光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

雷雨と、光るイネ

2009-09-04 18:57:03 | 散策
  どれだけ降れば気がすむか、呆れるほど、雨が短時間に降って、それからその前から、落雷がひどく、ピカピカと光るとしか書けない、くらいに、雷は落ちた。どこに、その電子はあったか、もともと地上にあって、それで最後には元に戻るらしい。そこが落雷の地点となって、地上のあらゆる地点に可能性がありそうだが、それこそ、光ると同時に音が鳴り響いて、生きた心地というのも半分はなかった。全く、雷様のご機嫌も斜めを通り越している。それで、今はその雨も雷も、どこかへといったようで、その雷雲の通過している地域は、同じように、豪雨が降り、これはそのように感じられた、さらにピカピカと光って、地響きの音のような、空気振動を起こしている。
  よく、TVで、雹とか降るものを見る。これは氷で出来たピンポン玉のようで、もっといかついだろう、それが落ちるとこれは薄いガラス窓など簡単に割れてしまう。幸い、パチパチからバチバチはあって瞬間見えるその氷玉の大きさは、1cmか2cmか、それでも大きなほうで、こうゆうものがどのくらいのスピードで落下するか知らないが、それにしても、ほぼ垂直に落下する、霰でよかった。恐らく3、4cmある氷だと薄い窓ガラスは割れていた。その可能性もあった。その大きさより小さくて、あの音だから、さらに角度が違っていたらと思うと、ぞっとするが、
  日ごろお天気の悪口を書いているが、どうにか、神様が仏様がいるとして、この「うち」のガラス窓を壊さない程度で雨、霰を降らせてくれたことに、感謝しておかないといけない。

  1時間程度、雷雨が続いて、その後もまだまだおさまりはつかなかった。いつ終わるのか、この悪夢はと思う。雑草が生えていて、雨の勢いも地面ではそうひどくはなく、逆に気力のない雑草などは倒れている。なんだか悪いことをしたという気分だが、ここに草が生えていてよかったというところは昔から、ここにはあってその働きで、何とかこの建物はこれ以上は傾かないようになっていると思う。
  建物の傾きというと、ガラス窓など大きいと、人の背より高いが、窓枠とガラス戸の上の方は空きがなく、下の方は結構開いていて、そのうちに向こうが見えそうで、見えないところで止まっている。ということは、このうちは、上の方が北にずれていることになる。これは地面の傾き、と同じで、盛り土の効果もなくなっていることを示していて、なんとも遣る瀬無い気分である。

  何が起こるかわからない、そうゆう世の中だけど、まだまだしがみ付いてこの世の人でないといけなく、ほどほどに頭を悩ませて、それ以上に老化が進むのはしょうがないが、これはいくつかの画像を見ていても、考えさせられるものがある。何にも使えないものなどないというより、その逆で、何にも使えないようなそうゆうものが多く、その中からこれはどうか、まるで占いというか、カードを引くような気分で、どれにするか決める。もともと似たようなものばかり。
  ブログの1年は大体似ていて、また同じようなことが必ず出る、絵もそうだし、書いていることも、自分でもまたこんなことを、同じことを、と思うことが多いこと。それくらいに、何か新しいものはなく、それから情報というものもここにはない。どこそこの、何という、名所旧跡の名前はまずは出ないで、遠くから眺めるものくらいがいいところ。それ以外は、ここはどこかという感じで、そんなものはどこにでもあって、ということになる。だから自分の書いているものは、1年たってくれると自動的に消滅してくれるとありがたいのだが、誰かというかブログを経営している方は、自動的に時間がたてば消えて行くというシステムを開発してくれないか。

  歩いていると、周りは田んぼだから、イネのお米の状態というか、生育具合を見るのは簡単で、でもその実際のところというのは、勘でしかわからず、その色の様子を見たり、粒の大小、数の加減など、わかるようになるべく写真も撮っている。この冷夏の影響で、イネの生育状態はよくはないが、しかし秋晴れのときがないわけでなく、そうゆうときだとイネは光って見えるもので、多くは太陽光にもよるが、昔の時代というものも思い出させてくれる。
  その昔に、どこにでもあった田園風景は時間の位相の違いが大きいようで、今は稲刈りは遅く設定しても、9月の半ば以降のようだ。昔は、
  それはここの田園ではないが、10月とかそれも後半のようで、つるべ落としという時刻をも思い出させてくれる、そのくらいまで、イネの刈り取られた跡で、遊んでいて、それ以外に必要なものは、なかった。カラスのことなど知りもしないが、時間が来て、帰るところがあった。




  クマバチ、ダンゴバチとかもいわれるこの蜂は今でもどこにでもいて、
  もも色のハナトラノオに動きつつ、止まっている。




  いよいよ、お天気もよくなり、イネの穂も重くなってきている。
  こうゆうお天気が続くとよかったが、そうでもないので、困るのである。




  風で、倒伏するイネ。でも、これくらいはどってことないようである。
  ただ倒れるという風がいつごろ吹いた、と思うと、茎の状態もよくはない?。





  光るイネ、太陽光にその葉っぱは透けている。これでないと、
  澱粉は種子に送られない。ここで光るくらい強さが求められる。




  田んぼの中に入っていくような、状態とはどうゆうものか、
  その先に地平や住宅が見える。
  お天気が回復して、イネにいい状態になるように、これまたお祈りをする。





  この赤い葉っぱを忘れそうになった。このものは、傷みもなく
  濃い赤い色が印象的で、またなんども登場した。

お月さんが、出ていたときがあった。

2009-09-04 16:27:28 | 散策
  今の話しで、雨と雷。さほどひどい雨ではないが、
  通り雨と思っていたが、同じところから次々と  
  雨雲が発生していて、その雨が続き、雷はこれはもっと
  早くから、鳴りっ放し。

  午前に急に気温も上がったから、お天気は活発に変動する。
  冷たい風が、吹き始めて、荒れた天気は始まった。

  急がないと。

  月が出ていた、ときがあったが、
  それは9月1日で、朝から晴れていた。

  知らないうちに、月は成長して、大きくなり夕方
  東の空に白い姿を見せた。
  翌日も朝は晴れて、輝く太陽があった。
  日の出の位置の移動も、一日一日、大きくなっている。





  9月1日は、いいお天気。




  同じ日、夕方に近い。
  この景色はなかなかいい。そう思って、もう少し上を見ると、




  月が出ている。久しぶりの、月。月のある風景。




  月に、白い雲に、それに青空に、黒い木々。




  ぼんやり眺めるのに、ちょうどよかった。

  一日たって、9月2日の朝が来た。




  日がすでに、山の端から出ていた。




  少し移動しているのがわかるかも、これは地球の自転のせい。




  赤い日の出で、この後お天気は、下り坂だったか。

  
  それにしても、先ほどから雷がひどく、猛烈な雨と、それに
  霰か雹が降っているようで、それが窓ガラスに当たると
  結構大きな音がして、おいおいもういいよ、と思うが
  激しく降り出して、かなりの時間たつが、まだおさまならない。

曇り空、霧雨、どんより

2009-09-04 06:50:46 | 散策




  朝のお天気は、曇り。雨もチラホラ。秋晴れに3日なしとかいう、聞いたような聞いてないような、お天気で、今は、恐らくレーダだと、雨雲はこの辺りにないのだろう。先ほど、TVの天気情報で、それを見ているが、なかったようだ。しかし、瓦には雨粒の跡。9月は、気温は高めと思っていたが、さてどうなるか。風は、ほとんどないか感じない。秋の虫の鳴き声、少々。アメダスの、6時の気温、23.4℃、気圧は、1013.3hPa、湿度は93%。室温は25℃あり、でも今も衣服を着替えると、その置いてあったものに湿気を感じる。

  秋になると、というか9月になると気温は高め、残暑と思っているが今のところ、残暑まではいっていない。恐らく、西日本は気温は高く、反対に東日本、北日本は、冷たい空気が依然として残っていて、残暑の本体である、小笠原の高気圧はまだ勢力を北まで伸ばしていない。これだと、ことしの8月の気温の高い状態と変わらず、暑いといっても30℃に遠く及ばなかったから、
  問題は、やっぱり作物の生育状態だろうなー。お米は持ち直しているという話しだが、米そのものは小粒だという。それもこの先の、晴れのお天気があってのものだろうし、今またことしの夏、冷夏の状態にこの先もなると、やっぱりそのお米の状態も悪くなってしまう。

  野菜、果物、これも必需品で、それこそこれで、ビタミンとか無機塩類を十分補給して、サプリや、ビタミン剤はいらないという、生活でありたいと思う。ビタミン剤が悪いというわけでないけれど、昔のそのビタミン剤が出てきたときはそれを飲む必要があったと思われるけれど、必要ないのに飲んでも、まずは効果はない。心理効果は否定出来ないが、何しろ私も若いときはビタミン剤信奉者で、それを盛んに飲んだ。でも、これが効いている感じはなかった。飲んでいるけど、だめなときはだめ。薬好き、といわれるのはしょうがないと思うけど、
  生の、野菜や、果物やら、それから、最近見かけない、食べていない牛レバーなど、食べたいと思う。やっぱり、レバーはいいと思う。これは効果があった。

  外の様子を見ても、さっぱり秋の感じがないし、紅葉もないし、またヒガンバナを探したが、まだ何も出て来ていない。秋の虫は、コオロギか、キリギリスかで、しかし見たくもない、触りたくもない、これこそ本物の毛虫が柿の木の葉を喰い荒らして、そのものがスーッとYシャツの肩のところに降りてきたときは、生きた心地はしない。
  夏も異常だった、柿の木も他のおいしそうな木の葉っぱもみな毛虫の餌となっている。これも自然界の掟?。

  朝から湿っぽい話し、実際、結構湿っぽい空気がある。

  写真:水のオブジェというもので、そこに外灯の影が出来ると、
  これは日時計かと思う。