どれだけ降れば気がすむか、呆れるほど、雨が短時間に降って、それからその前から、落雷がひどく、ピカピカと光るとしか書けない、くらいに、雷は落ちた。どこに、その電子はあったか、もともと地上にあって、それで最後には元に戻るらしい。そこが落雷の地点となって、地上のあらゆる地点に可能性がありそうだが、それこそ、光ると同時に音が鳴り響いて、生きた心地というのも半分はなかった。全く、雷様のご機嫌も斜めを通り越している。それで、今はその雨も雷も、どこかへといったようで、その雷雲の通過している地域は、同じように、豪雨が降り、これはそのように感じられた、さらにピカピカと光って、地響きの音のような、空気振動を起こしている。
よく、TVで、雹とか降るものを見る。これは氷で出来たピンポン玉のようで、もっといかついだろう、それが落ちるとこれは薄いガラス窓など簡単に割れてしまう。幸い、パチパチからバチバチはあって瞬間見えるその氷玉の大きさは、1cmか2cmか、それでも大きなほうで、こうゆうものがどのくらいのスピードで落下するか知らないが、それにしても、ほぼ垂直に落下する、霰でよかった。恐らく3、4cmある氷だと薄い窓ガラスは割れていた。その可能性もあった。その大きさより小さくて、あの音だから、さらに角度が違っていたらと思うと、ぞっとするが、
日ごろお天気の悪口を書いているが、どうにか、神様が仏様がいるとして、この「うち」のガラス窓を壊さない程度で雨、霰を降らせてくれたことに、感謝しておかないといけない。
1時間程度、雷雨が続いて、その後もまだまだおさまりはつかなかった。いつ終わるのか、この悪夢はと思う。雑草が生えていて、雨の勢いも地面ではそうひどくはなく、逆に気力のない雑草などは倒れている。なんだか悪いことをしたという気分だが、ここに草が生えていてよかったというところは昔から、ここにはあってその働きで、何とかこの建物はこれ以上は傾かないようになっていると思う。
建物の傾きというと、ガラス窓など大きいと、人の背より高いが、窓枠とガラス戸の上の方は空きがなく、下の方は結構開いていて、そのうちに向こうが見えそうで、見えないところで止まっている。ということは、このうちは、上の方が北にずれていることになる。これは地面の傾き、と同じで、盛り土の効果もなくなっていることを示していて、なんとも遣る瀬無い気分である。
何が起こるかわからない、そうゆう世の中だけど、まだまだしがみ付いてこの世の人でないといけなく、ほどほどに頭を悩ませて、それ以上に老化が進むのはしょうがないが、これはいくつかの画像を見ていても、考えさせられるものがある。何にも使えないものなどないというより、その逆で、何にも使えないようなそうゆうものが多く、その中からこれはどうか、まるで占いというか、カードを引くような気分で、どれにするか決める。もともと似たようなものばかり。
ブログの1年は大体似ていて、また同じようなことが必ず出る、絵もそうだし、書いていることも、自分でもまたこんなことを、同じことを、と思うことが多いこと。それくらいに、何か新しいものはなく、それから情報というものもここにはない。どこそこの、何という、名所旧跡の名前はまずは出ないで、遠くから眺めるものくらいがいいところ。それ以外は、ここはどこかという感じで、そんなものはどこにでもあって、ということになる。だから自分の書いているものは、1年たってくれると自動的に消滅してくれるとありがたいのだが、誰かというかブログを経営している方は、自動的に時間がたてば消えて行くというシステムを開発してくれないか。
歩いていると、周りは田んぼだから、イネのお米の状態というか、生育具合を見るのは簡単で、でもその実際のところというのは、勘でしかわからず、その色の様子を見たり、粒の大小、数の加減など、わかるようになるべく写真も撮っている。この冷夏の影響で、イネの生育状態はよくはないが、しかし秋晴れのときがないわけでなく、そうゆうときだとイネは光って見えるもので、多くは太陽光にもよるが、昔の時代というものも思い出させてくれる。
その昔に、どこにでもあった田園風景は時間の位相の違いが大きいようで、今は稲刈りは遅く設定しても、9月の半ば以降のようだ。昔は、
それはここの田園ではないが、10月とかそれも後半のようで、つるべ落としという時刻をも思い出させてくれる、そのくらいまで、イネの刈り取られた跡で、遊んでいて、それ以外に必要なものは、なかった。カラスのことなど知りもしないが、時間が来て、帰るところがあった。
クマバチ、ダンゴバチとかもいわれるこの蜂は今でもどこにでもいて、
もも色のハナトラノオに動きつつ、止まっている。
いよいよ、お天気もよくなり、イネの穂も重くなってきている。
こうゆうお天気が続くとよかったが、そうでもないので、困るのである。
風で、倒伏するイネ。でも、これくらいはどってことないようである。
ただ倒れるという風がいつごろ吹いた、と思うと、茎の状態もよくはない?。
光るイネ、太陽光にその葉っぱは透けている。これでないと、
澱粉は種子に送られない。ここで光るくらい強さが求められる。
田んぼの中に入っていくような、状態とはどうゆうものか、
その先に地平や住宅が見える。
お天気が回復して、イネにいい状態になるように、これまたお祈りをする。
この赤い葉っぱを忘れそうになった。このものは、傷みもなく
濃い赤い色が印象的で、またなんども登場した。
よく、TVで、雹とか降るものを見る。これは氷で出来たピンポン玉のようで、もっといかついだろう、それが落ちるとこれは薄いガラス窓など簡単に割れてしまう。幸い、パチパチからバチバチはあって瞬間見えるその氷玉の大きさは、1cmか2cmか、それでも大きなほうで、こうゆうものがどのくらいのスピードで落下するか知らないが、それにしても、ほぼ垂直に落下する、霰でよかった。恐らく3、4cmある氷だと薄い窓ガラスは割れていた。その可能性もあった。その大きさより小さくて、あの音だから、さらに角度が違っていたらと思うと、ぞっとするが、
日ごろお天気の悪口を書いているが、どうにか、神様が仏様がいるとして、この「うち」のガラス窓を壊さない程度で雨、霰を降らせてくれたことに、感謝しておかないといけない。
1時間程度、雷雨が続いて、その後もまだまだおさまりはつかなかった。いつ終わるのか、この悪夢はと思う。雑草が生えていて、雨の勢いも地面ではそうひどくはなく、逆に気力のない雑草などは倒れている。なんだか悪いことをしたという気分だが、ここに草が生えていてよかったというところは昔から、ここにはあってその働きで、何とかこの建物はこれ以上は傾かないようになっていると思う。
建物の傾きというと、ガラス窓など大きいと、人の背より高いが、窓枠とガラス戸の上の方は空きがなく、下の方は結構開いていて、そのうちに向こうが見えそうで、見えないところで止まっている。ということは、このうちは、上の方が北にずれていることになる。これは地面の傾き、と同じで、盛り土の効果もなくなっていることを示していて、なんとも遣る瀬無い気分である。
何が起こるかわからない、そうゆう世の中だけど、まだまだしがみ付いてこの世の人でないといけなく、ほどほどに頭を悩ませて、それ以上に老化が進むのはしょうがないが、これはいくつかの画像を見ていても、考えさせられるものがある。何にも使えないものなどないというより、その逆で、何にも使えないようなそうゆうものが多く、その中からこれはどうか、まるで占いというか、カードを引くような気分で、どれにするか決める。もともと似たようなものばかり。
ブログの1年は大体似ていて、また同じようなことが必ず出る、絵もそうだし、書いていることも、自分でもまたこんなことを、同じことを、と思うことが多いこと。それくらいに、何か新しいものはなく、それから情報というものもここにはない。どこそこの、何という、名所旧跡の名前はまずは出ないで、遠くから眺めるものくらいがいいところ。それ以外は、ここはどこかという感じで、そんなものはどこにでもあって、ということになる。だから自分の書いているものは、1年たってくれると自動的に消滅してくれるとありがたいのだが、誰かというかブログを経営している方は、自動的に時間がたてば消えて行くというシステムを開発してくれないか。
歩いていると、周りは田んぼだから、イネのお米の状態というか、生育具合を見るのは簡単で、でもその実際のところというのは、勘でしかわからず、その色の様子を見たり、粒の大小、数の加減など、わかるようになるべく写真も撮っている。この冷夏の影響で、イネの生育状態はよくはないが、しかし秋晴れのときがないわけでなく、そうゆうときだとイネは光って見えるもので、多くは太陽光にもよるが、昔の時代というものも思い出させてくれる。
その昔に、どこにでもあった田園風景は時間の位相の違いが大きいようで、今は稲刈りは遅く設定しても、9月の半ば以降のようだ。昔は、
それはここの田園ではないが、10月とかそれも後半のようで、つるべ落としという時刻をも思い出させてくれる、そのくらいまで、イネの刈り取られた跡で、遊んでいて、それ以外に必要なものは、なかった。カラスのことなど知りもしないが、時間が来て、帰るところがあった。
クマバチ、ダンゴバチとかもいわれるこの蜂は今でもどこにでもいて、
もも色のハナトラノオに動きつつ、止まっている。
いよいよ、お天気もよくなり、イネの穂も重くなってきている。
こうゆうお天気が続くとよかったが、そうでもないので、困るのである。
風で、倒伏するイネ。でも、これくらいはどってことないようである。
ただ倒れるという風がいつごろ吹いた、と思うと、茎の状態もよくはない?。
光るイネ、太陽光にその葉っぱは透けている。これでないと、
澱粉は種子に送られない。ここで光るくらい強さが求められる。
田んぼの中に入っていくような、状態とはどうゆうものか、
その先に地平や住宅が見える。
お天気が回復して、イネにいい状態になるように、これまたお祈りをする。
この赤い葉っぱを忘れそうになった。このものは、傷みもなく
濃い赤い色が印象的で、またなんども登場した。