ヒマワリというと、夏も早くから咲くものは咲いて、その盛夏のころにそのヒマワリをたずねると、ぐったりとしていたりして、ヒマワリも割りと脆弱な花だと思う反面、暑くても咲く花でもあるから、脆弱なものもあるがもともと暑さにも、乾燥にも強い植物なのではないか、という気もする。ヒマワリが夏の花で、それでも学校でも育てたりするものの、水遣りとか大きくなりすぎるというのが問題といえば問題で、
そんな場所は、今でこそ都会の真ん中の小学校は、人も少ないのではないか、と想像され、ヒマワリの100本くらいは、簡単に育てられるのではないか。それから、秋だとジャガイモやらサツマイモさえ、そのコンクリートの、あるいはアスファルトのような、それでいて柔らかく、草の生えない校庭を地面にもどしさえすれば、実が育つと思う。結構な生き物を育てられる場として、十分考えられる。そうなると、なんでもが楽しくなりそうで、一々体験学習とかで遠くに出かけなくてもいい。今頃の、都会の学校というのも、ある意味贅沢な空間で、その学級に生徒は何人いるか。
特に40人学級とか、それよりも少ない生徒といわなくても、人がいないと大体子供も少ないわけで、いい感じ。それに似て
都会とは離れた田舎も街の学校も、人が減って、ついに歴史ある小学校も、閉校になって、同じもの一つか、新しい名の小学校になる。それでも生徒の数は少なく、それで一学級の生徒の数はいくらか、というのはよくは知らない。その反対というのが大体、街から離れた、そうゆうところの新興住宅地。これにも新旧あって、大きな小学校がさらに大きくなり、中学はそれよりも大きく、破裂するかもと思う。似たようなことが時代を超えて起こっているが、その街の中の小学校もやっぱり稲を育てるというと、少し離れている、田園もある住宅地のそばの休耕田を借り、泥んこの中へ、いかにも嬉しそうにまたおっかなびっくりで、どろどろの田んぼの土の中へと入ってゆく。あー怖い、という感触が、いつも見るその光景、TVでだが、走るのである。戦慄に近い。昔の学校で、イネを植えてというのはなかった。しかしここは昔話しはない。今の話しで、イネなどは学校だと、プラのバケツに植えられるようで、この前それを見た。その横にどでかい水田があるのだが。
ヒマワリの話しで、これはあまり続かない。ヒマワリというと何だろうかというものがある。チューリップだと、どうか。これも小学校などではよく植えられる。なんでかというとわからない。そもそもヒマワリは日本に自生していたのだろうか。よそから入って来たのだろうか。どうも後者のような感じで、ヒマワリの絵とかいうものを見るのは、昔し、時代を遡ってあるかどうか、チューリップも疑わしい。
ヒマワリのよさは、夏の花だから暑さに負けないこととそれに何があるか、多少は荒地でも育つとかあるのかも知れない。もっとも見ごたえのあるのは、大きなヒマワリ畑で、しかしそれは、大きさの程度もヒマワリの種類の豊富さも、外国のそれにかなわないのではないか。色といい、大きさといい、さっぱり感もあるし、また雄大な眺めも期待される。それに種子からは、油も取れる。これが一番大きな、播かれる原因か。で、ヒマワリも咲いた後というのがあって、それを見ていると、緑の葉っぱは黒く、また花、花弁も色黒く、タネも同じで、不吉感さえあるがこの辺りはさっと割り切って見るものなのだろう。タネ取るときに、さっさと刈り取られるものなのかも。
ここにはヒマワリはなく、確か去年の春、タネ播いて2本のヒマワリの茎が出て秋にいくつかの花が咲いた。それはそのまま、置いておいた。ヒゲナデシコのようにはタネを採らなかった。そのヒゲナデシコのタネは、まだそこに置いてある。いつか播かないとっと思うが、雑草があると負けるし、いい方法がなく最後は怠けている。ヒマワリは、買ったタネの残りがあるが、これはどうかな。もう咲かないかも。それで、もう一度今頃、きょねん枯れたヒマワリから、どうして出たのかは不明だが、でも咲いているそれを見るとやけに小さい。あーこれでは
ヒマワリに、ヒマワリの花には気が付かない、ため息の出る小さなヒマワリでそれでも咲いたのは、なぜか。
小さく一輪。朝大きさをと思って見たが、小さいという印象しかなかった。
エノコログサとか比べてみても、小さい。
よく出るというか、ここしか出ない、たくさんの花を付けた、ヒマワリと
比べてみる。遠くに黄色いのがあるが、それよりはるかに小さい。
寂しいので、コスモスの花も引っ張り出した。この花も、ボチボチ。
コスモスの大草原だと、返って目立つがこれだと、かわいそう。
晴れ間のイネで、このまま生長すれば、と期待する。
あちこちから、花を引っ張り出して、少し群生らしいニラの白花。
緑のピラカンサの実。ピラカンサは、棘も出る。それゆえ垣とかに
使われるそうだが、適度なところで切らないと、危ないそうである。
あー、どうにか終わった、というか、ひとまずはおしまい。
そんな場所は、今でこそ都会の真ん中の小学校は、人も少ないのではないか、と想像され、ヒマワリの100本くらいは、簡単に育てられるのではないか。それから、秋だとジャガイモやらサツマイモさえ、そのコンクリートの、あるいはアスファルトのような、それでいて柔らかく、草の生えない校庭を地面にもどしさえすれば、実が育つと思う。結構な生き物を育てられる場として、十分考えられる。そうなると、なんでもが楽しくなりそうで、一々体験学習とかで遠くに出かけなくてもいい。今頃の、都会の学校というのも、ある意味贅沢な空間で、その学級に生徒は何人いるか。
特に40人学級とか、それよりも少ない生徒といわなくても、人がいないと大体子供も少ないわけで、いい感じ。それに似て
都会とは離れた田舎も街の学校も、人が減って、ついに歴史ある小学校も、閉校になって、同じもの一つか、新しい名の小学校になる。それでも生徒の数は少なく、それで一学級の生徒の数はいくらか、というのはよくは知らない。その反対というのが大体、街から離れた、そうゆうところの新興住宅地。これにも新旧あって、大きな小学校がさらに大きくなり、中学はそれよりも大きく、破裂するかもと思う。似たようなことが時代を超えて起こっているが、その街の中の小学校もやっぱり稲を育てるというと、少し離れている、田園もある住宅地のそばの休耕田を借り、泥んこの中へ、いかにも嬉しそうにまたおっかなびっくりで、どろどろの田んぼの土の中へと入ってゆく。あー怖い、という感触が、いつも見るその光景、TVでだが、走るのである。戦慄に近い。昔の学校で、イネを植えてというのはなかった。しかしここは昔話しはない。今の話しで、イネなどは学校だと、プラのバケツに植えられるようで、この前それを見た。その横にどでかい水田があるのだが。
ヒマワリの話しで、これはあまり続かない。ヒマワリというと何だろうかというものがある。チューリップだと、どうか。これも小学校などではよく植えられる。なんでかというとわからない。そもそもヒマワリは日本に自生していたのだろうか。よそから入って来たのだろうか。どうも後者のような感じで、ヒマワリの絵とかいうものを見るのは、昔し、時代を遡ってあるかどうか、チューリップも疑わしい。
ヒマワリのよさは、夏の花だから暑さに負けないこととそれに何があるか、多少は荒地でも育つとかあるのかも知れない。もっとも見ごたえのあるのは、大きなヒマワリ畑で、しかしそれは、大きさの程度もヒマワリの種類の豊富さも、外国のそれにかなわないのではないか。色といい、大きさといい、さっぱり感もあるし、また雄大な眺めも期待される。それに種子からは、油も取れる。これが一番大きな、播かれる原因か。で、ヒマワリも咲いた後というのがあって、それを見ていると、緑の葉っぱは黒く、また花、花弁も色黒く、タネも同じで、不吉感さえあるがこの辺りはさっと割り切って見るものなのだろう。タネ取るときに、さっさと刈り取られるものなのかも。
ここにはヒマワリはなく、確か去年の春、タネ播いて2本のヒマワリの茎が出て秋にいくつかの花が咲いた。それはそのまま、置いておいた。ヒゲナデシコのようにはタネを採らなかった。そのヒゲナデシコのタネは、まだそこに置いてある。いつか播かないとっと思うが、雑草があると負けるし、いい方法がなく最後は怠けている。ヒマワリは、買ったタネの残りがあるが、これはどうかな。もう咲かないかも。それで、もう一度今頃、きょねん枯れたヒマワリから、どうして出たのかは不明だが、でも咲いているそれを見るとやけに小さい。あーこれでは
ヒマワリに、ヒマワリの花には気が付かない、ため息の出る小さなヒマワリでそれでも咲いたのは、なぜか。
小さく一輪。朝大きさをと思って見たが、小さいという印象しかなかった。
エノコログサとか比べてみても、小さい。
よく出るというか、ここしか出ない、たくさんの花を付けた、ヒマワリと
比べてみる。遠くに黄色いのがあるが、それよりはるかに小さい。
寂しいので、コスモスの花も引っ張り出した。この花も、ボチボチ。
コスモスの大草原だと、返って目立つがこれだと、かわいそう。
晴れ間のイネで、このまま生長すれば、と期待する。
あちこちから、花を引っ張り出して、少し群生らしいニラの白花。
緑のピラカンサの実。ピラカンサは、棘も出る。それゆえ垣とかに
使われるそうだが、適度なところで切らないと、危ないそうである。
あー、どうにか終わった、というか、ひとまずはおしまい。