写真館で撮った一枚の写真がある。
父と母が椅子に腰掛け。`智`叔父が中央に立ち、僕は父の膝に抱かれている。
皆きりっとしたいい顔の写真だ。生まれて幾ばくかもないのに僕まで「これから生きていくぞ」とでも宣言しているようで威張っている。父はほんの少し微笑んでいるようにも見え、32歳とはいえ大人の風格がある。
新宿を歩いている写真(第6回掲載参照してください)もある。楽しそうだ。同じメンバーで着ている物も同じなので、この写真館で写真を撮るために出かけたときのスナップなのだろう。その写真でも僕は父に抱かれているが僕は後ろ向きだ。紘ちゃんはいつもお父さんに抱かれていたねと従姉妹によく言われたことを思い出した。
どちらの写真からも、その場のそしてその時代の空気まで伝わってくるような気がしてくる。
僕の「生きること」は67年前のここから始まった。
「吾子の生立」に書かれた父や母の言葉や、出征した父からのはがきを読むと、どんなに僕が可愛がられてきたかと身が引き締まるような気がする。両親の愛を一身に受ける子供って贅沢なものだ。
この写真の中の3人はもういない。僕も児の親だ。『生きること』に思いを込めて僕はもう少し生きていく。
22回にわたって読んでくださった皆様ありがとう。
この回で「生きること」を閉じることにする。
来月小学生時代を過した天草に行くことにした。何十年ぶりだろうか。久しぶりに同級生に会うのが楽しみだ。これから僕が生きていくための発見があるかもしれない。