日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

ピート・シーガーの時代

2014-03-01 21:51:45 | 日々・音楽・BOOK
ほぼ一月前になる1月29日、アメリカのフォークソングの育ての親といわれる「ピート・シーガー」がニューヨークの病院で亡くなった。94歳だった。

ピート・シーガーの歌った「花はどこへいった」と「WE SHARU OVERCOME」(勝利は我らに)は口ずさむことが出来るくらい聴き込んだが、ピート・シーガーの歌を意識して聴いたという記憶はない。しかし訃報を聞いて瞬時に浮んだのは、公民権運動や環境問題に尽力した社会活動家としての氏の名前だ。同時に、JAZZに魅かれながらもジョーン・バエズやジュディ・コリンズそしてP・P・Mを聴きこんだ60年代の後半の我が青春を思う。そしてピート・シーガーのつくった歌を唄った多くのミュージシャンも、その歌とともに、ピート・シーガーのミュージシャンとしての志に魅せられていたということだ。

「花はどこへいった」はおそらくP・P・Mの歌を聴いて僕の中に留まっているのだと思う。そして大阪万博の広場で、アメリカから来た(P・P・M的な)フォークグループのコンサートをのんびりと聴いたことを、44年も前のことになるのに、つい最近のことのように思い出す。

改めてピート・シーガーの歌をしっかりと聴いてみたくなって図書館に行った。図書館ではCDの貸し出しもしているからだ。そして借りてきたのはジム・マッセルマン(アップルレコードの社長)がプロデユースした2枚組みの「The Songs of Pete Seeger」(アメリカのアップルシードの原版)である。

このCDは、ピート・シーガーが歌ってきた歌を、ピートの示唆を受けてジム・マッセルマンが選曲し、様々な歌手やグループによって歌い演奏したもので、1枚目の冒頭は「花はどこへいった」だ。トミー・サンズとドロレス・ケーンがオヤ!と思うほどゆったりとつぶやくようにうたい、それを支えるバックも少女たちによるコーラスものんびりと心を込めて二人に同化している。聴く僕は「天使のハンマー」と一枚目の最後の「ウイモウウエ」のウインドウエックと繰り返すそのバックコーラスに何故か会場(スタジオのはずなのに)から拍手が起こる様に、思わず身を躍らせてしまうのだ。

2枚目は、「WE SHARU OVERCOME」を、ブルース・スプリングステイーンがしっとりと歌って始まり、3曲目にジュディ・コリンズが「金の糸」を明るいキレイな声で切々と歌い上げていて惹き込まれた。どの歌手も、ブルース・スプリングステイーンも声を張り上げずに自分の思いを内に秘めて歌い、聴く僕の心に浸み込んで来る。

ピート・シーガーは、非暴力活動を表明して唄ってきたが、非暴力とはこういうことなのだ。だから大勢の歌手をひきつけて世界に伝わっていったのだろう。
アルバムの最後は、ピート・シーガーがここでが歌うただ一つの曲「私は未だ模索中」である。