花は、コスモス。これで決まって、他はというと、フジバカマ、これはゆっくり
目で咲き始めていて、あとは鶏頭、秋の鶏頭も、あちこち咲いているが、ここには
ない。秋のバラ。見かけなくないこともないが、今はぱっと見。地面の乾きが目
だって、乾燥に弱い花は、元気がない。キバナコスモスも、お気に入りかも知れない
シュウメイギクも、咲かないようなところもある。
それに比べて、コスモスは、夏のある時期までは、先が思い遣られる感があったが、
今は全盛でこの世の秋、という感じで、ただコスモスも雨に打たれる、あるいは暗めの
コスモスというのもいいので、それがいつになるか、しかしそれも偶然を待たないと
いけない。
最近の失態というか、失敗は病院での気色の悪さで、それの前兆見たいのは、
過去を振り返るとあったような気がする。シルバーウイークというのも、これは曲者で、
いい感じはなかった。ダラッとしていいようでそうでもないし、正月というのもどう
過ごしていいか最近はわからないが、それに似て、いい加減休みを続けるのも勘弁
してほしい。
病院に行くときというと、これもおかしいと考えるのは普通だが、例えばそうゆう
ときに限って天気が悪いというのがある。これは、その反対が多かった。だから、
冬のという場合、大雪が降るときもあって、その日も大雪で、というときもあったが、
それに比べてその前後のほうが悪いというときもある。結果としては、雪が降ろうが、
多少は渋滞しようが、その前、その後はもっと悪かった。
それが最近、行く日となると、雨だったり、大雨だったり。こうなると、何か
この先もそうなるのではと考えることもある。高が病院だが、されど病院で、
それだけで済まないしなー。それが二度、三度続く。調子というか、呪い、あるいは
占いみたいなものを自分でやってしまう。結果はいいはずがない。
最近の失態、郵便局で、これは間違えそうだ、というのがあって、前もって練習も
し、結果やっぱり間違えた。番号を右寄せというのもすでにわかっているが、いざそこで、
書くとなると、二つでなく一つだが、桁の位置を間違えた。この感触は「おねしょ」をした
ような気色の悪さがある。これも間違えそうだ、と思って結局間違えた。こうゆうものは
続くようで、今日もあれだけ、忘れず郵便物を投函すると言い聞かせたというのに、
忘れた。何とも、気分の悪さが付きまとう。
自分も年齢が、いい歳になる。物忘れは人並み以上で、記憶力もない。父が亡く
なっていろいろ事務手続きをしないといけなかったが、それも間違えつつどうにか
終わった。かのようで、そうでもないかも知れない。まだ、そのときは幸運というのが
あった。すでに母も認知症であったから、結局いくつかの、と言っても二十面相で
はない、顔を持たないといけなくなり、それらがごっちゃにならないように、それこそ
なんども練習とか、コピを使って間違わないようにした。それをやらなくなって、
かなりになるが、「その後」というのは、そう簡単には終わらない。
人の記憶というのは、どんどんと減る。怪しくなる、作る。うらやましくも思え
るときもある。何も覚えてなくて、といえる人はうらやましい。しかし、そうゆう風に
ゆかない、時代で、すべてに認証がいるし、それを悪用する事件、というか犯罪は必ず
増える。ややこしい時代で、小さな間違いで済んでいるが、これがいつ大問題に
なるか、考えると不安。これ、不安にも時代は非常に!敏感に反応する。
あまり、細かいことは書けない。書かない方がいい。どうなるか、結局最後は、
誰にもわからない気がするが。
それで、相変わらずのコスモス。
大きさを間違えた。ここは、もう少し小さくするところ、出すとしたら、一つ前で、
それも間違えた。
空中に向かう、コスモス。自分の位置を下げて。
紅白の、空中コスモス。
向こう側の緑があって、うまく白い空、実際は青空だったはず、に白と赤の
コスモスがうまく映えた。
色が強いが、印象的。
印象派。
風が、向こうに青い空の、穴を創った。
目で咲き始めていて、あとは鶏頭、秋の鶏頭も、あちこち咲いているが、ここには
ない。秋のバラ。見かけなくないこともないが、今はぱっと見。地面の乾きが目
だって、乾燥に弱い花は、元気がない。キバナコスモスも、お気に入りかも知れない
シュウメイギクも、咲かないようなところもある。
それに比べて、コスモスは、夏のある時期までは、先が思い遣られる感があったが、
今は全盛でこの世の秋、という感じで、ただコスモスも雨に打たれる、あるいは暗めの
コスモスというのもいいので、それがいつになるか、しかしそれも偶然を待たないと
いけない。
最近の失態というか、失敗は病院での気色の悪さで、それの前兆見たいのは、
過去を振り返るとあったような気がする。シルバーウイークというのも、これは曲者で、
いい感じはなかった。ダラッとしていいようでそうでもないし、正月というのもどう
過ごしていいか最近はわからないが、それに似て、いい加減休みを続けるのも勘弁
してほしい。
病院に行くときというと、これもおかしいと考えるのは普通だが、例えばそうゆう
ときに限って天気が悪いというのがある。これは、その反対が多かった。だから、
冬のという場合、大雪が降るときもあって、その日も大雪で、というときもあったが、
それに比べてその前後のほうが悪いというときもある。結果としては、雪が降ろうが、
多少は渋滞しようが、その前、その後はもっと悪かった。
それが最近、行く日となると、雨だったり、大雨だったり。こうなると、何か
この先もそうなるのではと考えることもある。高が病院だが、されど病院で、
それだけで済まないしなー。それが二度、三度続く。調子というか、呪い、あるいは
占いみたいなものを自分でやってしまう。結果はいいはずがない。
最近の失態、郵便局で、これは間違えそうだ、というのがあって、前もって練習も
し、結果やっぱり間違えた。番号を右寄せというのもすでにわかっているが、いざそこで、
書くとなると、二つでなく一つだが、桁の位置を間違えた。この感触は「おねしょ」をした
ような気色の悪さがある。これも間違えそうだ、と思って結局間違えた。こうゆうものは
続くようで、今日もあれだけ、忘れず郵便物を投函すると言い聞かせたというのに、
忘れた。何とも、気分の悪さが付きまとう。
自分も年齢が、いい歳になる。物忘れは人並み以上で、記憶力もない。父が亡く
なっていろいろ事務手続きをしないといけなかったが、それも間違えつつどうにか
終わった。かのようで、そうでもないかも知れない。まだ、そのときは幸運というのが
あった。すでに母も認知症であったから、結局いくつかの、と言っても二十面相で
はない、顔を持たないといけなくなり、それらがごっちゃにならないように、それこそ
なんども練習とか、コピを使って間違わないようにした。それをやらなくなって、
かなりになるが、「その後」というのは、そう簡単には終わらない。
人の記憶というのは、どんどんと減る。怪しくなる、作る。うらやましくも思え
るときもある。何も覚えてなくて、といえる人はうらやましい。しかし、そうゆう風に
ゆかない、時代で、すべてに認証がいるし、それを悪用する事件、というか犯罪は必ず
増える。ややこしい時代で、小さな間違いで済んでいるが、これがいつ大問題に
なるか、考えると不安。これ、不安にも時代は非常に!敏感に反応する。
あまり、細かいことは書けない。書かない方がいい。どうなるか、結局最後は、
誰にもわからない気がするが。
それで、相変わらずのコスモス。
大きさを間違えた。ここは、もう少し小さくするところ、出すとしたら、一つ前で、
それも間違えた。
空中に向かう、コスモス。自分の位置を下げて。
紅白の、空中コスモス。
向こう側の緑があって、うまく白い空、実際は青空だったはず、に白と赤の
コスモスがうまく映えた。
色が強いが、印象的。
印象派。
風が、向こうに青い空の、穴を創った。