太陽が消えたり、また現われたり、雲に隠れたり、長く太陽が出なかったときもあって、太陽はどこにいったのかと思わせる、夏が過ぎて、秋になると、太陽はある時間から燦燦と輝いて、お日様もなかなか曲者だなと、思う。太陽は太陽で、私がそうゆう風にしているのではない、というだろう。その気持ちが強くわかるきょうの太陽の輝きで、幾分気温も上がり、朝ほどは少し寒気もあったが、またお昼ころも、風は涼しく、太陽の勢いはなかった。でも、お昼も過ぎると、いつもの秋だが、夏の太陽が戻っていて、秋と、夏の太陽は交互に現われた。
それで、食べ物、特に野菜とか果物の高さに驚くこと仕切り、安売りの広告は入るけれど、それから安売りが目玉の大きなスーパも、安く出来るものは限られて、それ以外は、ずいぶんと高い値段が存在している。一体なんでこのような値段になるのか、聞いてみたい。でもたしかに太陽の影響ではなく地球の環境の問題があるようで、いっときガソリンの値上げの問題はあったものの、当の車が売れないとなると、ガソリンのガの言葉も聞かないし、ガソリンが今いくらかも聞かないという有様で、なんだかそれ以外の生活必需品、食べ物の値段が上がったままで、
きょねんまでの、まだガソリンが上がってなかったころと比べて、例えば1000円札の価値は、500円硬貨くらいに落ちてしまって、その後も落ち続けているようで、大体同じようなものを買っていても、レシートが打ち上がって何千何百何十何円ですと聞くと、一瞬心臓が止まりそうな感じもする。が、ちゃんと値札も付いているものは付いているから、ときにわからないものもあるが、上がったという感じは、普通に食べるものについては、値は上がったまま。下がりゃいいというものではないけれど、この1年と半くらいで、上がりに上がったものは一部のものを除いて下がっていなくて、野菜や果物、生鮮食料品は上がったままで、さらにこの天候不順で上がりっぱなし。下がったためしがない。言い切れるかどうか怪しいが、傾向は変わらない。
だから、そのときに顔色は変わらないが、出るのはため息で、それ以外に、夏バテのようなものがある。これはもしかして物価高の夏バテかも知れず、特に体に重要な、食料品の値段が下がることなく、下がったとしても元も戻らず、それ以外はやっぱり高いまま。一体どうなっているのか、叫びたくもなる気持ち。
この辺り、新しい議員の方々はどう思っているのか、聞いてみたい気もするが、選挙にこれだけのお金がかかりましてね、といわれるかも知れない。選挙も大金食いで、それはほとんど税金でまかなわれているのだろう。政党助成金というのも、遠い昔に忘れ去られている。
夏も終わった。終わって、恐らくきょうくらいが、秋らしい秋晴れで、また少しすがすがしい気にもなれそうで、外のいつもの道、散歩道を歩いて、歩く距離は相変わらず少なく、しかし、じっとしていても、というより何かを探したりしてもだめで、大体空を飛ぶ生き物はみな飛んでいる。もう少し地上の生き物に目を向けないと。もともと空を飛ぶ生き物も最後は地上でエネルギや栄養を補給する。その大元の、草を眺めなさいという感じで、もう一人の自分はいつも、そうもう一人の自分に言っている。さて、空やら空間を眺める自分、地面を眺める自分、どっちが優勢で気合が入っているか。どちらも大した迫力はない。空の
太陽のみ、輝く昼間の時間がある。
ゴソゴソもないけれど、さて水は持った、他にカメさんも持った。後は首に巻く濡れたタオルは必要はなかったようだ。この回数というと普段もそれを必要とするときもある。この回数がことしは異常に少なかった。でもこの先はどうか。
青い空、白い雲少々、それに北風付きでこれは秋そのもので濡れたタオルの必要はない。いつもあるときは、まぶしすぎて目がやけにピリピリする感じがあるが、言ってみると瞳孔がうまく閉まらないのかも知れない、それはなかった。それで、ときに後ろを振り返り、空の太陽辺りを見返す感じになる、その方向は南で、太陽の位置もかなり低くなり東西の道だと影の大きさがはっきりする。これからは東西の道だと影に入ることも出来る。この安心感がある。夏の名残のヒマワリやら、それにお米の様子。ヤナギハナガサに、特に虫もいないとなると、なんだか手持ち無沙汰もある。小さなチョウはいくらでも飛んでいて、しかしセセリチョウの数はやけに少ない。このチョウもイチモンジセセリくらいしか、判別が付かず、もう少し変わったものもと思うが、シジミチョウより数はうんと少ない。そうゆうことにも気が付いた、きょうの秋の散歩道。
朝の時間、太陽は雲もあるものの、結構明るく、その姿を撮るが、
これをやると撮像素子にもよくないから、かなり減らしている。
道端、クレマチス、日が強かったから、少し反り返った。
ここに、アカタテハは止まったりもした。この花は小さな花で
その様子をもう一度と思うと、これも少し前にいたのと同じ
バッタがいる。このバッタの季節がある。
さらに執拗に、空の太陽の様子。外側、画像の一番外の辺りに
何かまあるいものが出来ているというか写っているが、これは
ハード側の問題かな。
満開はまだ早いかも知れないが、9月のコスモス、一輪。
こちら側も一輪、蕾をいずれも入れた。
最後の辺り、色の茶色いか、もう少しこげ茶に近い、そうゆうカエデの
木があるが、これをフィルタにして、太陽を撮ると、見事かどうか
真っ赤なものと濃いブルーの、レンズの特徴ゆえの、色が出て、
これは見事かも。
それで、食べ物、特に野菜とか果物の高さに驚くこと仕切り、安売りの広告は入るけれど、それから安売りが目玉の大きなスーパも、安く出来るものは限られて、それ以外は、ずいぶんと高い値段が存在している。一体なんでこのような値段になるのか、聞いてみたい。でもたしかに太陽の影響ではなく地球の環境の問題があるようで、いっときガソリンの値上げの問題はあったものの、当の車が売れないとなると、ガソリンのガの言葉も聞かないし、ガソリンが今いくらかも聞かないという有様で、なんだかそれ以外の生活必需品、食べ物の値段が上がったままで、
きょねんまでの、まだガソリンが上がってなかったころと比べて、例えば1000円札の価値は、500円硬貨くらいに落ちてしまって、その後も落ち続けているようで、大体同じようなものを買っていても、レシートが打ち上がって何千何百何十何円ですと聞くと、一瞬心臓が止まりそうな感じもする。が、ちゃんと値札も付いているものは付いているから、ときにわからないものもあるが、上がったという感じは、普通に食べるものについては、値は上がったまま。下がりゃいいというものではないけれど、この1年と半くらいで、上がりに上がったものは一部のものを除いて下がっていなくて、野菜や果物、生鮮食料品は上がったままで、さらにこの天候不順で上がりっぱなし。下がったためしがない。言い切れるかどうか怪しいが、傾向は変わらない。
だから、そのときに顔色は変わらないが、出るのはため息で、それ以外に、夏バテのようなものがある。これはもしかして物価高の夏バテかも知れず、特に体に重要な、食料品の値段が下がることなく、下がったとしても元も戻らず、それ以外はやっぱり高いまま。一体どうなっているのか、叫びたくもなる気持ち。
この辺り、新しい議員の方々はどう思っているのか、聞いてみたい気もするが、選挙にこれだけのお金がかかりましてね、といわれるかも知れない。選挙も大金食いで、それはほとんど税金でまかなわれているのだろう。政党助成金というのも、遠い昔に忘れ去られている。
夏も終わった。終わって、恐らくきょうくらいが、秋らしい秋晴れで、また少しすがすがしい気にもなれそうで、外のいつもの道、散歩道を歩いて、歩く距離は相変わらず少なく、しかし、じっとしていても、というより何かを探したりしてもだめで、大体空を飛ぶ生き物はみな飛んでいる。もう少し地上の生き物に目を向けないと。もともと空を飛ぶ生き物も最後は地上でエネルギや栄養を補給する。その大元の、草を眺めなさいという感じで、もう一人の自分はいつも、そうもう一人の自分に言っている。さて、空やら空間を眺める自分、地面を眺める自分、どっちが優勢で気合が入っているか。どちらも大した迫力はない。空の
太陽のみ、輝く昼間の時間がある。
ゴソゴソもないけれど、さて水は持った、他にカメさんも持った。後は首に巻く濡れたタオルは必要はなかったようだ。この回数というと普段もそれを必要とするときもある。この回数がことしは異常に少なかった。でもこの先はどうか。
青い空、白い雲少々、それに北風付きでこれは秋そのもので濡れたタオルの必要はない。いつもあるときは、まぶしすぎて目がやけにピリピリする感じがあるが、言ってみると瞳孔がうまく閉まらないのかも知れない、それはなかった。それで、ときに後ろを振り返り、空の太陽辺りを見返す感じになる、その方向は南で、太陽の位置もかなり低くなり東西の道だと影の大きさがはっきりする。これからは東西の道だと影に入ることも出来る。この安心感がある。夏の名残のヒマワリやら、それにお米の様子。ヤナギハナガサに、特に虫もいないとなると、なんだか手持ち無沙汰もある。小さなチョウはいくらでも飛んでいて、しかしセセリチョウの数はやけに少ない。このチョウもイチモンジセセリくらいしか、判別が付かず、もう少し変わったものもと思うが、シジミチョウより数はうんと少ない。そうゆうことにも気が付いた、きょうの秋の散歩道。
朝の時間、太陽は雲もあるものの、結構明るく、その姿を撮るが、
これをやると撮像素子にもよくないから、かなり減らしている。
道端、クレマチス、日が強かったから、少し反り返った。
ここに、アカタテハは止まったりもした。この花は小さな花で
その様子をもう一度と思うと、これも少し前にいたのと同じ
バッタがいる。このバッタの季節がある。
さらに執拗に、空の太陽の様子。外側、画像の一番外の辺りに
何かまあるいものが出来ているというか写っているが、これは
ハード側の問題かな。
満開はまだ早いかも知れないが、9月のコスモス、一輪。
こちら側も一輪、蕾をいずれも入れた。
最後の辺り、色の茶色いか、もう少しこげ茶に近い、そうゆうカエデの
木があるが、これをフィルタにして、太陽を撮ると、見事かどうか
真っ赤なものと濃いブルーの、レンズの特徴ゆえの、色が出て、
これは見事かも。