日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

年の瀬に、「塔の家」と「スカイハウス」を想う

2015-12-31 16:39:26 | 建築・風景
気になって、スクラップしておいた朝日新聞の記事を、年の瀬になって改めて読み込む。朝日新聞本社編集委員になった大西若人氏の「視線」という読書欄の一文である。埼玉県立近代美術館などでの展覧会の図録〈監修五十嵐太郎〉を見て気づいたとある。
…菊竹清訓の「スカイハウス」〈58年〉と東孝光の「塔の家」〈66年〉の間に、明確な転換点があるのだ、と氏は断言する。

短絡的に記すと、スカイハウス以前の丹下健三や清家清の住宅は〈中略〉モダニズム建築らしい伸びやかで開かれた空間を実現している。
逆に「塔の家」(以降の図録に収録された建築はほとんどが)は内へと閉じたり、内側で完結したり、都市環境にあがらうように、〈塔の家は〉たった20平方メートル〈6,2坪〉の三角形の敷地に`垂直要塞`のように立つ、と断言する。
つまり氏は、「塔の家」以降の住宅は、(建てられた建築によって様々だが)とにかく内向化していくと述べるのだ。その実例として、写真家村井修氏の小さかったご息女が、外苑西通りに面したこの家の前を歩いている著名な写真が添えられている。

僕はこの二つの建築のDOCOMOMO100選の選定に関わった。

書きながら思い起こすのは、DOCOMOMO Japanの設立時に、林昌二さんや鈴木博之東大教授など主要メンバーと共に、丘陵地に建つスカイハウスを見学した後すぐ側にあった菊竹事務所を訪ねた。菊竹さんは林昌二さんがいることに感銘を受けたようで、林先生までお越しいただいて!と恐縮され、にこやかに皆と一緒に記念写真に納まった。
そしてそのときの菊竹さんが、近くに高層マンションが建ってしまって!部屋からの眺めが変わってしまったとぼやかれたことなどが妙に懐かしく思い浮かぶ。

気になって、確認のためにDVDに収録した「日本のモダン建築100選 -20世紀の文化遺産を訪ねて(企画・製作JIC)―という、あるTVで放映されたDVDを久し振りに取り出した。

このDVDは、鈴木博之教授(DOCOMOMO Japan 代表)と、幹事長を担った僕の二人で鎌倉の近美〈神奈川県立近代美術館 鎌倉〉へ出向き、その前庭で、DOCOMOMOで選定した東京に建つ建築と近郊の建築8つを取り上げて(主として)、その建つ姿を思い起こしながら語り合ったことを、その建築の画像などを取り込んでDVDに収録してくれたものだ。
このやり取りを汲み取り、現地を取材し、ことに東孝光さんの自邸「塔の家」と、林昌二さんの三愛ドリームセンターは、お二人のコメントを収録して心に残るメッセージを伝えてくれる見事な構成をしてくれた建築談義である。

<余話>許可を得て、パナソニック汐留ミュージアムで開催した「DOCOMOMO100選展」では、会場前のロビーでこの番組のDVDを放映して、大勢の人に楽しんでもらったものだ。

そこで東孝光さんは、「塔の家」で奥様同伴でこう述べている。
『窓から社会に繋がっている。壁で囲って世界を閉じるのではなく、社会と共に生きていく。その続きの中で、住む人、家内とか大きくなっていく娘ととか、大勢で生きていくその最後のところで暮らしていく。住む人が生きていく。人への思いやりとか、フローとか、 (吹き抜けから差してくる陽の移り変わりを楽しみながら) 気配を確かめつつ ・・・』。

僕は何度も「塔の家」を訪ね、東さんの都市との交流を味わってきた。
さて、では大西若人氏はこの東さんの論考(生活観)をどう捉えているのだろうか!

あと数時間で新しい年を迎える。
書きながら想い起こすのは、この拙稿に登場いただいた、菊竹清訓さん、鈴木博之さん、林昌二さん、そして東孝光さんも今年の6月に亡くなられた。
何時までも僕の心の傷みが消えない。むしろ増幅していくのに戸惑う年の瀬である。

<写真 塔の家>