光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

コスモスと、夜長のころ

2009-09-11 19:01:27 | 散策
  晴れの空が、一転して曇り空に、変わる。予報より早く曇り空が現われて、このままだと明日は、雨は間違いないような気になってきた。雨か。雨もいいが、強い雨だと困るというのも、このごろの雨の降り方は、夏の長雨こそおかしかったけど、今頃降っても正常でなく、豪雨で、また限られたところ、一点集中して降るようだから、それこそたまったものではない。いい加減雨のよさもなくなるものである。四季があってよかったのか、なぜそれでも地球の自転軸は、黄道面に対して傾くのか、この理由というのも、謎の一つで、それを導く理論というのがあるのかどうか。
  もっとも、自転軸をまっすぐにというのは、月の引力がその作用をしているという。しかし、その軸をまっすぐにするという、力も、理屈によると、その作業は行なわれないままである。で、これも簡単な理由で、自転軸そのものが、黄道面を回転するという結果を生むから、これまた不可思議で、なぜ地球の自転軸を黄道面に垂直にしないのか、結果としてはそうだ、その理由に、満足を覚えることはない。もっとも、月の引力の働きで、地球の自転軸をまっすぐにするという、そうゆう働きがあることは間違いない。それはわかる。で、地球に海がある。よかった。その水が地面を覆う。このことが、かなり影響を及ぼしているというのも、自転軸云々につながるようで、それにしても、なぜ結果として、自転軸は立たずに、黄道面を回転することになるのか、そうゆうことを考えても、わからないものはわからない。

  回転とかいうと、例えば簡単な原子を考えて、それが水素原子であるとして、なぜ電子がその原子核を中心に回転すると、電波が出る、電磁波が放出されるのかというのもわからないもの。で、もっとも、これは古典的な電磁気学の解釈によるもので、それでいくと、エネルギを放出していることになるわけで、最後には電子は原子核に落ち込むという。電波がエネルギを持つというのも、不思議といえば不思議で、でも例えば電気コタツで、赤外線を浴びると、これは無色透明だがたしかに暖かく、熱線で、暖かい水と同じ作用を人に与える。なるほどと思うが、それはわかったとしても、電子が太陽の周りを回る地球のように回転するときに、なぜ電磁波が放出されるのか、は、わからないというのは変わらない。
  回転している物体とか、物質とかいうものは理解しがたい性質というか、現象を起こすもので、そちらが物としては本質的な感じがする。その性質も、さて電子が原子核に落ちてはいかない、という現代の科学の本質は、地球の自転軸は回転したままで、それが黄道面に垂直になることはないというのに、似ていると思うが、もっともこれには類似性はないだろう。 

  いろいろな悩みというのがあって、それを考えて頭を痛めるよりは、この方の出来事の真実に近付くのが面白そうだが、それが多少なりとも前進する可能性はなく、だんだんとなくなってゆく。こうゆうものを理解している人は、一体に何に悩むのか、その方にはその方の悩みがあるのだろう。
  そういえば、地球の自転軸がある方向を向くとき、春分になりまた秋分になるが、ちょうど太陽から見ると、自転軸が最大に傾くときがそれに当たるようで、そのときは地球の北極も南極も、ちゃんと太陽の光は照らすので、これこそもっとも劇的な瞬間かも知れない。それ以外は極地に日が同時に当たることはない。
  秋分が近づいて、そろそろ星も見やすい時期になってきたと思うが、天候はさえないというか、夏もそうだが、春もそうだったかも知れない、秋もまだ星空も十分に見ていない。さほどそのことを考えることもないが、これだとせっかく星に興味を持って、星座のひとつも覚えてみようと思う方も、これだけ星空がないと、反対方向の地面を見たり海に潜ったりあるいは文字ばかりの、本の世界へと向いてゆく、流れてゆくような感じもして、それは自由だけど、これだけ星空も現われないと、星はどこにあるのかも疑いたくなる。星の世界でも様々な出来事が企画されてしかしそれが天候でうまくゆかなかったというのは、皆既日食もそうだけど、夏の流れ星も、その姿を見ることもなかなかうまくはゆかなかったようだ。

  これも地球温暖化の候のせいなのか。

  地面に、ヒガンバナは出てきた。何とも素直な花でいうことなしである。それから、コスモスもだめそうで、少しずつ花は咲いている。コスモスねー、いろいろ意味深いものがあるようで、それに込められる期待も多いのかも知れない。
  花のコスモスというのは出て来たというか、気になりだしたのはどちらかというとこの花も最近で、例えば昔からあった、アサガオとかと比べると、知るというか、興味を持つのは今にかなり近い感じがする。秋の七草もこれは逆に遠くなりすぎて、知らないものが多くこれは本の世界とか文字の世界の生き物、のようである。





  朝のヒガンバナ。光は暗め。




  ヒガンバナは、やはり朝がいい。




  後にもう一つ咲いている。二つかも。
  一日で、かなり変化がある。他の場所は、わからないところになった。




  ボチボチ、コスモスも花を付ける。




  明るいところと暗めのところが出来ていて、明暗はさほど現われない。




  ぼんやりとした、像があって、白い花に合焦している。




  同じようで、違うのはほどほどの風があったからで、このわずかな
  違いが出るやさしい風が吹いていたのかと思う。

夕日と雲は、琥珀色

2009-09-11 16:19:57 | 散策
  ほどほどの暑さで、きのうのこともあるから
  多少は暑さ対策をやると、もう残暑というのはなかった。
  この程度で残暑など書くと、もっと暑いところにいる方に
  怒られるだろう。

  ほどほどの気温で、午後から北風がゆるいながら
  出ている。今日は晴れで、明日はどうなるか。
  ここは雨も欲しいが、晴れも欲しいし、涼しいと
  なおいい。

 
  夕日の色が、少し変わった。というのも空の状態に
  よるもので、快晴だとこれは眩しい。
  きのうは雲が少しあって、空気は澄んでいた。
  カメさんの掃除も終わって、撮像素子もピカピカになって
  それで、夕日も金色に近い、琥珀色になったのか。
  今頃画像を見ている。




  東に見えるはずの、北アルプスはこの通り、白い雲の中。
  少し焼けていている。




  快晴に近い空。眩しくて、建物の影に隠れて、カメさんだけ
  外に出す感じ。




  見てはいけない、太陽像が入るが、多少は明るいものを感じている。




  カメさんを掃除すると、なぜかきれいに見えるのは、本当のようだ。




  空の雲だけにしてみる。




  白い雲が一部虹色に変化しているようにも見える。




  地平近くの白い雲に、影の濃淡が出来て、ちょうどいい感じになった。




  縦位置で。太陽が雲にかなり隠れて、白い雲の虹色がはっきり出た。
  美しいが、あまりやり過ぎると、撮像素子にも、目にもよろしくはない。
  美しいものは、少しの時間だけ見るのがいいというのは、本当のようだ。  

曇り空、薄い墨色

2009-09-11 06:52:08 | 散策




  朝のお天気は、曇り。きのうの涼しさはないが、秋の感じはする。気温も上がるが、風がどうか、今日の天気は秋晴れになるかどうか、天気情報を見ていなかった。他のことをしていた。でも、今日は、雲も出るが、晴れというのはわかっている。嫌な暑さにならなければいいが。アメダスの、6時の気温、18.2℃、気圧は、1011.4hPa、湿度は72%。風はあるが、さほど強くはない。煙突の煙は、南から北へと流れている。室温は、20℃。

  きょうは目覚ましで、ったたき起こされたので早々から、半分はまだ眠っていて、遅れている。あまりいい気はしない。このところ、少し疲れを感じて、焦りもあるようなで、なにをと半分は笑わないといけないし、もう半分は笑われるだろう。これが自然な笑いを呼ぶことがあるか、というとないだろうな。
  起きる時間に、まだ余裕があるし、また夜中に目が開いたりして、眠さはある。眠れないかと思ったら、反対で、それも夢を見ていて、悪い夢ではないが、さほど面白くもなく、それで、目覚ましが鳴ると何がなんだかわからなくなって、ようやく目が開いた。この目覚まし音は、どのくらい聞いていないか。
  少し前に、目覚ましのセットをやると、目覚まし音が鳴るので、困ったが説明書を探してたら、直っていた。

  きのうの朝は涼しいし、また寒いとかいう意見もあって、置いてある、灯油ヒータが動くかどうか、試してみた。それは動いたが、すぐに止めて、まずは掃除をと思う。どの辺りの掃除か、その辺り全体の掃除があって、それからヒータの空気取り入れ口の掃除をやった。フィルタの綿ぼこりは、台所からときに来る油の蒸気のせいか、こびり付いていて、なかなか取れない。下手にこすると、フィルタの網が壊れそうで、どうにか少しきれいになった。その分、掃除器の中のゴミは増えた。このゴミ袋は、割と最近取り替えている。

  さえないお天気、というか、もう少しピリッとなる寒さがあるかと思うが、まだ9月で、それはこの辺りではないが、北日本、北海道、東北辺りだともうストーブを焚くところもあるのだろう。蚊に注意してヒバンバナを探すが、きのうと変わっていない。相変わらず、蚊が多そうな天気で、しかしヒガンバナは、刺されない。

  写真:時間は止まったままで、夏の晴れ間がそのまま今もある。