日々・from an architect

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`戦争をする国`の追記を:父の出征

2016-11-17 16:45:52 | 日々・音楽・BOOK
このブログの2稿前に記載した金子兜太の「あの夏、兵だった私」にも触れた「戦争をする国」に、追記しておきたくなった。
1945年(昭和20年)の6月、フィリピンのマニラ地区モンタルバンという処で夫を亡くした母が没してから9年を経たが、この週末、僕の弟の7回忌の法事が行われることになった。

やはり思うのは、伴侶を若くして失ったとは言え、母が没したのは92歳だったので天寿を全うしたと言ってもいいような気がするが、弟は僕の二つ年下。何故だ!という釈然としない思いがどうしても起きてくる。でもまあ、どこからか「お兄様(と僕は言われていた)は元気でいてよね!」という声が聞こえてこないでもない。理不尽だとは思いながらも・・・
早稲田を出た弟と、明大での僕との二人で観に行った明早戦(国立競技場でのラグビー:弟は当然のことながら早明戦・・懐かしき!!(とは言え口喧嘩になったりした)の観戦を思い起こす。

そして10年ほど前に1年間に渡って書き綴ったブログ「生きること」を紐解いてみたら、こんなことが書いてあった。父からの、妻(僕の母)へのハガキである。こうでも書かなかったら届かなかったのかも知れないと思いながらも、妻に心配させない配慮(必至な思い)に、つい涙ぐましくなる。そして最後の一言、(帰宅したら)「俺もどこか違う人間になっていると思う」との一文に、思わず僕を抱いている父の写真を見やった。

『生命享けて実に三十有六年、畏も天皇陛下の命令受けて遥かなる海外渡り、戦地に赴く男子の本懐之に過ぎたるはなし。お前と結婚して六ヶ年、この間三子を授かり生活的には苦しい乍も楽しい生活だった。この生活を継続する為には、どうしてもここで米英を徹底的にやらねばいけないのだ。
俺は命を受け戦地に赴く。そして必ず凱旋するぞ。現在の俺にはその自信がある。
その間子供のことをよろしく頼む。すくすくと杉が成長するように育ててくれ。今度俺がお前たちに会うときは、俺もどこか違う人間になっていると思う。お前もこれから苦労が多いことと思うが、しっかり頑張ってくれ。(以下略)』

金子兜太の上記「あの夏、兵だった私」のプロローグには`とても、きな臭い世の中になったな!(下記、抜き読み・・・)
「私は戦時中、海軍主計中尉としてトラック島に派遣されました。米軍の爆撃にさらされ、毎日、五十人から六十人程が非業の死を遂げます。・・戦略のせいもあって補給路を断たれ、餓死者が続出しました。(以下略)
そして、第一章のタイトルは「あまりにも似ている「戦前」といま」である。

<写真:自宅の僕の乱雑な書棚・「あの夏、兵だった私」はどこにあるのかな!>


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