日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

塩野七生の「真夏の夜のジャズ」

2014-02-01 14:38:55 | 日々・音楽・BOOK
二つの建築誌に、写真とエッセイによる連載をしているからだとも言えないが、エッセイを読むことに僕はとっ捉まえられている。
無論、妻君が図書館から借りてくる宇佐江真理の「髪結い伊佐地捕り物余話」などの小説にものめりこみ、昨秋出版された12弾「名もなき日々を」には思わず涙ぐんだりしたが、僕の本棚には、吉行淳之介や開高健、沢木耕太郎など三氏の文庫本がひっそりと並んでいて、何度でも読んでくれと僕に呼びかけてくる。
そこに、イタリアの歴史と関わる人を主題として論考する「塩野七生」の本が加わりそうだ。と改めて思ったのは、18年前に出版され2年後に文庫化(新潮文庫)された塩野七生『人びとのかたち』を読み進めていて唸っているからだ。

このエッセイは見た『映画』を題材にして、人を、つまりはご自身を描いているのである。エッセイを書くということはそういうことだ。
つい最近会った僕のエッセイを読んだ建築家からもズバリ指摘された。だから(多分)人は文章・エッセイを書くのだろう。

ところで著作に、「あとがき」とか「解説」があれば、また「はじめに」という一文が添えられていればさっと眼を通してから本文に入るのが僕の流儀だが、この川本三郎の書いた「人びとのかたち」の解説を読み始めたら、「真夏の夜のジャズ」を塩野七生は映画館で12回も見たと書いてある。
この一節で僕の想いは遥か五十数年前になる若き日の僕と、ヨットハーバーの光景や波を切って大西洋を走るヨットの姿と共に、それを支えるような「ジミー・ジェフリー・スリー」の軽やかなスイングジャズの音が響き渡ってくるのだ。

僕のジャズは、中学3年か高校生になったばかりの時のラジオから流れてきたジャック・ティーガーデンによるデキシーに始まるが、僕の書棚の下部にチコ・ハミルトンのLPがあるのも、この真夏の夜のジャズでの演奏を聴いたからかもしれない。セロニアス・モンクはもしかしたら、スタンスは違うとはいえ、後年銀座のライブハウス「ジャンク」ではまった菊池雅章に繋がったのかもしれない。この映画は僕のJAZZの原風景なのだ。
塩野の描くアームストロングやジョージ・シアリング、ダイナ・ワシントンそして静かに黒人霊歌を歌うマヘリヤ・ジャクソン!ああ、あの時代の!

「あの時代のアメリカは幸福だった」と塩野は回顧する。
「酔うのに、ジャズとジンジャーエールとタバコだけで十分だった。麻薬もヴェトナムもエイズもまだなかった。ケネディが大統領に就任したのは1961年・・・ヴェトナム戦争が始まったのは1963年だっただろうか・・・・」
そしてこのエッセイをこう締めくくる。「(ドレス姿の観客の)イミテーション・ジュエリーのチカチカしていた時代のアメリカが、今の私には限りなくなつかしい・・・」

僕は今年の5月に、JAZZに触れ始めて今の僕を培った高校時代の同窓会を行う。僕より少し歳が上だがお茶目な塩野の慨嘆に胸が熱くなる。このエッセイを書いたのは1996年、僕が56歳のとき、そのときの僕は何を考えていたのかと18年前を思いやるのだ・・・

ところでこのブログを書いている僕の聴いている曲は、JAZZではなく、リヒテルの弾くバッハの平均律クラビヤ曲集第1巻である。何故かこの論考にふさわしいのだ。

ところで、塩野のこの一文のタイトルは「失われた時を求めて」である。