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日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

帰郷し、錦織の快勝を味わい、花冷えの中でボブ・ディランのコンサートをCDで!

2016-04-02 21:01:14 | 日々・音楽・BOOK
驀進する`のぞみ`に乗って福山と岡山に赴き、二泊三日の駆け足で、二人の建築家に会って建てた刺激的、感性豊かな建築を案内してもらい語り合ってきた。岡山からの帰郷便は午後にして、気になっていた岡山城の周辺に建つ前川國男、岡田新一、佐藤武雄、芦原義信など著名建築家の建てた建築と開催されている興味深い展示をみて歩く。

それは其れとして、帰郷したら我が家の周りの桜が満開、でも4月に入ったというのに空気がやけに冷たい。三寒四温というコトバがあった。こうやって季節が移り行くのだ。
ところで深夜1時からの、気になる錦織とニック・キリオスのマスターズの準決勝を見てしまう。
錦織完璧、見事な試合だった。そして朝の7時、目が覚めてトイレに行き、ついつい新聞を手に取ってしまった。寝不足解消ならず!

カメラと重いシフトレンズなど、それに着替えやヒヤリングするための資料などをリュックにギュウ詰めにし、入らないカメラは手提げのバッグに入れたものの、会った建築家から戴いた資料もあってなかなかの荷物。でもまあそれは何時ものことだ。とは言え両肩が凝って痛い。
ともあれ休日、そうだと思って床屋に行き、ぼそぼそと旅の話を取り交わしながら、頭をさっぱりとさせた。

娘が久し振りに来宅(帰宅!)、先日、「新木場スタジオコースト」で聴いたというボン・イヴェールのコンサート、フオークロックのタブレットを検索して取り込んだ一部の映像を覗き込む。近年、この手のコンサート会場での撮影は、周囲に迷惑をかけなければ許されるようだ。ふーン、さてさて。

さて僕は、この4日(明後日)から東京を起点に全国ツアーを行うという、BOB DYLANの30周年記念コンサートのCDを繰り返し聞きこむ。様々なゲストシンガーの魅力的な唄が収録されている中で、ボブ・ディランが出てくると一味も二味も違う味わいに感じるものがある。「天使の扉」。繰り返し聴きこむ

<写真。花冷えの中で満開の桜>


石井頼子著「言霊の人 棟方志功」を!

2016-01-17 16:59:26 | 日々・音楽・BOOK
沢山の人に読んでもらいたい本がある。
昨年の末、12月1日に里文出版から発刊された棟方志功の長女けやうを母にもつ、石井頼子の著作「言霊の人 棟方志功」である。
表紙には志功自作の歌 `あおもりは かなしかりけり かけそくも 沼田を渡る 沢潟(おもだか)の風` を添えた自画像が掲載されていて、志功の声が聞こえてくるようだ。

俳句誌「知音」に2008年(平成20年)から3年に渡って連載した文章に加筆修正をしたものと、本文に入る前にささやかに記されているが、無論只の修正ではない。本書発行年月2015年12月1日までのほぼ5年間の検証を組み込み、ところどころの文末に、用紙には小文字でその成果が列記されているのを読み込むと、この論考はただものではないと、思わず瞑目してしまう。
石井頼子がいなかったら、志功が忘れられることはありないとしても、稀代な天才の本質が捉えられないまま、どこかに埋没してしまうのではないかとも言いたくなる。

志功自身のことを、その一と終章その三十七に取り上げ、その他の三十五編に、人生の一部を共有した保田與重郎、川上澄生、曾津八一、河井寛次郎、大原総一郎、谷崎潤一郎、柳宗悦などなどとの出会い、やり取り、エピソードを間断なく頼子の視点から書き連ねる。

連載中の「知音」を2冊ほど頂いたことがあるが、37編340ページにもなる分厚いこの著作を何度も前後を確認しながら読み進めていくと、志功や、ことにチヤ夫人の声が、今そこから聞こえてくるのだ。僕もそれなりに身近にいたことがあるのに、しかもお仲人までやっていただいたのにと、じっとしていられなくなる。
そして幾つかのエピソードが頭をよぎる。
インド行き。

志功、晩年に近い1972年、チヤ夫人に費用は出してあげるから一緒に行かないか、とお誘いを受けたのに思い切れなかった若き日の僕。伯父の会社の社員だとはいえ、一サラリーマン、独身時代、15日間、もし仮に全てを投げ打ってでもと踏ん切って同行させていただいたら、僕の人生はどうなっていただろうかと、この年になってしみじみと思い至る。もしかしたら仕方がないね!と苦笑しながらも許可してくれたかもしれないなどとも…しかもこの旅は、草野新平との旅だったと石井頼子は記している。

こんなことも思っている。この著作には、チヤ夫人にほんの少しだけ触れているが、志功とチヤ夫人を支えた頼子の母親や、志功後夫妻の子息たちなど身内については全く触れていない。もしかしたら若き日の僕も身内扱いだったのかもしれないと、改めて(密かに)感じ取っている。

<文中敬称略:「言霊の人 棟方志功」(里文出版)の定価2,300円+税>

光陰矢のごとし

2015-12-23 21:49:57 | 日々・音楽・BOOK
昨日が冬至。日が短くなった。あっという間に暗くなる。今日からは少しずつ日が伸びていくのだろうが冬の到来はこれからだ。
毎年同じことを考えるが、冬至が過ぎてから冬が来て、日が伸びていく。僕の中での`つじつま`が合わない。何はともあれ今年もあと一週間余り、「光陰矢のごとし」。

北海道から鮭の燻製`インディアン・スモーク`が送られてきた。八丈島のストレリチアやサンダーソニアというマダム風子の花束も届いた。

先週の土曜日に来宅した我が娘が年賀状の版画を刷り、その夜、皆でダニエル・クレイグのボンドを観に行った。・・・・年の瀬を感じる。
さて今日の天皇誕生日、妻君は正月料理の仕込みに邁進。
僕は久し振りにMILES DAVISの「Kind of Blue」 を聴きながら、溜まった新聞のスクラップに取り組み,整理がついて車を運転して妻君と生協に買い物に行った。

帰宅して、25歳になったアデルの「25」をかけた。「ハロー!ハウアーユー!」と呼びかけられる。
新しい年、2016年が来ることを想う。

<写真 インディアン・スモーク> 

沖縄の平和 日本の平和 映画「GAMA―月桃の花」& 海勢頭豊コンサート

2015-12-14 16:27:20 | 日々・音楽・BOOK

コンサートのタイトルは「沖縄の平和 日本の平和」
沖縄の音楽家、海勢頭豊さんから案内が届いて出かけ、子女愛さんとのコンサートを聴くつもりだったのに、意識していなかった映画を見ることになった。僕も僕自身と十数年前に亡くなった大正の初めに生まれた母の、戦後の苦闘を振り返ることにもなった。

映画「GAMA―月桃の花」は、沖縄戦終結50週年を祈念して1996年に作られ;文部省選定とされた映画である。
20年を経ても(あまりにも)生々しく感じ取れる沖縄戦のフイルムを組み込んで構成され、何度も沖縄を訪ね、普天間基地が望める丘陵地に掘られたGAMAを思い起こし、観ているのが辛くなる。同時に、人を殺す戦争というものは、そういうものだとわかっていても、心のどこからか怒りが込み上げてもくる。赤紙で召集された父の、フィリピン・モンタルバンでの死がどこかで渦巻いてきた。

東京中央線、高円寺駅の近くに建つ「座・高円寺(建築家伊藤豊雄の設計)」で上映された。製作・音楽は海勢頭豊。主催したのは「藤原書店」である。

「1945年―夏、沖縄。洞窟(ガマ)の前には、まだ散りかねている 白い月桃の花があった……」

沖縄の建築家根路銘安史さんが中心となって、この地の建築士事務所協会が主催する「聖クララ教会」で毎年行われてきたコンサートは、海勢頭豊さんの子女バイオリニスト愛さんが中心となってメンバー構成をしてきたが、来年の2月、10回目を迎える。僕はこの数年招聘されてコンサートの前にあいさつをさせてもらってきた。この教会のDOCOMOMO100選の選定に関与したからだ。

それはさておき、愛さんのバイオリンが支えながら海勢頭豊さんのギターを片手の歌の声は、穏やかで、そしてメリハリがきいていて、聴いている僕の心に食い込んできた。

<写真 ロビーでの海勢頭豊さん>

U.N.C.L.E`ナポレオン・ソロ`―LaLaport EBINA―御殿場プレミアムアウトレット

2015-11-23 16:36:43 | 日々・音楽・BOOK

J-WAVEの、映画007の特集を聴き流しながら、この3連休の私事を箇条書き的に書き留めて置くことにした。
今日は曇天、冷たくなった風に桜の木々から枯葉が舞い落ちている。棟と棟との間に掛け渡した電線に十数羽の雀が留まっていて、一羽が飛び立つと数羽が追いかけるように飛び立つ晩秋のひと時だ。

一昨21日(土)、妻君は都内から来る娘と海老名駅で1時に待ち合わせ、新しくできた「LaLaport EBINA」の見学、僕は診療所に立ち寄って薬をもらって合流することにした。
ところが予測していたとは言え待合室が立待ちの人で溢れんばかり、受付で診療代を払う人(患者)が立ち上がって空いた席にすばやく腰掛ける。年の功、許されるだろうと勝手に解釈して、持参した文庫本原の「さらば長き眠り」を読みふける。
そして2時間、十数年前に読んだはずのこの複雑なストーリーに好奇心が刺激され、探偵沢崎の理念!に共感しながら読み終わったところで名を呼ばれた。ドンぴしゃりだ。
何時もの血圧の薬のほかに、何をやってもなかなか痛みの引かない右脚のために、痛み止めの薬ロキソニンを頼み込んで拝受。携帯で妻君とやり取りしてLaLaportに向かった。

その夜は妻君、娘と共に映画、THE MAN FROM「U.N.C.L.E」` ナポレオン・ソロ`だ。
映画としても絶品!喝采を送りたい。

さて昨日。晴天。富士霊園に!お墓参り。
富士スピードウェイでレースが行われているようで、交差点には交通整理の警官が待機している。車の轟音とレースを誘導している男の声が微かに流れてくる。父と母の霊の眠るお墓に手を合わせる。紅葉を愛でて記念写真を撮り、「二の岡フーズ」へ立ち寄ってハムなどをゲットして「御殿場プレミアムアウトレット」へ。

帽子売り場の若者に声をかけられ、妻君と娘がいいんじゃない!というものだから一つをゲット。若きおっちゃんと「アンガト!」と笑顔を取り交わす。
妻君と娘の目的は「ADIDAS」である。
娘の選んだ色彩豊かな靴(奇態な色の組み合わせズック!)に驚嘆!わが娘を改めて面白い子だと思ったものだ。妻君もまた!同じ。足の具合がよくなくて革靴を履き難い僕の愛用のズックは「ニューバランス」だが、アディダスもいいよと言うものだから試し履きをし、とてもいいので一足ゲット。若き男性店員のにこやかで丁寧な振る舞いに流石!と思ったりもした。

昼食はごった返した大食堂でうどんを食べる。意外と旨い。こういうところへ来ると、人でごった返しているのも悪くないと思ったりもしたものだ。そしてやはり時折聴こえてくる中国語!新宿の僕のオフィスへ通う道が、1年前ほどにはコーリアンストリートといいたくなり、今ではチャイニーズストリートと密かに名付けたことを思い出した。
  
そしてこの日の晩酌は、北海道の女性建築研究者が送ってくれた「国稀」。開封して娘と乾杯!旨い。娘と酌み交わすお酒は倍旨いのである。

そしてつい先程、若き日の僕に建築の先輩として現場で指導をしてくれ、以来50数年に渡る長い年月を家族ともどもお付き合いをしてきた友人の訃報が子息からもたらされた。瞑目するのみである。

<写真 富士霊園に向かう道>

世界を繋ぐユッスー・ンドゥールの想いを、大勢の人に!

2015-09-27 17:42:26 | 日々・音楽・BOOK

来宅した娘から「覚えてる!」と言われて渡されたCD、ユッスー・ンドゥールの「ジョコ(JOKO」。
瞬時に、娘に誘われて出かけた三軒茶屋近くの昭和女子大人見講堂で行われたユッスーのライブの様が蘇った。一昔前になる。
そして、その人見講堂には小澤征爾の指揮によるコンサートに出かけたり、キャンパスの建築の撮影をさせてもらい、関連して大学の教授に請われて数年にわたって短大生たちに、各地に存在するモダニズム建築の存在を写真を写しながら講話をしたことなども思い出した。

さて、このCDには18曲が収録されている。そのいずれにも生誕地、アフリカの「セネガル、ダカール」のメディア地区に生まれたユッスーの故郷への想いと、其れを越えて世界で活躍してきて見えてきたものへのメッセージが込められている。

冒頭の「ウイリ・ウイリ」は、人々のざわめきの中でつぶやくような唄い方で始まる。そしてそのメッセージは「何処へ行こうとも人々は出発点へと帰ってくるものだ」。
各曲の解説文のユッスーに電話でヒヤリングした北中正和氏の簡明な文体に心が奪われる。この曲、自分が何処に向かっているのかわからなくなったら、元いた場所にもどれ、誰もが君の名前を知っている場所へ、教育を受けた場所に、ブーメラン・・・そうか!と。では僕の元いた場所とはどこか?と思わずつぶやくのだが!

17曲目の「ミス」。
男たちは君たちに勝ってなんかいない。君たちは誇り高く忍耐強い。そしてエレガントだ。ミスよ!と投げかける。
解説者は官能的な声だと述べるが、曲の中で「ああセネガルの女たち・・アリン・シトエ・ジャタ」と投げかけたこの女性は、女兵士として前線に立ちフランス軍に抵抗したが、処刑されたという。ユッスーは彼女たちは男なんか恐れなかったと、朗々とした声で空に向かって歌い上げた。

そして最後の一曲。名曲、オブ・ラ・ディ・オブ・ラだ。
其れまでの17曲とはまったく趣を変えて、笑顔が浮ぶようなざっくばらんに皆んなで一緒に楽しもうよいうような歌い口「君も楽しくやりたいのならオブ・ラ・ディ・オブ・ラをやってごらん」と投げかける。2000年、15年前の世界へのメッセージだ。

ユッスーは僕より一回り以上若い1959年生まれ、生誕地がフランスの植民地になり、その一角にその地の人々は押し込められたが、そのために昔のこの地にはセネガル・ダカールの面影がまだ残っているという。僕たち建築家は、世界で活躍する彼の故郷への思いについホロリとさせられる。

敢えて書く。さて僕は、ユッスー・ンドゥールに想いを馳せながら、これからの日本を若い人たちの為にも、安倍晋三に託したくない。いや托さない!

錦織の活躍と不可解な準決勝、盛夏の中の「日本車いすテニス選手権大会」

2015-08-16 13:38:34 | 日々・音楽・BOOK

― 8月14日―
カナダのモントリオールで開催されている「ATPテニス マスターズ1000」の3回戦で、錦織圭がベルギーのD・ゴファンにストレートで勝ち、準々決勝に進んだ。14日(金)(日本時間)の朝のその見事な勝ちっぷりに、人間の可能性を感じた。

その余韻の中で、ふと友人からのメールを思い出した。厚木市の南毛利のオムニ(人工芝)のテニスコートで行われている「第32回車椅子テニス大会」観戦への案内である。
彼女は嘗てのテニスの仲間、試合でペアを組んだことは無いが、東京都体育館や有明コロシアムの国際大会に誘われて出かけ、線審をやっている様を楽しんだりしたこともあったテニ友である。今はテニス倶楽部での試合には出るものの、審判に徹して活躍している。

南毛利といわれて思い出したが、嘗てこのコートで、海老名市の代表(シニア)として都市対抗戦に参加したことがあった。この夏休み、来宅している娘と妻君がなにやらごそごそとやっている。TVで観た錦織の活躍に浮き浮きとしていて、娘を誘ってみたが敢え無くNO!「ちょっと出かけてくるよ」というと、二人は「どうぞどうぞ」となにやら嬉しそうだ。

この全日本の大会は、ITFランキング男子20位以内・女子は10位以内・クアード4位以内の選手は参加申し込みできないともらったプログラムに記載されている。
車椅子テニスと聴くと誰しも描くのは、世界のトップ4冠を達成した国枝慎吾と女子シングルス・ダブルス同1位の上地結衣の名だ。しかし車で自宅から20分弱のこの地に全国から参集する大会のあることを知らなかった。
其れはさておき、この大会はITF(国際テニス連盟)と、JWTA(日本車いすテニス協会)の公認を受け『地域と気持(心)のストローク』という大会スローガンを掲げている。

会場に着いたときは、ジュニアのシングルスが行われていた。男女を問わない対戦によるこのジュニアの試合は昨年から行われるようになったようだ。コートから少し高い観戦通路から初めて見る試合にのめりこんだ。一緒に観る片足の無い車椅子の選手の明るい表情にちょっと救われるような気もしてくる。
家族や大勢のプレイヤーが子供たちの試合に見入る。そしていいプレイがされると大きな拍手が一瞬沸く。すると車椅子で観戦している選手たちから、拍手は控えようというささやきが起った。相手の選手を思いやってのこと、でもやられた選手もニコニコと笑顔、プレイできる喜びを謳歌しているようだ。
『可愛いね!』という観戦者の囁き声が聞こえてくる。
主催する神奈川県車いすテニス協会とともに、数多くの後援、協賛、協力者(企業)名称と、新幹線新横浜駅、羽田空港での送迎時間などがプログラムに記載されている。

― 8月15日― そして今日16日
錦織が準々決勝で、一度も勝ったことが無かったナダルに快勝した。素晴らしいフットワークと集中力、しかし16日のマレー戦で惨敗、試合を捨てる様は不可解としかいえない。満席の観衆から今にもブーイングが起きそうな気配、錦織はどうしたのだろう。脚をいためたのだろうか? TV放映も錦織のコメントなしでプッツンと切れた。

この一文を書きながら僕は、この炎天下の中に立って、幾つもの試合の審判する中年を超えても頑張っている女性陣と、其れを支えるボールボーイに密かに拍手を送りたくなった。

<写真 男子ダブルスの試合>

蝉の泣く夏休み、何事でもない盛夏の一齣

2015-08-11 18:40:24 | 日々・音楽・BOOK

戯れ句を一つ。
~ 夕暮れて ここを先途と 蝉の泣く

洗濯物を取り込もうとした妻君が、蝉が居るよ!と手を招く。
バルコニーの空調外機のすぐ側に蝉が居て動かない。そっとつまんでみてもびくともしない。死んじゃったんだと思って、あとで木の下にでも埋めてあげようかとティシュに包んでテーブルに置いた。
PCで書きかけの文章に取り組んでいてふと気がつくと、一間ほど離れた床の絨毯から僕を見ている。生きてるのだ。とりあえずゴムの木を植えてある植木鉢の土の上にそっと置いた。そしてひと時。植木鉢の淵に手足を引っ掛けてぶら下がっている。これじゃいけない、と思ってそっとつまんで1階まで降りて人目につかない木陰になる樹の枝にそっとおいてやった。

夏休み、何事でもない盛夏の一齣です。

キース・ジャレットの「クリエーション」を聴いて そして菊池雅章の訃報

2015-07-15 17:12:31 | 日々・音楽・BOOK

クラッシク音楽の新しく出たアルバムを紹介する「for your Collection」という、新聞の紹介欄(朝日新聞6・11)の特別項で、JAZZピアニスト、キース・スジャレットの新盤(CD)ソロによるアルバム『クリエイション』の紹介がなされた。
キース・ジャレットは、バルトークのピアノ協奏曲第3番など、クラシックのアルバムを数多く出していて、僕はオルガンによる演奏などのCDを持っている。この一文でこの「クリエイション」を紹介した矢澤孝樹氏は、キースのクラッシク演奏は、躍動感が尋常ではなく、今聴いても実に新鮮だと書き、更に、自らのジャズ演奏を育んだ大地に還るような・・と絶賛する。そのキースの新盤となると、手に入れて聴かないわけには行かない。

嘗て僕は来日したキースの演奏、ゲイリー・ピーコック(bs),ジャック・ディジョネット(ds)によるトリオを東京文化会館などで、ソロ(インプロビゼーション・即興演奏)は中野のサンプラザホール(敬愛した建築家林昌二の設計)で聴いたことを思い起こす。
この新聞での紹介記事で気になったのは、キースは手を負傷し「世評高いトリオを解散した」という一文である。キースは同世代とは云え僕より少し若い70歳。僕は20代から30代の始め、銀座の「ジャンク」というライブハウスに通いつめ、京都で隠遁生活をしていたというゲイリー・ピーコックを引きずり出しての演奏も聴いていて、特段の思いがある。

ところでこの「クリエーション」は、訥々としたタッチで演奏されるが、音を紡ぐその音(ネ)は人を慈しむように温かく、キースはキースだ!と思ったものだ。

上記ジャンクで、のめりこんで聴いていたピアニスト菊池雅章(キクチマサブミ)がNYで亡くなった。建築誌に連載している「建築家模様」で、郡山の建築家を捉えるその一文を菊池のジャンクでのライブに触れて書き起こしている時に訃報を聞いて動転、思わず瞑目。その一文に、「人の生きることを噛みしめる」と書き記すことになった。

<写真 天に思いを寄せる>

バースデイケーキとお雛様

2015-03-02 12:12:08 | 日々・音楽・BOOK

愛知県立芸大の保存改修の論議をした委員会の日は、僕のバースデイだった。帰りの新幹線の中で窓から移り行く光景に目をやり、我が歳を思いながら何となく感慨にふける。

さて、その三日後の土曜日、娘が新宿高野のバースデイケーキを持って来宅、細いローソクを5本立てて点火、家族3人でわいわいと騒ぎながら乾杯をした。

さて明日は3月3日のひな祭り。思い立って昨日、僕の部屋の天袋に納めてあるお雛様の中から、一番手前の箱に収めてある大振りの三春張子のお雛様をおろして飾った。お雛様、細い目が僕と妻君を見て微笑んでいる。