日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

馬琴先生の次郎長と、さん八師匠の昭和天皇

2007-12-17 11:15:14 | 日々・音楽・BOOK
 
マイクを持って世話人を代表して立ち上がった。12月11日、鰻の老舗、上野不忍池の畔、池之端「伊豆栄本店」の大座敷だ。
「いつも同じことを申し上げますが、月日のたつのは早いもので、あっという間に師走になりました」。毎度申し上げることでござんすが、と僕は一度言ってみたいと思うのだが、気恥ずかしくて今回も言えない。

「この宝井馬琴師匠(先生)の会も、回を重ねて28回目、年に2回の開催、なんと14年たちました。僕たちも14歳年を取り、お互いにいい年になりましたが、今日は僕たちの母校明大空手部の、若き現役女子学生が3人もきてくれました」。
ホーというどよめきが起こり、座敷一杯の七十数名の眼が一斉に学生に向かう。可愛い学生も物怖せず、誇らしげだ。皆ニコニコしている。

「今日の馬琴師匠の演目は`鉄舟と次郎長`です。馬琴師匠の故郷、清水の次郎長は、晩年になって、地元の人々の為に意を尽くし、義侠とも言われるようになったのですが、この岡本綺堂原作による物語を読み揚げていただきます」
講談界を率いる一派宝井家の伝統は、戦記もの「修羅場」読みなので、馬琴師匠のヤクザものを味わうのは久しぶりだ。

「助っ人に、柳家さん八師匠をお迎えしました。先代小さん師匠のお弟子さんで、いまや落語協会の理事、重鎮です。剣道7段だった小さん師匠の指導で剣道3段、日本酒ハシゴダン、人妻大好きの超まじめ人間。・・と師匠のHPに書いてあります」と紹介する。ワッと会場が沸く。
「師匠には、昭和の面影を呼び起こしてくれるネタをお願いしました」。実はさん八師匠の昭和天皇の物まねは、隠し芸を超えて絶品なのだ。

さん八師匠は、馬琴先生の孫弟子「琴柑」さんに、釈台を置いといてよ、と頼む。
高座に上がった師匠は、扇で釈台をパンパンと叩いて一度これを叩いてみたかった、と皆を笑わせる。いい呼吸だ。いっぺんに会場が、和やかで笑いを待つ空気に包まれる。これも芸だ。
「兼松さんに昭和を思い起こさせて下さい、といわれてまして」とさりげなく世話人を持ち上げる。芸能界のよいしょ!とは云え、やはりなんとなく嬉しくなるものだ。僕も先輩馬琴師匠(講談界では先生というのだが、宝井家の講談家と親しい僕は、弟子たちに倣って師匠という)とのお付き合いはン十数年になり、芸人の世界のしきたりも多少は知っている。

さん八師匠は、師匠小さんの臨終の有様を面白おかしく語りだし、エーッ、こんな生々しいことを言っていいのかと僕を心配させたが、さりげなく宮中主催の園遊会に話をつなげ、がちがちの小さん師匠と昭和天皇のやり取りに話をつなぐ。昭和天皇の朴訥な姿の物まね、天皇の忘れられないイントネーションに、昭和時代の僕たちを笑わせ、そしてジーンとさせる。天皇が亡くなって(崩御されて)既に19年たった。この馬琴師匠の会の人たちに、一度は味わってもらいたいと思っていたノスタルジー。ノスタルジーっていいものなのだ。

来年は、講談協会の会長で、紫綬褒章ももらった馬琴先生が御呼ばれするだろう。御付の人が天皇に馬琴先生を紹介する、今上天皇は「講談界は女性が多くなったそうですが先生が会長になられて益々賑やかにご活躍だそうで・・」と天皇を介して馬琴師匠をよいしょした。なんと今上天皇の物まねだ。場内爆笑。「お蔭様でさようでございます」と今度は馬琴師匠の物まね。笑いに包まれて高座を下りた。

馬琴師匠の次郎長はさすがに聞かせた。義侠とはいえ裏ではね!とさり気なく僕たちを現実に引き戻す其の語り口は、伝統を大切にしながら今を語るという馬琴師匠の面目躍如。

鰻を肴に一杯やって、馬琴師匠の数葉の色紙を、琴柑さんと世話人の一人I君の司会で、じゃんけんで会場の人に競ってもらった後、「白雲なびく・・」と、手を振り上げ校歌をうたう。
今回は応援団OBが出て来れなかったので、駅伝部元監督に指揮をお願いする。でも情けなかったのは、箱根駅伝予選通過ができなかったので、なんとも意気が上がらない。ラグビーもね!あの早稲田にコテンパン。思い出したくもない(笑)

綺麗どころのお酌ですっかり満足した恒例のこの暮れの会は、無事閉幕。今回は村山元総理や、理事長は会議などで参加いただけなかったが、いつにも増して楽しかった。
モーイークツネルトオショウガツ。ちょっと気が早いか。