30年前の顔が写っている。
鋳物のまち川口。おかめ市の夜店に集う人々、恋する男女がいて子供がいる。運動会の一日があって、鋳物工場の男たちが漆黒のモノクロ6×6の誌面から僕を見ている。どこかで見た顔だ。
写真家飯田鉄さんの写真と、美術評論家寺田侑さんの文を組み合わせた「まちの呼吸」(冬青社刊)は、僕たちの心の奥に宿っていた懐かしい記憶を呼び起こす。そしてちょっとたじろぐのは、もしかしたらこれは過去の出来事なのだろうか、僕たちはこの時代を失ってしまったのだろうかと不安になるからだ。
飯田鉄さんも寺田侑さんも、戦後すぐ、似たような時期にこの町で少年時代を過した。飯田さんの写真はその町を1970年代から80年代の半ばまでの7・8年間に撮ったもの、寺田さんの文は1985年に書かれた50年代の記憶。同様のものは2度と書けないと寺田さんは言う。
興味深いのは、写真と文が違うシチュエーションで構成されていることだ。
たとえば、射的場で男が景品を狙っているさまを子供たちが見詰めている写真と組み合わされた文のタイトルは「雪と決闘」。寺田さんの文は、雪の玉を申し訳程度に投げ合って、すぐに終わった雪合戦のさまだ。その組み合わせがしっくりと溶け合っている。
この本の寺田さんの文は、このような不思議な取りとめもない、何事もおきないおかしな雪合戦のようなものだが、人の生きるって事はそんなことかもしれないとふと思わせる。
その寺田さんは、川口は二人にとって懐かしい町だけど、二人だけのものにはしたくないという心意気がこの本の素になっていると書いた。
それは、この本にメッセージを送った作家関川夏央の「飯田鉄の写真には、さわやかな無常感が伴う」そして「うつろっていくものへの愛情とあきらめ、そういってもいい」という一文にふと考え込む僕たちへの,二人の問いかけでもあるのだ。
飯田さんを信じて微笑んでいる鋳物工場の男の顔を見て、いやそうではない、僕はこういう顔を知っているといいたくなった。
つい最近、僕が述べる建築保存論を食い入るように聞いていた、修士論文をまとめている女子学生の顔を僕は今思い出している。
<「まちの呼吸」冬青社2007年11月20日発行>