光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

コスモス、憧れの花。

2009-09-14 18:52:50 | 植物・花(秋)
  枯れたという感じの、空き地というのは、昔の家にはどうしてもあるようで、これも管理の仕方があるようで、しかし人も住めないような、となると大変だが、そうではないとすると、ある程度その荒れた地面を何とかしないといけない。こうゆうときは、砂しかない、砂漠とか、真砂という言葉を思い出すが、後者は全く関係はない。砂漠、トウキョウ砂漠とか言葉があるが、もしか本物の砂漠にぽつんと置いてきぼりにされると、草のあるところを、水の流れているところを探すだろう。さほど、絶望的でもないが、希望もないわけでもないし。
  黄河から黄砂が思い出されるのではなく、黄砂から黄河が思い出されて、その川の流れる辺りの状態というのは、何かの文で読んだ気がするが、そうゆうところというのは本当に草の苔の、また木々の一本も生えていないらしい。水がないというか、栄養もないし、まずは植物のタネが根を張ることが出来ない。岩石をも溶かす植物もあれば、その崖と岩と石しかない、そうゆうところに植物は生えない。
  これは本当のようで、これをうらやましいと思う人はいないと思う。砂漠化、最近聞かない。温暖化の候でまあるくおさまっている。今でも雨さえ降れば、一気に生き物の芽が、それはほとんど植物だろうし、もう少し下等なものもあるのかも知れないが、一気に出てくる。そうゆうこともない地帯がある。黄河の流域だけでなく、もっとたくさんの砂漠地帯、氷しかない、永久凍土の地域。雪に覆われる、極地。

  考えるとまずは列島の人が住めるようなところではないようで、だからあまり、そうゆうことは考えないし、興味もない。どちらかというと、いらない草はいらない、当たり前のようで、観賞用の植物を植える。鉢に、プランタに、花壇に。私もそうしたいと思わないことはないけれど、荒地のようなところには草があるし、さてタネを播いても芽が出ないようなところもあれば、強い草に負けてやはり発芽できない、そうゆう植物は多そうである。実際、ヒマワリなどタネを播いても芽が出てくるところは少ない。そこが、ただの土しか最初はないところでも。

  春に草を刈ってそのときはずいぶんとやさしい草が生えていて、草刈の人も手持ち無沙汰の感じがあった。それからかなり時間がたって、剛の者の草が最後に残った。これも少しずつ背を低くしているが、これに比べてヒメジョオンなどは、ずいぶんと優しい花で、普通の鎌でもすっと切れそうで、でも腰は痛くなるのでやらない。最後に残った、それはセイタカアワダチソウではなかった、菊科の草の茎は、草刈機の金属製の円状のノコギリの刃を相当ゆがめて、あるいは一部はそれをすり減らして、倒れたようで、なかなか力のいる仕事のようで素人はやらないのが無難に思えた。空き地の1年というのも眺めてみたいと思う。それはしかし、たかが空き地でもなかなかむつかしい。

  ほったらかしの、荒れた地面にもしもコスモスが咲いてくれたら、というのは一度は考えてみるが、それは普通あり得ない。でもコスモス畑はある。コスモスは1年草だから、ある時期にタネを播かないといけない。同じように見える地面で、他の草も、それが雑草のようにも見えるが、同時にコスモスの芽が、それからもう少し大きくなったものが生長するのを見ていると、何か特殊なこと、マジックではない、何かをやっていそうで、ただタネを播けばいいというものでもないだろう。
  あるところでは、必ずコスモスが咲き、あるところのここは、荒地に咲く気の強い菊科の草が、今は繁茂した。この後どうなるか、特に興味はなく、やっぱりほっておけば、また来年の春の雑草が咲く。そうあって欲しいが、まさかコスモスの花が咲くことはないだろう、これは絶対にない。
  雑草の盛んなところで、割と大き目の葉っぱを持った、単子葉植物かな、そうゆうものもよく見かける。そうゆうものもこちらでは育たない。これも不思議の一つ。





  小雨も降っていた、そうゆうときの、コスモス。田園も気が重そうな
  感じが漂う。




  このお天気では、蜂も、チョウも他の虫も、マメコガネも、 
  コスモスにはいないようである。




  暗めのコスモスで、短日植物であるので、これがいいと思うが、花は
  今ひとつ。




  選挙の日に撮った、フヨウの花のその後だが、だから丸2週間は開いたが、
  それでもまだまだ、花はたくさん咲きそうである。




  日が変わって、晴れのコスモス。同じ色の花が、一気に咲き始めた。




  風で、花は上を向いたり下向いたりで、結構面白い。




  日傘コスモスで、上の写真からつながっている。




  角度というか、どこから見るかによって、かなりの花の密度の違いがあって
  これくらいだと、結構咲いている、咲き乱れるという表現も
  当たっているかもと思ったり。

雲と夕日と、朝焼けと

2009-09-14 16:02:09 | 散策
  晴れ、お天気は晴れで、気温もほどほど。風もある。

  いうことなしのようで、
  草刈りをお願いした。ひどいというのは草も丈夫というのもあるが、
  まずは「蚊」で、あっという間にそこらじゅう咬まれた。
  こうなると、無数の蚊に咬まれた感じがある。すぐに
  虫刺されの薬を塗る。順序が反対だった。
  ひどい、毛虫が、つぶすしかない。これは他のところ
  でも同じだと思う。ひどいもう一つは、花のタネ。
  非常に小さい、羽子板の羽のよう。これは飛ぶ。
  でも、目には入らないようだ。


  雲がきれいな、きのうの雨の後の時間。
  夕日。
  そして、今朝の日の出までの時間の朝の空。




  よくありそうで、何雲かわからない。雨を降らせない雲?。




  雲も変化するが、上のものとどのくらいの時間差があるか、
  そんなには開いていないはずだが。




  飛行船のような雲で、日が当たるお尻は白い。




  ギラり、夕日が光る。この時間がやけに早くなった来た。




  ずいぶんと太陽がちっちゃくなった。



  
  澄み切った空の夕日で、この後すぐ山に沈んだ。




  日の出前だが、時間としては遅かったようで、かすかに
  黄色い色、緑がかった色が出ている。もう少し早いと、どうだったか。




  東から、南東辺りに、アルプスの山並みが見える。今日は朝は
  山が影になって見えていた。その上の空の色が緑っぽいのが
  不思議で、美しい。

秋の放射冷却

2009-09-14 06:46:05 | 散策




  朝のお天気は、薄い雲もあるがほぼ快晴。雲が薄くて、星もよく見えていたが、だんだんと気温も下がって、一番の冷え込みだと思う。風はほとんどなく、遠くの工場の煙突の煙は、南から北へ流れている。風がもう少し強いと、冷たさも増した。アメダスの、6時の気温、15.6℃。17℃から16℃、そして15℃台になった。室温は、19.3℃で、20℃を下回った。

  風がないように感じて、しかしある窓からはそこそこの風が吹いて、それで星も眺めると、いい星空で、久しぶりの星空観賞という言葉が使える。この時期にようやく満点とはいかないが、ほどほどの星空があって、それを長く見ていられないのは、一つはまだ眠いのと、涼しさで体温も下がりそうで、慌てて布団に入る。午前4時だと、まだ暗くしかしお腹のへこんだ、月がふたご座にあって、冬の星座を照らしていたから見応えも十分で、この景色はいつ見てもおかしなものだ。なんでこのようなところに月があるのか。そのすぐそばに、赤い火星がある、そのように見えた。この火星も、月の明るさで、かき消されてしまいそうで、しかし晴れていたから、赤い点ははっきりしていた。今も、月は空高くあるはずだが、ゴミ捨てのときに、それを見るのを忘れた。

  涼しいか、寒いかというと、涼しいくらいで、夢を見て突然目覚ましの音がなったのでいつものように慌てる。こんなはずじゃなかった。もう少し早く目が開いて、日の出前の空の色、雲の色の変化を見るはずだった。いつもだとその時刻には、目も開くのだが、開かない。放射冷却はそこそこの安眠を提供する。もっとも今頃だけで、ブルブルと震える、あるいは布団から出られない、そうゆときは、もうすぐ来そうだが、安眠のもとにならないだろう。

  慌てること。ゴミ捨てに歩いて、天気情報は見る必要はなく。それから順序どおり顔を洗った。さほど普段と遅れることもない。日の出の様子だが、その前の時間に変化があって、もう間近だとただ空は明るいだけ。真っ白な様子がある。秋そのもので、これも今日だけという。明日は雨か。あさってはどうか。

  写真:サルビアか、セージの仲間。色も花の造りも興味深い。