう“ポストモダン”に勝手に認定させて頂きます!(笑)
ターマスマスターに秘密のケチャップのナポリタンの確認をしておきました。(またまた笑)
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ポストモダン! (penkou)
2011-04-22 10:16:54
moroさん
ポストモダンにこだわりますねえ(笑)
鷲ではなくてこりゃなんでしょう!やはりUFO。
あの赤いやつ、ケチャップ、楽しみです。
これを読んだ人は、何のことやらUFOでしょうね(笑)
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