日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

沖縄:聖クララ教会のコンサート:大雪

2014-02-17 14:15:18 | 沖縄考

2回に渡った大雪(吹雪)に翻弄された。

9日(日)からの沖縄行きが欠航となったが、朝のネットを見ていたら二つの便に空席があると表示されたので、1時間半をかけても羽田に行ってみることにした。この夜のJAZZクラブ「寓話」での、津嘉山さんのドラミングを聴きたかったのと、いつも同伴される奥様との会話も楽しみだからだ。
空港で受付カウンターまでたどり着くのに2時間立ち並んだが、200人程の待機者があってすげなくOUT。それでも翌朝の第2便を予約してくれて、空割希望と書き添えてくれた。

沖縄も寒く、着ていったダウンのコートにマフラーが離せない。
そして帰京した翌日14日と15日の大雪、JIAの諏訪地方で行う「保存問題長野大会」(保存問題委員会主催)もあえなくダウン。実行委員長丸山幸弘に電話をしたら雪が60センチも積もって身動きができないとのことで、1年かけて準備してきたことが霧散する自然界の戯れに、不条理というコトバが頭をかすめる。

長時間歩くことに躊躇する昨今だが、晴天になった昨日、車に積もった雪を落とすためにバケツと塵取りを持って行った駐車場には、数名の人が雪かきをやっている。結局3時間も腰をかがめて雪運びをする羽目になった。
息は切らしたがまあ俺もまだ大丈夫だと奇妙に得心、一夜明けた今、事務所でこの一文をしたためている。腰が痛いしバケツを持った右手の親指が腫れあがってしまった。とは言え、常日頃、両手のばね指に悩まされているのに、まあ俺もまだ大丈夫だとなんとなく自信が湧いてくる。

今年の沖縄行きは(沖縄紀行と言いたくなるが)東大名誉教授の原広司に学び、平和祈念資料館を設計、「沖縄少年会館(久茂地公民館)」の保存に尽力した建築家福村俊治へのヒヤリング、聖クララ教会でのコンサートに参加、5月に行う予定の「那覇市民会館」存続に向けてのシンポジウムの下相談、そしてそこにも関わってもらいたい陶芸家大嶺實清を根路銘さんと一緒に訪ねて、持参した三つの茶碗の箱書きをしてもらう。そして、ある意味(後日書き記したい)「生きること」への薫陶を得ることになった。

聖クララ教会のコンサートは、建築士会島尻支部の主催で今年で第8回。僕は3回目。今年は子供を連れた家族などで聖堂がいっぱいとなり、床に膝を抱えて座り込む人が出る盛況となった。
日本を代表するモダニズム建築の一つとしてDOCOMOMOで選定したことなどを紹介してほしいと、このコンサートを企画実現させてきた建築家根路銘さんに頼まれ、また今年も!と言われるのではないかと思ったものの、僕の口から自然に出てきたのはやはり鈴木博之DOCOMOMO前代表の訃報報告だった。

演奏の後半は、沖縄のこの地で行われる与那原綱引き歌を、コンサートのリーダー、バイオリニストの海勢頭愛の父、豊の編曲による沖縄音階に集まった聴衆の息使いが変わるのを感じ、豊氏の作曲した「遥かなる南の海」に、沖縄に来たのだと胸が熱くなった。

終演後、何度も会っている女性の建築ジャーナリストと立ち話。問われたのはやはり鈴木博之教授のことだった。5月のシンポ構成がまとまらなかったのは代わる人がいないからだと言いかけて、ふと思った。そして肩に手を置いて「代わる人っていないのだよ!あなたもそうだよ!」 <文中敬称略>