日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

東北を・・(9)ベイシーの菅原正二と石山修武

2012-12-09 12:28:55 | 東北考
4年前になる2008年、石山修武(早稲田大学教授)の建築展「建築が見る夢」が世田谷美術館で行われた。発刊されたカタログ編で、鈴木博之は建築学会賞を得た気仙沼のリアス・アーク美術館(1994)に触れ、こう書く。
「新しいエポックを開いた」と建築家としての軌跡を捉えたうえで、「仙台で一緒に仕事をしたときにコーヒーでも飲んで帰ろうというのでついていくと、彼は仙台から一関のベイシーまでコーヒーを飲みに行くのであった」。そして「このくらいの距離感は、彼にはなんでもないとないらしい」と鬼才の一端を披露する。

さらに付け加えると、石山は二冊組のもう一冊の石山自身の書く「物語編」では『ジャズ喫茶ベイシー物語・音の神殿計画』という一項目を設けた。そこで率直に書く。「オーディオマニアでもなく、モダーン・ジャズ・フアンでもないが、それでもベイシーなのは、菅原正二という人間に深い興味を抱くからなのだ」と。

いつの頃からだろうか僕は、「ベイシー」の存在を知っていた。だがこの東北巡りでベイシーに行こうと思ったのは、この鈴木博之さんの一文を目にしたからである。
それはつまり、何故鈴木博之が石山に惹かれ、しかも難波和彦との3人組で、石山のブログというかHPでやり取りをしているのかという好奇心を解き明かしたいという想いがあった。

そしてもう一つ、新婚旅行で東北を巡ったときの列車で、カーメン・マックレイ+カウント・ベイシーの一団と乗り合わせたことを思い出していたからでもある。
一関のベイシーは、そのカウント・ベイシーのベイシーである。

登米の後小岩さんに案内してもらい、震災修復がなされて一部を開館していたリアス・アーク美術館を訪ねた。ベイシーを訪ねる前日である。菅原さんに会うための前段でもある。
美術館は気仙沼市街地からやや距離を置いた丘陵地に埋め込まれていて、ジュラルミンという鋼体が樹木や開かれた傾斜地に存在していて自然環境との違和感がなく、当たり前のように建っているのが当たり前なのだった。(この項続く)