日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

東北を・・(4) 風土と前川國男の福島教育会館

2012-10-14 14:12:11 | 東北考

講堂の天井が落ち、外壁の一部が被災したという、既に56年前にもなる1956年に建てられた「福島教育会館」を見ておきたいというのもこの度の目的の一つだった。
この建築については、数多くの写真や解説文によって解っているような気がしているものの、福島市に横たわる大河阿武隈川や周辺の山並みとの対比についての記述を読んだ記憶がなく気になっていた。
それともう一つ、建築家前川國男が組織しこの建築を設計をした「ミド同人」の存在である。例えば前川の代表作の一つ神奈川県立図書館・音楽堂とこの建築の何がどう違うのかと気になっていた。ミド同人には前川自身も名を連ねているからだ。

DOCOMOMO100選に選定したこの建築を、前川事務所のOBで京都工業繊維大の松隈洋教授は100選展のカタログでこう述べる。
「阿武隈沿いに建てられた講堂や会議室からなる教育文化施設。火災によって消失した木造の旧館の再建を願う教職員の寄付によって、厳しい予算の中で建設された。そのため、建物は、当時高価だった鉄骨を一切使わずに、波打つ形のシェル構造の屋根と折板のジグザグな壁とを組み合わせた大胆な鉄筋コンクリート構造で建てられ、独特な外観が生み出されている」。そして「・・・簡素で骨太な建築が目指された」とある。

この解説文が興味深いのは、終戦後11年しか経っていない復興時期の鉄骨がコンクリートでつくるよりも高価だという社会状況が読み取れることと、僕には異論のある「骨太な建築」という一言である。更に`独特な外観`としかない記述が気になる。

講堂の屋根の緩やかに波打つシェルは、阿武隈川を挟んだ山並みと呼応していると僕は感じる。時代の先端を行くという戦後のモダニズム建築風潮の中で、前川は短絡的そう述べることを意識的にしなかったのではないか。そういう時代だったのだと僕は考えるのだ。

そして駐車場になっている前庭から見るこの建築は、コンクリートの壁によって内部空間が塞がれているが、ロビーに入ると、打ち放しコンクリートによる細い柱が林立している横浜の「神奈川県立図書館・音楽堂」と類似しており、それを見て何故「骨太な」と表現するのかよくわからない。前川の風貌やある種の建築の重量感から前川の建築が骨骨太だと言うイメージ構成がなされているが、意外に軽やかな空間構成がなされていてそこが僕は好きなのだ、

さて「ミド同人」。
事実検証をしないまま、勝手な憶測を書いてみる。

アントニン・レーモンドの「夏の家」はよく知られている。夏になると軽井沢の夏の家に、気に入った所員を連れて立てこもって設計に没頭した。これに類したいきさつは松家仁之氏のデビュー作「火山のふもとで」と言う小説に(新潮2012年7月号)レーモンドに学んだ吉村順三と思われる建築家に置き換えて描かれている。こういう書き方が許されるのかと気になるが、気に入った建築家を引き連れて構成したのがミド同人なのではないかという憶測である。

戦後の社会構造の中での前川の本物の建築をつくりたいという思いの、建築の造り方の仕組みへの試行錯誤といってもいいのではないだろうか?

敬老の日という休日に講堂(ホール)の照明をつけて撮影をさせてくれた職員は、地震で痛んだ外壁の一部をALC板で応急措置をした経緯を説明してくれたが、ともあれは福島市の外れに建つこの建築は、風土との呼応を表現し難い戦後直後の建築界の様相や、前川という日本の建築を率いた建築家の一段面を僕たちに突きつけているのだ。

<写真 左奥に小さく見え隠れしている白い建築が、福島教育会館。右手に阿武隈川>