日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

喪われたレーモンド建築―東京女子大学東寮・体育館 <工作舎刊>の発行

2012-05-26 16:28:25 | 建築・風景

リベラル・アーツという言葉がある。新渡戸稲造、安井てつ、そしてA.Kライシャワーなど東京女子大学(親しみを込めて東女―とんじょ―といいたい)の創設を担った人々の、自由な発想による知性に満ちた女子大生を育てたいという創設者の建学の精神を表した言葉だ。

アントニン・レーモンドのキャンパス計画と建築群による東京杉並区の東女善福寺キャンパスは、この精神を「建築家」として受け止めて建てた「東西寮」「外国人教師館」「西校舎」「体育館」の4棟が1924年に竣工し、発足した。

レーモンドは帝国ホテルを建てるために1919年に来日したF・L・ライトの弟子として同行したが1年後に独立、この4棟の竣工時では若干33歳だったことを思う時、33歳の僕はなにをしていたのだろうかと考えた。仕事をするためには生活の拠点が大切だと考えて妻君と一緒になったのだった。
僕は僕なりに建築を仕事とするのだと決断したともいえる。

すぐに第一次オイルショックに見舞われて大変なことになったが、それはさておき、この建築群は、レーモンドの出身地チェコのチェコキュビズムやライトの影響が色濃く残っていて建築家としての僕の造詣感覚が痛く刺激されるのだが、建築界におけるレーモンドの位置づけを考えると建築史的にも貴重な資産なのだ。日本の建築界にとっても社会にとっても、さらに世界の視点からも!
失くしてはいけない。

しかし、この度工作舎から発刊された「喪われたレーモンド建築―東京女子大学東寮・体育館」<東京女子大学レーモンド建築 東寮・体育館を活かす会(の保存活動記録)>を読み進めていくうちに、これらの建築群にはこの建築を使い続けてきた教師やOGそして現役の学生達々の綿々たる想いが込められていることこそ、何にも替えがたい宝物なのだという思いに駆られるのである。それが「リベラル・アーツ」なのだ。
レーモンドという屈指の建築家がいてのことだが、彼らの行動力に裏付けられた知性と人が生きていく上では欠かせない(と僕が思っている)豊穣な意志の強さと限りない優しさは、これらの建築を超えてしまっている。

壊されてしまった「東寮(西寮は既になくなっていた)」と「体育館(旧体育館)」の保存活動を大勢の教師やOGとともにやってきて僕が得たのは「人が生きること」の「知性」。そういうことだ。

東女のOG10名の記念刊行グループ(編集者)によって取りまとめられたこの「保存活動の記録本」は、ハードカバーのA5変型判という手に取りやすく302ページというさほど厚くないのにずしりと重い。リベラル・アーツが生き生きと息づいているからだろう。
ぎっしりと埋まった文字の数が膨大で、文字の一字一字に重量があるのかと一瞬考えてしまうが、その一つ一つに、東女の東寮(東稜)と旧体(旧体育館)への、OGや在校生、教員やこの建築を残したいと尽力した建築家など大勢の人々の思いがこもっているからだと考えると、ちょっとたじろぐ。

僕は永井路子さんとともに特別寄稿させていただいた。
タイトルは「不条理と闘う考:人と建築を考える」である。
`リベラル・アーツ`という言葉は使ってはいないものの、この一文に僕の全てを記した。そこでも「たじろぐ」という言葉を使っている。永井さんの「たとえ壊されたとしても、運動をしたという事実が大切です。それが歴史をつくるという事です」という一節に対して。

明5月27日、この記録本の出版を記念して会合がなされるが、永井路子さんなどとともに一言述べてほしいと依頼されている。言わずもがなだが、ちょっと`たじろいで`いるのである。

<「喪われたレーモンド建築 東京女子大学東寮・体育館」 工作舎刊:定価本体2400円+税>