日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

「東北を・・」(3)僕が生きていることを考えている

2012-10-07 22:24:59 | 東北考

高校の同級生西田が亡くなったとメールが来た。
瞬時にスリムで背の高い目鼻立ちのしっかりした彼の笑顔が浮ぶ。葬儀では、S33年卒同級生一同から献花がなされたと、そしてグループを作って活躍していた彼の歌う声を聴きたかったと付記がある。
僕はこの一文を’つま恋’で行われたapbankフェス12をNHKBSプレミアムで観、JUJUや小田和正たちの唄と、身体を震わせる聴衆たち見ながら感慨を覚えて書いている。
そして9月の末に仙台に行ったときに、建築家針生承一の設計した´七ヶ浜国際村´の人工池に浮ぶ舞台での仙台ベンチャーズの熱演を、のんびりと飲み食いし、談笑しながら聴いていて、心に響くと拍手を送る大勢の若者たちの楽しそうな姿を同時に思い浮かべている。
西田はこういう世界で生きてきたのではないかと思ったりしているのだ。二世代も違う若者とともに! 彼は自分の来し方を見ていたのかもしれないとも思う。心からご冥福を祈ります。
そして僕はいま、つま恋や七ヶ浜の若者たちを思いながら、秋の夜、僕が生きていることを考えている。

10月1日に行ったシンポジウム(9月28日に記載)での増田一真氏は、構造家であるとともに木造構法研究の先駆者でもある。
氏は日本の木材の資源の枯渇に危惧を憶えて、安く手に入る細い間伐材を組み合わせた木造建築を造って来た数多くの事例を、朴訥とした語り口で紹介しながら、それが枯渇していく資源の保護になることを多くの人に知ってもらいたいと述べる。78歳になるその穏やかな笑顔にぐっと来た。

中村文美氏は、既に歴史を刻んできたといってもいい京都会館の一部改築問題などとともに、間伐材を使って組み立てた東北被災地の仮設住宅を取り上げ、人が住む肌触りやコミュニティに触れながら、建築家の仕事の可能性に言及した。
僕は実は進行役を勤めながらその事例に共感しながらも、1年半経っても仮設に住まなくてはいけない、そしてその先が見えてこない現実に目を奪われるのだと述べてしまう。小岩さんに案内してもらって垣間見た、夏は暑くて冬は寒く、閉ざされているプレハブ仮設住宅の存在にいう言葉がないのである。

小岩勉氏のコトバは、別項目を設けて考えたいが、「女川1988-1991そして2011」と題するモノクロによる写真展示は、賑やかな数多くのアクティヴな展示の多い中で、その一角がひっそりとしていて別空間のような空気が漂っていた。
既に女川原発が存在していた20年前の女川村落のごく普通に見える人々の日常の暮らしが捉えられている。
「そして2011」。津波被災の後のこの2点の写真の一枚、線路が錆びていて、プラットフォームに腰掛けて談笑している女子高生たちや、線路を歩いている学生たちの姿がごく当たり前の日常光景に見えてしまう。それが現実だと言うことに気が付いて、一瞬黙さざるを得ない。