光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

日の出と朝露

2009-09-24 06:39:59 | 散策





  朝のお天気は、今頃になって、ほぼ晴れ。4時ころだと、曇り空で、それが続いた。丑三つ時は、晴れていて、星空。中途半端な放射冷却がある。朝から、モズは鳴いている。風はあまりなく、靄があって隣の街も見えない。アメダスの5時の気温、19.2℃、(6時で19.1℃)、気圧は、1019.6hPa、湿度は95%、室温は、21℃。布団の調整がむつかしい。
 
  のどの痛みというと、いろいろ考えられるけれど、なにかに追い詰められると、そうゆうものが出る。それの中に、風邪があって、しかし特に変化はなく、今は痛みはないか、少し。うがいをやる。これにうがい薬を使う。茶色い、甘いものである。他は、毎度の鼻うがい。鼻うがいも何度もやる。鼻うがいがやり方によって、まずいという指摘がある。私は下を向いてやっている。しばらくすると、鼻から「のど」のほうへ、なにか汚いものも出てくるので、これは吐き出す。

  夜中、軽い咳も出るが、これもホンの少しでおさまった。朝が来るが、それでモズは鳴くが、まだ新聞配達の方が来る時刻で真っ暗で、このときは曇り。
  ときどき時計を見る。それを何度か繰り返して朝が来た。朝、はやっぱり曇り。暗くて灯りはいる。それをつけて、温度計を見る。ゴミを出さないといけなく、きのう中に、そのまま持てばいいというようにしておいたので、これを出すのは楽。次第に明るくなり、また西の空には青空も増えて、その後はほぼ快晴。

  ここにある草、ヒメヒオウギズイセンの葉は少し茶色いものもある。色が薄くなった。その葉っぱに雨滴か水滴。雨が降ったのはきのうの午前まで。朝露だろう。この草に水滴は出来やすい。スギナ、ムラサキケマンなども水滴が出来やすく、瓦はべっとり濡れている。瓦に吸い込まれた水分が出ているのが半分かな。金属、トタンだと、ほぼ水蒸気が液化したもの。それだけ、冷えている。朝に、朝露が降り、それが霜になる日も近い。
  先ほどから、朝日が雲から出て、明るく、また寒さもない。きのうの夕日が沈んで、今朝の朝日が出るまで、12時間と、30分くらいの時間がある。暗い時間が増える。そのうち、日の暖かさが身に染みるだろうなー。

  写真:これは秋分の日の日没ではなく、9月20日か21日の日没。

星コスモス

2009-09-23 18:34:53 | 植物・花(秋)
  日の入りというのを、国立天文台の、暦計算室で見ると、この辺りは、17時47分で、今の時計の時間よりも、まだ先である。ここを書いている時間であるが。それで、それよりも10分以上前から、日の沈む様子を見ていたが、ここから西の空を見ると、県境の山々か、もう少し手前の低い山があって、正確な日没の時間と違うのが当たり前で、すでにそのときに太陽は、山の向こうに沈んだと思う。
  秋分の日の、日没だが、なぜかその暦計算室の「秋分」の時間の説明のところというのが、文字が隠れたままで、何時何分が、秋分かわからない。あれ。昔はちゃんと読めたというか、何時何分に、秋分というのがわかったが、問題は枠の向こうにゆけない、だから見えない。まー時間は、今日のいつかでいいのだが。

  秋分一つで、結構大変で、サイトの見方も昔は見えたが、今は見えない。何が問題なのか、よくはわからないが、それくらいに利用していなかったということか。IE7がいけないのかなー。今のところ変えるつもりはないが。

  長くもなく、ある連休が終りつつある。地元のラジオを聞いていて、アナウンサの方は、言ってみると休日をどう過ごしているか伝えているが、遊びつかれたとか、どこどこに行ってたというのはいいが、今日も休日出勤でしたというのを伝えるのは少し寂しいというか、残念というか自分も、その休日出勤をしているので、若干哀愁だだようものがあって。しかしアナウンサには休みはないという中立の立場で、内容を伝えないといけないのが苦しいような感じがあった。自分のことは出さないが、自分もそうなのよ、というところ。
  長い休みはいいですよ、というニュースは何時だったか、お昼の放送で、そうゆうのがあった。これから仕事です、と嬉しそうで、これから休みですというのはなかった。この辺りはひねくれている見方。

  小さなことだが、きのうの夕方やけに焦げ臭いにおいがって、それで下にゆくと、一種「もうもう」とは言えないが部屋が曇っていて、蚊取り線香ではこうはならず、またその煙いのも感じないらしく、母はTVを見ていたので、これは大変と慌てた。が、もう火は消えていたらしく、しかし換気扇も動かしてない、窓も開けてなく、またもう一つの鍋も火にかかっていた。これには驚いて、普段は我慢してそんな汚い言葉を使わないが、こうゆうときはしょうがなく、いろいろと文句を言った。かなり「ガーガー」と言った。鍋は真っ黒こげで、危ないを越えている。それにも関わらず、母曰く「うるさい」と来たので、「しつこいね」と来たので、そうとう血圧も上がった。このようなことはないこともないが、ここまで真っ黒というのはなく、しかも平然としているので、私の方がおかしくなった。

  そうゆうものがまだ、それ以外にもあって、また先ほど、いろいろと話しをしていたが、これも結果としては、裏目に出た。黙っているというのもよくはなく、かといって何もしなくてもいい、とも言えず、監視をわからんようにするしかない、のか。口を出すとうるさいで、最後には「何にも話すのも嫌なのか」と来る。嘘のようで、大体似たり寄ったりのことを書いている。これにはお手上げで、半ば放心し、誰にほざくことなく一人その辺で、ぼやき続けた。こうでもしないと、どうしようもない。


  コスモスの花。
  だんだんと花の数は増える。行っているところは同じ。それが少しずつ変化する。行かないときもあるし、方向が違うと時間は足らない。
  星のように咲く、コスモス。そうゆうものに似ている、コスモスがあって、星がある。




  こちらは大き目のコスモスが咲く、でも背の高さくらいあって、そこに花が
  密集する。向こうに住宅があり、見るのに何の問題もないが。撮るとなると
  どうしても限られる。




  これは見て頂くとおり、コスモスの茎はまだ小さめ、上から眺めるのに
  いい。だんだんと向こうにゆくと、背も高くなる。
  星空の感じもする、コスモス。




  階段状に、コスモスは背丈が伸びて、その向こうも蔓性の植物が、
  建物の壁を覆おう。




  お天気は、小雨が降るか止むかという状態で、これに風が入ると
  結果として、少し甘ーい、画像が出来る。それでも白コスモスは
  映える。

  またしばらくしたら、ここに出かけるが、7、8分くらいで着く。去年の
  この白コスモスは、かなりよかった。

柿の木に、モズ(百舌鳥)

2009-09-23 16:13:58 | 散策
  雨の後は、曇り。雨が降ったのは、午前の早い
  時間だけで、終わった。
  気温は、25℃まで上がったから、これは普通か
  高めで、汗も出るしムッともするし、それゆえか
  また少しのども痛い気がする。

  きのう、モズの、鳥の百舌鳥のことを書いて、
  写真は省略したが、きのうと同じように、同じようなところから
  その鳴き声がする。近い、と思う。
  外の明るさもきのうとは違う。
  それでは、ともうやらないはずの、鳥の方に
  あるものを向けて、ボタンを押す。
  しばらくの間、モズは怪しさを感じて、しかし
  きのうよりは長く止まっていた。

  短くとか簡潔に、と、ときどき思って、また長くなり
  画像の枚数も増えた。短いほうがいいと思うが、
  いつまで続くか、もっと短くなるかも。




  木が寂しい。柿の木で、まだ枯れているわけでなく、毛虫に葉を
  喰われているのである。
  ここが見通しがいいらしく、止まる。




  さえずりか、甲高い叫びか、もう少しやさしい声もある。




  こうゆうことも、やってくれるが、出来はよろしくないようで。




  鳥の顔付きは一般的に、結構険しいものがあると思う。モズもそうで、
  ヒヨドリや、ムクドリなどもそう思えるし、またやさしそうなキジバト
  の目も、そうとう鋭く、あまりまじまじと見るものではないと、いつも
  思う。

雨秋分の朝

2009-09-23 06:47:15 | 散策




  秋分だというのに、朝から雨、きのうからお天気は曇りか雨、その雨が本格的にもなり、また止むときもあるが、大体今日になってずっと雨。弱い雨で、木の下などはまだ乾いている。でも、晴れの秋分がいい。風もないようで、隣の街が残念なことに見えない。アメダスの6時の気温、20.1℃、気圧は、1019.8hPa、湿度は、99%。室温は、22℃。蚊が出そうな温度。

  今月、9月に、中秋の名月はない。10月3日である。これも教えてもらわないといけない。9月の最初に、一度満月はあった計算になる。そのころの月を一度くらいは見ているが、今は、まだ月は細く、太陽に近く、雲の多い天気でこれは見えない。9月23日。残り3ヶ月。一年も終わりに、と思う。もう郵便局から年賀状の申し込み書類というのが来た。この年賀状の数もだんだんと減る。書くのも、来るのも。それでいいのではないか。

  暗い朝になった。天気予報だと、曇り、降水確率は、40%であってでも、もうずっと雨で恐らく、少し離れると雨ではなく、曇りで、これは道を一歩きでも感じることが出来る。雨の境界線をまたぐことも出来そうなお天気である。
  朝は暗い。夕方も暗い。夕刻に日が沈むのは、もう午後の6時を切っていて、5時台であるから、夕方のほうが暗さの認識ははっきりする。
  黄金ではなく、それでもお休み続き、こうゆうときは、どこかへお出かけではなく、お出かけの写真を見ていった気になるのがいいようなで、どこにもゆくこともなく、それゆえそれしか出来ない。これも悪くはなく、並ぶ人を見て我慢強いと思い、込む道路を見て、これは道路ではない、駐車場だとかも思ったりもする。どう思おうとこれは勝手だが、多少はうらやましいという思いも、もちろんある。

  朝から暗すぎて、なにも思い浮かぶこともない。頭を抱えるようでは、いけない。

  写真:蜘蛛。朝から蜘蛛は考えてみると、あまり感じはよくないか。この蜘蛛の巣がやたら多いというのも、ことしの特徴。

青空と木々の表情

2009-09-22 18:52:36 | 散策
  青空があって、なかなかそれだけが出るということはない。どちらかというと、朝があって、夕刻があって、それからたまに真っ暗で、月が出る。これくらいの、青空がどうのというのは、なかなかない。ないこともないが、青空が主でというのはない。なかなかそうゆう条件がそろうというのが、あるようでなく、ないようである。色具合というのは、不具合と同じようによくはわからないもので、好みの色も、そのときの気分にもよる。これはいい、という青空はなかなか出てこない。

  朝に、モズの鳴き声がする。モズで、百舌鳥で、鳥のモズ。モズは、なかなか見かけない。でもここに来ると、大体モズは、トビと同じくらいにいる。ここの木々に止まることもある。で、ときどき甲高く、そうでないときもあるが、彼らには人の目、あるいはカメの目を感じるものがあって、滅多にその姿をそこに残さない。どうゆうのがあるかというと、ガラス越し。これだと、屈折の原理が働き?、また光は反射もするから、彼らはある危険性を感じつつまだそこにいる。しかしこのガラス窓を少し開けると、そこにどうゆう変化があるかわかりづらいが、あっという間にそこから飛び立って安全と思われるところに移動する。

  これがわかると、窓越しにモズを見るくらいで、興味もせいぜい鳴き声がするで終わってしまう。で、今朝は、窓はわずかに開いていたが、それも太陽光が当たる東の窓で、モズはというと声からするとかなり近い。どこにいるのか、のんびりでもないが、朝だからゴソゴソしていたが、すぐそばだと思えてこっそり覗くと、そんなことも必要ないと思うが、そばの柿の木に、モズはいた。どうせ逃げるだろう。そう思う。
  でも、たまにモズの姿もと思い、カメさんを用意する。暗いなー、今日は朝も暗くモズの感覚も鈍っていた。で、こちらの暗さの対応をしたが、これ以上無理に感度を上げるのも意味ないし、また露光も短くないと、など考え、モズからは直接見えないかも知れないという、金属の柵の間から、そのモズの姿をとらえたが、当然暗く使えない。でもモズは、何秒かわからなかった。で、10秒はたっただろうか。慌てて、声をあげたかどうか、逃げていった。鳥の本能というのはすごい。3、4秒かも。

  もうモズはやっぱりいい、というか、眺めるだけで十分だと思うことになる。雨で、その雨は上がったが、さほど明るくはない。そうゆうときに、窓から、今度は違う窓だが、その方向にモズの姿ではなく鳴き声を聞く。その向こうにモズはいるが、見えたのはいいが、何をやっているかわからない。朝のモズと同じか、それはわからない。時間もまだ朝のようだからで、
  モズの声を頼りに、やっぱり物好きか、双眼鏡を取り出して、そのモズの辺り見ると、何とモズは、カマキリをくわえていて、それを木に刺したかどうか不明だが、それにほぼ間違いなく、これがモズの「速贄」と思う。これも詳しく書く必要がないが、その木の枝の一部にカマキリと断定できる、ものは動くことなく、その位置にあったようである。
 
  あまり気持ちのいいものではない。速贄というのも、それをモズが食べるというものでもないようなので、それが残るのだろう。たしかに、今日もモズはカマキリを捕まえたが、食べることはなかった。そのまま忘れ去られることもあるのだろう。

  もう夕方も夜の境目というときに、ドアを開けて下を見たら、そこにまだ緑のカマキリがいて、それはそれほど大きくもないが、ドキッとする。モズがいるからここに隠れてというのはないが、カマキリも残酷なようであって、カマキリにも天敵はいるのである。あー、おっかない。

  
  今日は、曇り予報で、結果は雨模様。それで青空のない日に珍しくなった。多分、青空も出ているのだろうが、それを見たという感じは今日はなかった。日の出、日の入り以外の、青空というのもないわけではなく、いくつか古いのも探してみる。

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  あれれ、なぜか妙なというか、矢印ボタンのどれかを触ったら、画像のアドレスとその説明文がみな消えてしまった。なんで、こうなるのか、悪いのは自分だけど、なぜかもう最後までいったのに、送信ボタンに触れず、みな消えた。だからなんだか、ガックリ。

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  短く、カエデと青空。




  左は、ツバキでそれと、青空。




  木々と、葉っぱと青空。




  空の上のほうの青空と大きな木の葉。




  もっとも、青空らしい、白い雲と、青い空。




  これでは濁って見える、きのうの朝。




  ずっと昔、9月の初めころかも知れない、モクモクと白い雲がわいた、
  そうゆうときの青い空。


  それにしても、なんで、もう最後というのに、どこをどう触ったのか、変なことをやってしまうのだろうか。このような失敗というか、操作のミスは多分初めてか?。

雨のシジミチョウ

2009-09-22 16:21:15 | 虫、その他
  曇りという予報だが、雨になった。
  今は、だんだん暗くなって来て
  もう夕方という感じがある。
  
  雨か、雨が降りそうで、降らないだろう、そう思った。
  よくあるが、うちから出ると、雨になる。
  そのもので、ポツポツ来た。程度としては
  ツバメの涙ほど。でも、傘はいる。
  しばらくして、傘からポタポタ雨のしずくも落ちる。
 
  止むときもある。また降り出す。大降りはなく、
  きょうは日曜じゃない、というのを忘れないで
  途中から、歩く方を主にする。それでも
  小一時間たってしまった。 




  雨というのを、こんなヒガンバナで示してもらう。
  どう見ても、ヒガンバナで、色薄いクリームで、
  実際の色とやはり違う。




  このヒガンバナ、の小さいほうも、ちょっと色の出方がおかしい。
  大きく育てば、真っ赤になるのだろうか。




  雨だと、花も今は特になく、チョウも探すが、このベニシジミ、一羽。
  これは草むらからフワッと飛んで、止まった。
  動かなかった。




  このベニシジミを見て、こんどはウラナミシジミのいそうな
  ところへと急ぐ。
  
  きのうはいたけど、暑いし止まることはなかった。今日はどうか。




  雨が止んだ。少し探したら、このチョウがいた。




  後の翅の突起もなくなっているようで、それから蜜を吸っている
  ようにも、思えない。
  上の、ベニシジミはストローを伸ばしていると思うが。



 
  まったく動く気配なく、ただただじっと虚空を見つめている
  かのようで、しばらくして立ち去ったが、今も、まさか空を
  見つめてはいないだろうけど。  

小雨少々、気温は高め

2009-09-22 06:48:07 | 散策




  朝のお天気は、曇り。丑三つ時は小雨。曇ると一遍に暗く感じて、ライトがいる。薄明るいが、時計の文字も見えない。秋分まであと少しだが、こんどは夜が長くなるから、この暗い時間が長くなる。生暖かさのある部屋で、北の窓からは、冷気と思える風が入る。今頃、クシャミ連発、飛んでいるのは何。アメダスの6時の気温、21.9℃、気圧は、1017.0hPa、湿度は77%。室温は、23℃、高め。

  最近は包丁を使うといってもせいぜいリンゴを切るくらいである。もう一つ、それから、この辺りでは、『コブジメ』という食べ物があるけど、中がサス、これはカジキマグロのことだと思う、その身を昆布で包んでいる、これを切るくらいで、これが切れない。分解してしまう。で、包丁を研ぐが、研いでも硬い昆布は切れない。ノコギリがいる。
  それで、とうとう、もう四分の一くらいに切ってある、こんどは、カボチャを切らないといけなくなったが、うまく切れない。包丁が折れそうで、また包丁の背のほうが手を切りそうで、弱った。手袋となにかの厚い布がいると思う。でも、すでに四分の一である。切らないわけにはゆかず、手に赤い跡を残して、血は出ず、カボチャは、小さくなった。カボチャの切り方がわからない。ノコギリで切るのが正解か。

  叔父さんがいる。母と血のつながりがあり、普通のおじさんとは違う。野菜作り、その他、畑仕事それ以外の何でもかんでもやる人で、もとは会社員でそれもお金に関する仕事をされて、そうゆうときは、昼は会社。朝と晩は畑ということをやられていて、まずは敵なしという感じ。相変わらずきびしく、会うたびに頑固一徹で、口もまともに聞いてくれない。用が済むとさっさと帰る。叔母さまと母が話ししていると、車のクラクションを鳴らす。これは使い方を間違えている。
  この前は、サツマイモを持って来てくれた。サツマイモは、好物だが、これも最近切ったことがない。硬そうである。このサツマイモは、楕円を回転させたものに近いが、遠く空に浮ぶ、小惑星のような形をしていて、安定性が悪そう。切る切らないでいうと、切るに気を使うし、切れそうにない。まだ切っていない。もしこれが切れたとして、はたして食欲の秋で、満杯のお腹に入るか、という問題もある。

  サツマイモといえば、パン君はそのまま齧った。そうゆうVTRを見たと記憶する。おいしい、と顔が言っている。しかしパン君はやせているようである。よく動くからだろう。

  写真:赤い葉と黄色い葉、と緑の、カエデかな。

田園散歩道

2009-09-21 18:51:54 | 散策
  田園というと、交響曲とか書きそうになって、あわてて修正する。田園の音というのはあるのかどうか。昔は、案山子があって、カラスの、スズメの撃退のためで、今は田園というと、エンジン音は主で、それ以外はそろそろと揺れるイネの葉のきしれる音が聞こえそうで、聞いているか。その音が純粋に風の音、ということも考えられるが、この辺りはわからないものがある。風は音を持つのか。

  もう一昨日になるが、広い田園を見て、その先に青く続く能登半島も見て、この姿というか、どこまでも続くような半島の薄っすらした青い色を追い続けて、しかしそれは地上の建物のせいでか、それ以外のせいかも知れない。最後には見えなくなったが、この半島はここからだと、かなり先のほうまで伸びる感じで、方角でいうとほぼ真北辺りが、半島の最東端になると思う。その姿は、海までいっても見えないということが多く、かなり昔になんども行った海岸から、その半島は北西辺りで切れて見えない。これだと地図でたしかめると、半島の付け根とか、あるいはまだ半島でない石川県で、能登半島のイメージは変わった。間単には見えない。
  それが一昨日に見えたのだから、これはすごく、北風に感謝もした。そうゆうときがあって、辺りは田園で、国道は田園の中を走る。

  近くでなくても、コンバインか、トラクタかが見えて、稲刈りに忙しい。広い広い平野があって、一部は大豆がある。春までは、麦が生えていた。ところもあるだろうし、そうでないところもありそうで、見渡す限り田園。その先に、かなり北の方角まで、青い薄い半島が見えてこうゆう機会は滅多にない。
  この道の少しを、きょねんはなんども往復して、その最後というときが来た。もうこの道を通って、父を見舞いに行く必要もなくなる時間がついに来た。父の死は、もうはっきりとわかっていて、ただそのときがいつかという問題が残されただけだったが、今思うに、死の一ヶ月前くらいまでは、まだ何とかなるのではとは思っていたのは事実で、しかし、点滴を見てもこれで生きられるカロリはなく、栄養も含まれてなく、もう投薬もなく、またやせこけて、昔でいうのも今でいうのも同じ、完璧な栄養失調の状態で、熱があって、顔はやせてはいないが、その下に残るのは、パジャマを着ているからわからないが、骨と皮というのは明らかだった。

  ある看護師さんは、血圧を測ろうとしていたが、その装置が、圧を測るためのベルトのようなものが、腕が細すぎてブカブカで、留めることも出来ないのである。もっとも飢えていた戦前・戦後という時代を生き延びて、食いしん坊で、それで痩身だった、父の最期の姿は、これも見るにしのびなく、餓死という言葉さえ思い出された。

  こうゆうことも、思い出すもので、あまりその道を行きたいという気はないのだが、自分がまだ飢えるわけにゆかなく、そうゆう過去は早く忘れるべきだと思うが、たまには思い出して、書かないといけないような気もする。死の当日というのがあるが、これはなかなか表現が出来ない。

  なぜ、田園から、田園を散歩して、こうゆうことになるのか、それもときどき思い出されるのか、何かが錯綜する。今でもそのことを強く思い出して、何で死ななきゃならなかったのか、という思いが頭を駆け回るときもある。




  晴れている。田んぼの方から、バッタが飛び出してきて、それに気が付いて
  何でも虫は、撮る、なんでもは間違いで、適度なものは撮る。バッタも
  身の危険を感じるようだ。




  食べないのだけど、だけどバッタも食べられたという記憶があるんだろう。
  すぐにこの茂みに逃げ込む。




  いい天気で、イネも順調というところ。




  すでに刈られた。というところ。草の匂いがする。それから目がちくちく
  しそうな感じ。




  イネは刈り取られ、その茎は細かく刻まれて、そのまま田んぼに戻る。
  この絵を見てそう思うが、大体この辺りは、刈り取りとイネの茎の
  処理は同時に行なわれるようである。




  黄金色。1年前もあって、来年はどうか。




  来年は、麦畑で、さらに大豆が植えられているかも知れない。




  町があって、田園があるか、田園に町があるか。
  この田んぼもきれいに、イネが最後には頭を垂れた。少し他の草も生えて
  というところが、いいのである。 

朝の、緑葉の明暗

2009-09-21 16:24:15 | 植物・花(秋)
  最高気温、は、午後3時までで、気象台の値で、26℃。

  これだと楽だと思うが、そうでもなく、風は北風だが
  弱く、日が強くて結構日焼けしそうな、天気。
  風はゆるいが、北風。フェーン現象ではなかった。
  はずれた。

  日向ぼっこではないが、日に当たっていると、そうとう暑い。
  たまに影に入らないと、クラクラしそう。

  朝の木々、まだ緑葉で、落葉する木々の葉も
  紅葉は遠く、薄く茶色いもの、薄赤いもの少々。
  他はまだ緑、常緑のものは無論、緑のまま。





  今朝、日の出前。もうすぐに日が出る時間、山の端が少し明るい。




  以下は、きのうの朝、日も高め。アオキ。




  ヤマアジサイかガクアジサイか、葉っぱはずっと緑。
  そっくり返った、ガク、装飾花も、まだ赤いままのものある。




  緑のままの木。




  カエデは落葉して、枝だけになる。ことしは、枝が伸びて
  これは雪がひどいと折れる。たぶん間違いなく折れると思う。




  常緑樹と、落葉樹の入り乱れ。




  カエデ。古木のカエデで、折れたり切られたり、その傷痕の激しいこと。




  これはヒガンバナで、左はミョウガで、右側は不明。

今日も秋晴れだが、気温は上がる

2009-09-21 06:44:54 | 散策




  朝のお天気は、快晴。雲も少しあるが、快晴で間違いない。朝焼けがあった。赤いというのではなく、それに近い黄色辺りの色が変化して朝から美しい色合いを見る。今はなぜか風がない。また煙突から出る煙も、ほぼ垂直に上昇している。アメダスの、6時の気温、15.2℃、これは冷え込んだ。気圧は1016.2hPa、湿度は、92%。室温は、20℃。

  20℃前後の気温というか温度だと、なぜか快眠というのが出来て、それももう起きる時間頃の出来事だから、何となくだがくやしい気もする。これがもう少し前であるといいのだが、起きる前頃に起こる。惜しいと自分でも思う。時計を見ると、起きろと書いてある。
  ゴミ出しがある。今日は旗日で、敬老の日で、しかし、ゴミ出しの方は通常と同じ。敬老の日、敬老なんて日頃考えていない。忘れている。そして、ゴミを出すまでもたついて、足の裏が痛い。この痛いのは、足が腫れたとかいうのではなく、ガサガサの足の裏が、さっと切れているのが原因で、なかなかそこは見えない。だから謎のまま。で、それを鏡で見たが、そこに赤チンを塗るのにも難儀。で、やはり歩くと、足のかかとのほうの裏が痛い感じ。これも老化だが、敬老と関係はなさそう。

  涼しい日が続いて、星空も美しい時間があったが、交互に曇りと晴れが出た。今は15℃台の気温、過ごしやすい。太陽は燦燦と輝く。でもきのうも同じ、で、今日の最高気温は、予報だと27℃か28℃。計算でゆくと、12℃か13℃もこれから上がることになる。そうゆうことを可能にするのは、フェーン現象しかない?!。ないのではないか。今日は、風が南から吹き、生暖かい風がやがて、暑い、熱い風に変わりそうで、ありがたくはない。おとなしくしているのがいいが。
  それでも買い物とかいかないといけない。暑い一日が久しぶりに待っていて、今日も稲刈りの方々はもっと大変。

  写真:スイフヨウ、咲き始める。