戯れ句をひとつ
白鷺の 立ちつくす先 なにがある
3・11。晴天、澄みきった青空の朝。いつもより30分早いロマンスカーEXEに乗って窓から見た相模川。仲間から離れて一羽の白鷺が、浅瀬に立ちつくしてる。何事もない朝だ。
売店で買った毎日新聞を開いてさっとめくる。東京本社に居た親しい記者が想いがあって入社時の赴任地「盛岡」支局へ転勤依頼をしていってしまった。3・11を自分の目でみて考えたいのだと、嘗て僕のことを書いてくれた記者Kさんが、しょうがない人ねえ!といった面持ちでつぶやいた。最近の大方の新聞記事には署名がなされているが、この朝の新聞には彼女の名前はない。
柔らかい文体だが鋭い論考による3・11に触れた「余禄」が眼に留まった。我が家の朝日の「天声人語」は時折お説教くさくて辟易することがないでもないが、さてこの余禄は!
持ち歩いているリュックサックから沖縄の作家大城立裕の短編集「普天間よ」(新潮社2011)を取り出した。僕は3・11と沖縄が重なるのだ。
そして、いきなり冒頭の「夏草」に引きずり込まれた。
晴天の沖縄戦、死体の群がる戦火の夏草の中を手榴弾を持って夫婦での逃避行、人の生きることはこのように生々しいのかとその筆致に打たれた。
「カクテル・パーティ」で芥川賞を得た大城立裕は1925年生まれで89歳。氏の瑞々しい描写に心を揺さぶられて初出を見たら1993年の中央公論の別冊、それでも68歳のときの作品である。
そして80代後半になった3年前に書き下ろした、やはり沖縄戦を見据えた「普天間よ」。あとがきで、戦闘体験がないが沖縄で作家になると『戦争は避けては通れないだろうなと思った』と記す。
事務所について仙台の小岩勉さんに電話をした。
3・11.僕が小岩勉と出合った、3・11に触れながら「女川海物語」をこのブログに書いたからだ。
いつもと変わらない朝、話はあの大雪でトンネルに閉じ込められて大学の講義に行けず、帰るのに苦労した話から始まり、それもまた沖縄行きで飛行機が欠航となって困った僕の困惑と重なった。小岩の住む
古屋は倒壊は免れたが雨漏りが直らないという。そして今の東北、東京オリンピック招致の余波で資材や工費が高騰、何故オリンピックなのかと、その話で持ちきりだという一言に感じるものがある。
pm、3:00.何事も起こらず新宿界隈は静かだ。
翌 3・12の毎日新聞。「悔しいでも前へ 東日本大震災3年」というトップ記事、連記だが彼女の名前があった。頑張っている。そしてもう一人の記者Kさんが、「ハッセルブラッド国際写真賞」を受賞した写真家石内都さんを紹介した。
白鷺の 立ちつくす先 なにがある
3・11。晴天、澄みきった青空の朝。いつもより30分早いロマンスカーEXEに乗って窓から見た相模川。仲間から離れて一羽の白鷺が、浅瀬に立ちつくしてる。何事もない朝だ。
売店で買った毎日新聞を開いてさっとめくる。東京本社に居た親しい記者が想いがあって入社時の赴任地「盛岡」支局へ転勤依頼をしていってしまった。3・11を自分の目でみて考えたいのだと、嘗て僕のことを書いてくれた記者Kさんが、しょうがない人ねえ!といった面持ちでつぶやいた。最近の大方の新聞記事には署名がなされているが、この朝の新聞には彼女の名前はない。
柔らかい文体だが鋭い論考による3・11に触れた「余禄」が眼に留まった。我が家の朝日の「天声人語」は時折お説教くさくて辟易することがないでもないが、さてこの余禄は!
持ち歩いているリュックサックから沖縄の作家大城立裕の短編集「普天間よ」(新潮社2011)を取り出した。僕は3・11と沖縄が重なるのだ。
そして、いきなり冒頭の「夏草」に引きずり込まれた。
晴天の沖縄戦、死体の群がる戦火の夏草の中を手榴弾を持って夫婦での逃避行、人の生きることはこのように生々しいのかとその筆致に打たれた。
「カクテル・パーティ」で芥川賞を得た大城立裕は1925年生まれで89歳。氏の瑞々しい描写に心を揺さぶられて初出を見たら1993年の中央公論の別冊、それでも68歳のときの作品である。
そして80代後半になった3年前に書き下ろした、やはり沖縄戦を見据えた「普天間よ」。あとがきで、戦闘体験がないが沖縄で作家になると『戦争は避けては通れないだろうなと思った』と記す。
事務所について仙台の小岩勉さんに電話をした。
3・11.僕が小岩勉と出合った、3・11に触れながら「女川海物語」をこのブログに書いたからだ。
いつもと変わらない朝、話はあの大雪でトンネルに閉じ込められて大学の講義に行けず、帰るのに苦労した話から始まり、それもまた沖縄行きで飛行機が欠航となって困った僕の困惑と重なった。小岩の住む
古屋は倒壊は免れたが雨漏りが直らないという。そして今の東北、東京オリンピック招致の余波で資材や工費が高騰、何故オリンピックなのかと、その話で持ちきりだという一言に感じるものがある。
pm、3:00.何事も起こらず新宿界隈は静かだ。
翌 3・12の毎日新聞。「悔しいでも前へ 東日本大震災3年」というトップ記事、連記だが彼女の名前があった。頑張っている。そしてもう一人の記者Kさんが、「ハッセルブラッド国際写真賞」を受賞した写真家石内都さんを紹介した。