日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

韓国建築便り(5) 建物が歴史になって近代を語る「仁川開港場近代建築博物館」

2007-12-08 23:06:18 | 韓国建築への旅

仁川(インチョン)という港町がある。ソウルからおおよそ西へ45キロ、漢江河口に開かれた町だ。釜山に次ぐ第二の港町だというが、かつての租界を思い起こさせ、そこはかとない風情を感じる。チャイナタウンがあり、日本人の住んだ街区が残っているからだ。

この町の中心に、「開港場近代建築博物館」が建っている。
尹先生を中心としたチームが町の近代建築調査を行い、朽ちかけていた「日本18銀行」を改修して近代建築博物館として蘇らせたのだ。
傷んでいた屋根の小屋組みに手を入れるとき、建設時の木組みを考察し、オーセンティシティ(原初性)を大切にして、どの部材を残しどれを取り替えるかを検証した。その有様を伝えることも大切なことではないかという、僕の問題意識と共通したところがあり、話しが弾む。
結局天井を張らずに修復した小屋組みを見せるようにした。

ゾーンは三つに別れている。第二ZONEには、オーセンティシティを検証した仁川に現存する8棟の近代建築が、写真や資料によって展示されており、韓国戦争で焼却された3棟が模型によって併せて紹介されている。
この館内第二ZONEのタイトルは、先生の想いがふつふつと湧き上がってくる「建物が歴史になって近代を語る」。

第一ゾーンは、鎖国のあった19世紀の開港時の時代状況と、ソウルー仁川間の鉄道開設など近代化が始まった様が、`ジェムルポが開ける`として紹介されている。(「ジェムルポ条約」と書かれているが、韓国の歴史に疎いので残念ながらうまく説明できない)
第三ZONEは開港期、清国、米国、日本、英国による租界の設置と、1910年の日本統治によって租界を一括廃止して、仁川府管轄行政区域に編入される経緯が、写真や資料によって展示されている。

尹先生が僕と意見交換したかったのは、韓国戦争で焼却した1905年にイギリスのジェームスジョントンが建てた夏の別荘だ。残されていた写真などを参照し、学生を指導して作った模型が展示されている。
この建築を、市長が観光政策の目玉として、丘の上に復元しようとしたことに猛反対して取りやめさせた。
図面がなく、正面を撮った写真を参照して模型は作ったが、建てるとなると想定復元になってオーセンティシテイが問題になる。建っていたところには既に他の建築が建っている。場所も替わる。つまり「歴史の捏造」になるという認識だ。

宇治平等院の前庭にある池に橋が掛かった。無論図面はなく資料もない。ただ文書にかつて橋があったとの記載だけでの想定復元(復元ともいえないと僕は思う)に抗議して鈴木博之教授は委員を退いたそうだが、僕の問題意識も一緒だ。嘘はつきたくない。尹先生と共通認識の確認がなされ、お互いの信頼感が深まってくるのを感じる。

日が落ちた。街に灯りがともる。かつての日本人街は街灯の光の中でひっそりと佇んでいるが、チャイナタウンはネオンやライトアップされた看板でにぎやかだ。尹先生の運転する車は、ゆるゆるとチャイナタウンを通り抜ける。
「建物が歴史になって近代を語る」。そうなのだ。よい町だ。
この町は、韓国の近代史を刻んでいる。

<写真 左チャイナタウン 右「開港場近代建築博物館」 この美術館展示には日本語表記があるし、パンフレットも日本語版があって、近代建築マップが記載されているのがうれしい>