日の入りというのを、国立天文台の、暦計算室で見ると、この辺りは、17時47分で、今の時計の時間よりも、まだ先である。ここを書いている時間であるが。それで、それよりも10分以上前から、日の沈む様子を見ていたが、ここから西の空を見ると、県境の山々か、もう少し手前の低い山があって、正確な日没の時間と違うのが当たり前で、すでにそのときに太陽は、山の向こうに沈んだと思う。
秋分の日の、日没だが、なぜかその暦計算室の「秋分」の時間の説明のところというのが、文字が隠れたままで、何時何分が、秋分かわからない。あれ。昔はちゃんと読めたというか、何時何分に、秋分というのがわかったが、問題は枠の向こうにゆけない、だから見えない。まー時間は、今日のいつかでいいのだが。
秋分一つで、結構大変で、サイトの見方も昔は見えたが、今は見えない。何が問題なのか、よくはわからないが、それくらいに利用していなかったということか。IE7がいけないのかなー。今のところ変えるつもりはないが。
長くもなく、ある連休が終りつつある。地元のラジオを聞いていて、アナウンサの方は、言ってみると休日をどう過ごしているか伝えているが、遊びつかれたとか、どこどこに行ってたというのはいいが、今日も休日出勤でしたというのを伝えるのは少し寂しいというか、残念というか自分も、その休日出勤をしているので、若干哀愁だだようものがあって。しかしアナウンサには休みはないという中立の立場で、内容を伝えないといけないのが苦しいような感じがあった。自分のことは出さないが、自分もそうなのよ、というところ。
長い休みはいいですよ、というニュースは何時だったか、お昼の放送で、そうゆうのがあった。これから仕事です、と嬉しそうで、これから休みですというのはなかった。この辺りはひねくれている見方。
小さなことだが、きのうの夕方やけに焦げ臭いにおいがって、それで下にゆくと、一種「もうもう」とは言えないが部屋が曇っていて、蚊取り線香ではこうはならず、またその煙いのも感じないらしく、母はTVを見ていたので、これは大変と慌てた。が、もう火は消えていたらしく、しかし換気扇も動かしてない、窓も開けてなく、またもう一つの鍋も火にかかっていた。これには驚いて、普段は我慢してそんな汚い言葉を使わないが、こうゆうときはしょうがなく、いろいろと文句を言った。かなり「ガーガー」と言った。鍋は真っ黒こげで、危ないを越えている。それにも関わらず、母曰く「うるさい」と来たので、「しつこいね」と来たので、そうとう血圧も上がった。このようなことはないこともないが、ここまで真っ黒というのはなく、しかも平然としているので、私の方がおかしくなった。
そうゆうものがまだ、それ以外にもあって、また先ほど、いろいろと話しをしていたが、これも結果としては、裏目に出た。黙っているというのもよくはなく、かといって何もしなくてもいい、とも言えず、監視をわからんようにするしかない、のか。口を出すとうるさいで、最後には「何にも話すのも嫌なのか」と来る。嘘のようで、大体似たり寄ったりのことを書いている。これにはお手上げで、半ば放心し、誰にほざくことなく一人その辺で、ぼやき続けた。こうでもしないと、どうしようもない。
コスモスの花。
だんだんと花の数は増える。行っているところは同じ。それが少しずつ変化する。行かないときもあるし、方向が違うと時間は足らない。
星のように咲く、コスモス。そうゆうものに似ている、コスモスがあって、星がある。
こちらは大き目のコスモスが咲く、でも背の高さくらいあって、そこに花が
密集する。向こうに住宅があり、見るのに何の問題もないが。撮るとなると
どうしても限られる。
これは見て頂くとおり、コスモスの茎はまだ小さめ、上から眺めるのに
いい。だんだんと向こうにゆくと、背も高くなる。
星空の感じもする、コスモス。
階段状に、コスモスは背丈が伸びて、その向こうも蔓性の植物が、
建物の壁を覆おう。
お天気は、小雨が降るか止むかという状態で、これに風が入ると
結果として、少し甘ーい、画像が出来る。それでも白コスモスは
映える。
またしばらくしたら、ここに出かけるが、7、8分くらいで着く。去年の
この白コスモスは、かなりよかった。
秋分の日の、日没だが、なぜかその暦計算室の「秋分」の時間の説明のところというのが、文字が隠れたままで、何時何分が、秋分かわからない。あれ。昔はちゃんと読めたというか、何時何分に、秋分というのがわかったが、問題は枠の向こうにゆけない、だから見えない。まー時間は、今日のいつかでいいのだが。
秋分一つで、結構大変で、サイトの見方も昔は見えたが、今は見えない。何が問題なのか、よくはわからないが、それくらいに利用していなかったということか。IE7がいけないのかなー。今のところ変えるつもりはないが。
長くもなく、ある連休が終りつつある。地元のラジオを聞いていて、アナウンサの方は、言ってみると休日をどう過ごしているか伝えているが、遊びつかれたとか、どこどこに行ってたというのはいいが、今日も休日出勤でしたというのを伝えるのは少し寂しいというか、残念というか自分も、その休日出勤をしているので、若干哀愁だだようものがあって。しかしアナウンサには休みはないという中立の立場で、内容を伝えないといけないのが苦しいような感じがあった。自分のことは出さないが、自分もそうなのよ、というところ。
長い休みはいいですよ、というニュースは何時だったか、お昼の放送で、そうゆうのがあった。これから仕事です、と嬉しそうで、これから休みですというのはなかった。この辺りはひねくれている見方。
小さなことだが、きのうの夕方やけに焦げ臭いにおいがって、それで下にゆくと、一種「もうもう」とは言えないが部屋が曇っていて、蚊取り線香ではこうはならず、またその煙いのも感じないらしく、母はTVを見ていたので、これは大変と慌てた。が、もう火は消えていたらしく、しかし換気扇も動かしてない、窓も開けてなく、またもう一つの鍋も火にかかっていた。これには驚いて、普段は我慢してそんな汚い言葉を使わないが、こうゆうときはしょうがなく、いろいろと文句を言った。かなり「ガーガー」と言った。鍋は真っ黒こげで、危ないを越えている。それにも関わらず、母曰く「うるさい」と来たので、「しつこいね」と来たので、そうとう血圧も上がった。このようなことはないこともないが、ここまで真っ黒というのはなく、しかも平然としているので、私の方がおかしくなった。
そうゆうものがまだ、それ以外にもあって、また先ほど、いろいろと話しをしていたが、これも結果としては、裏目に出た。黙っているというのもよくはなく、かといって何もしなくてもいい、とも言えず、監視をわからんようにするしかない、のか。口を出すとうるさいで、最後には「何にも話すのも嫌なのか」と来る。嘘のようで、大体似たり寄ったりのことを書いている。これにはお手上げで、半ば放心し、誰にほざくことなく一人その辺で、ぼやき続けた。こうでもしないと、どうしようもない。
コスモスの花。
だんだんと花の数は増える。行っているところは同じ。それが少しずつ変化する。行かないときもあるし、方向が違うと時間は足らない。
星のように咲く、コスモス。そうゆうものに似ている、コスモスがあって、星がある。
こちらは大き目のコスモスが咲く、でも背の高さくらいあって、そこに花が
密集する。向こうに住宅があり、見るのに何の問題もないが。撮るとなると
どうしても限られる。
これは見て頂くとおり、コスモスの茎はまだ小さめ、上から眺めるのに
いい。だんだんと向こうにゆくと、背も高くなる。
星空の感じもする、コスモス。
階段状に、コスモスは背丈が伸びて、その向こうも蔓性の植物が、
建物の壁を覆おう。
お天気は、小雨が降るか止むかという状態で、これに風が入ると
結果として、少し甘ーい、画像が出来る。それでも白コスモスは
映える。
またしばらくしたら、ここに出かけるが、7、8分くらいで着く。去年の
この白コスモスは、かなりよかった。