光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

三角形の蛾と、モンシロチョウ

2009-09-12 18:42:50 | 虫、その他
  秋は、もう夏から秋だった感じがあって、その秋が夏に変わるかも知れないという予報もあった。その予報を、10日の日の、生暖かいお天気に感じたけれど、これも油断というのがあって、暑いのかそうでないのか、はっきりしないから、秋の格好で出たら、夏に近かっただけで、さほど汗が「ぼたぼた」というほどでもなかった。着るものを脱いで、それこそタオルハンカチに水を浸したものを首に巻いていれば、さほど不快感を感じることはない。それよりも自分の判断の甘さというのに、ムッと来ていた感じがあって、その辺の感覚の鈍さというのも、だんだんと実感されるから、いやになってしまう。

  私に親はいるが、それゆえ自分もあるのだけれど、こんな鈍い感覚、本能的なもの、あるいは季節の移り変わりに対する感覚というか、本能というものは、今の私よりはずっと優れていたと思う。そうゆうものを比べると、はるかに同じ年代だと私が劣るので、この先のことを考えるというのも、辛いより意味がない、とも思える。でも、自分の親のこともいろいろ心配することが多く、何も出来なかったという思いが、片親にあり、それで同じようにはならないようにと、もう一人の両親にこそ思うのだが、これもおかしなもので、なかなか思いが伝わらず、結果としては反対の効果があるようで、それでも、反発しあうということがマイナスではない、という気がして、まったく他人様には見せられない、けんかというか、誹謗中傷のやり合いみたいなこともやっている。

  これはあるところで、同じ性格同士の問題ともいえるようなで、似たものどうしだとも思うし、反発し反駁するのももっともな気もして、黙ることはない。しょうもないが、たがいになじりあいをしている。これも一つの手だと思う。黙るとなると、その先が見えない。こうゆうところからも血のつながりというのがあるようなで、反駁のなす技は原因ははっきりしない。似たもの同士があり、それ以上の理屈というと、それを越えていることになる。どうなるやら、先の時間というのも安穏と暮らしているようで、怖いというか、恐ろしいものがある。先に、片親に死なれて、そうは簡単には死なないだろうと考えていた私の勘というのはまったく役にたたなかった。それがあるから、余計に心配でもあるし、その時期がそれは自分にも当てはまりそうだが、いつ来てもおかしくはない、という、方向へと考えを変えさせた。

  このことが、余計にもののあり方を複雑にし、また自分がどうするのがいいか、その圧を高めている。で、結局のところ、なにかごたごたしてそれでしばらくして、思うのは、そうゆうものには、これがよかったというのは、ないということ。

  別に記したことを忘れるために、チョウを追っかけたり、面白そうな花を探したりしているわけでなく、だんだんと時間がたって、書くこともカメさんの使い方も変化しているので、その流れにチョウが出て、知らない花が出て、花はしかしさほど変化はない。それで季節の花というのも、野草、雑草から、観賞用までいろいろで、天候の与える影響は大きい。さらに、虫に食われた柿の木などがことしは多い。花らしい花がなかなかというのも実感した、花があって虫、昆虫がある。生き物の関係だと、花は昆虫の食べ物というのが合っているようなで、こんなことを書くと植物愛好家の方に怒られる。互いに、花は花で虫を利用し、虫は虫で、花も食べるし、しかし花の次の世代を作るのに重要な働きをしている。どっちもどっちで片方だけが栄えることはない。それでも、虫と聞くと怖気立つという方もいるから、この話しは、これくらいで終わらないといけない。
  
  蛾が出ます。

  タイトルにあるように、全体が三角形に見える、蛾のような虫が出るので、
  そうゆうものはなるべくなら見たくないという方は、注意して下さい。ものすごく気色悪いというのは、ここでは出ないことになっているのですが。


  この蛾は、何回か出ていて、つまりそれだけ見つけることが簡単というもののようで、蛾もチョウも、さほど変わらなく思えるので、また登場するのですが、




  こうゆう、三角形の形をした蛾、が、葉っぱに止まっている。この蛾が、
  他のチョウを追っかけるというのはあまり見ない。ベニシジミよりは
  大きいか。判断はむつかしいところ。




  頭部。触角の出る位置がもう少し目から離れると目玉のかわいらしさが
  わかるのだが。色が緑で、こうゆう色のチョウは見ていない。




  三角形の翼、という感じで、蛾の翅。




  もう一度、全体。これだけ見るといったいなんだろうという
  気分になって来た。それくらいになんだかわからないという生き物。




  モンシロチョウもかなり敏感で、滅多にファイルになることはない。




  ニラの白い花で、蜜を吸っている。もう一回、新しいチョウが出てくるか。




  初夏のころに、意外とチョウに出会う機会が多かった。しかし今は、
  ほとんどないようなで、その幸運は今は忘れないといけない。

やたら暑かった日の、地表

2009-09-12 16:21:11 | 散策
  お天気、アメダスの気温を見ていると、 
  午後3時までの最高気温は、21.4℃。これは涼しいし
  涼しすぎる。朝の最高気温予想がどうだったか、
  忘れたが、この気温、もう一度、21.4℃は涼しい。

  これから後に、最高気温が出るかも知れないが
  フェーン現象でもないとその可能性はないだろう。
 
  雨で、途中お昼過ぎからその雨も弱くなって、今も小雨程度。


  今週の金曜は、弱いながらフェーン現象で、空は青く
  雲は白くで、まったく調子が狂ったが、そのときも
  地面とか、その他地表の様子もあって、今見ると
  これもいいか、など思う。雨だから、これを出さないと
  持たない。雨の中の様子というのも少しだけ加えた。





  田んぼのイネには、この暑すぎる感じのあった、光と温度が
  ちょうどよかった。これが続くとよかったのだが。




  田んぼの真ん中辺りが、光っているようなで、イネの生長に関係している?。




  まあるい、ススキも風がないのでほどほどに光っていて
  それで暑そう。




  畑の小道。このところはやたら暑く、もう道でも撮るしかなかった。



  
  なんだかわからない白い小さな花。もしかして、色素の少ない、フジバカマ
  かと思うが、もう一度いって、それに間違いないと思った。
  暑いのに、白いのである。




  これは雨の、たぶんアサガオ。先ほど雨の中、閉じそうに咲いていた。




  雨の中、セセリチョウ。白い花。雨滴。黒い眼。

風のない雨

2009-09-12 06:40:29 | 散策




  朝のお天気は、雨。雨雲は、遠く離れているようだったけれど、煙突から煙が出るように、すぐ近くに雨雲がポッと出来て、連続的に雨が降っているようで、降り初めは恐らく今日になってから。その後も雨が降る音が聞こえて、降りかたはほどほどで豪雨までには至っていない。まさか、豪雨はないと思うが、今日はずっと雨で、それもときどき強いようである。風がほとんどなく、雲の動きは、北から南。アメダスの6時の気温、18.0℃。気圧は、1009.8hPa、湿度は96%。雨の記録は、4時までは0mm。室温は、21.9℃。

  雨の音がうるさく聞こえる。早くから雨になって早く止んでくれるといいとか夢の中で思っている。そうはいかないようで、でもこの雨も、今日だけのようで少し安心している。雨がいつ降るのがいいか、これは夜がいいとか、昼のある時間がいいとか、いろいろ考えられるが、やっぱり夜の夜中、それで、雨が上がると星空というのが理想的で、でも眠い目で、見る空の様子はどうだろうか。夢の中に星空は出たことはなく、今日はなにか運動会のようなものをやっていた。だから疲れるのだろうか。

  目が開くと少しだけ明るい。青い光があって、時計はもう起きる時間をさしている。雨、かなりひどいが、垂直落下型の雨で、木々の枝葉の揺れもなく、また雨は窓の桟を濡らしていない。遠く隣の街がどの程度見えるか、ちゃんとその端っこが見えていて、雨もさほど強くないこともわかる。先週の金曜の午後も3時を過ぎてひどい雨が降ったが、それ以来の雨で、その間は晴れていたことになる。一度だけ、霧雨のようなこともあったか。雨の記憶も曖昧。

  TVの天気情報を見る。それを見つつ、新聞を取り出して、分厚いことを知る。たくさん広告が入っている。こうゆうときに限って雨。
  お天気情報は、結局終日雨ということのようで、さっさと食事の用意とかする。これも、考えないと出てこなくなって、体で覚えていないようなで、忘れてしまったのかなー、なにか大きな忘れ物をしているような気がしたが、それは顔を洗わず、それを省略してその先の食事へと進んだこと。遅くはない。食べて、歯も磨いて、それから顔を洗うのもいいかも。ぬるい水が出てくるが。
  こうして、パッとしない、いつもの朝が始まった。

  写真:再び、ライトレールの姿。