日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

生きること(12) 毎日午後七時に 

2006-09-13 22:10:23 | 生きること

最後の封緎はがきは11日後、8月17日付で、消印は19日、久留米市の住所が書いてあり差出人は金子清子となっている。

『生命享けて実に三十有六年、畏くも天皇陛下の命令うけて遥かなる海外渡り、戦地に赴く男子の本懐之に過ぎたるはなし。
お前と結婚して六ヵ年、この間三子を授かり生活的には苦しい乍も楽しい生活だった。この生活を継続する為には、どうしてもここで米英を徹底的にやらねばいけないのだ。
俺は命をうけ戦地に赴く。そして必ず凱旋するぞ。現在の俺にはその自信がある。
その間子供の事を宜しく頼む。すくすくと杉が成長する様に育ててくれ。今度俺がお前たちに会う時は、俺もどこか違った人間になっていると思ふ。お前もこれから苦労が多いことと思ふが、しっかり頑張ってくれ。

この間北九州で空襲があったが、それにつけてもお前や子供たちがその被害を受けない様祈っている。疎開するなら疎開してもよろしい。長崎、駒込、阿佐ヶ谷に、お前で解決できないことはよく相談して決心すべし。

もう愈愈出発らしい。俺が戦地について正式に手紙が出せるようになってから便りをくれ。お前は隊宛に便りしたかもわからぬが、絶対に渡して貰えぬのだから、今手紙を出しても無駄だ。俺からはこうして便りを出せるときは出す。

それからここに一つ提案する。

毎日午後七時を期して、俺はお前と子供たちのことを考えるから、お前たちは俺のことを考えてくれ。午後七時より五分まで五分間。俺は敵と戦っている時でもお前たちのことを考えるだろうし、船に乗っている時も考えるだろう。思いは通じるだろうと思っている。

日々の生活は愉快だ。体はめきめき太って来た。
殊にお腹が長崎の父みたいに出っぱって来た。
体の調子は上乗だから安心して可なり。

この間行軍して、梨を思う存分食った。出来たらお前たちに送ってやりたかった。
俺が居なくってお前たちが食べ物に自由を欠いてないかと心配だ』