秋らしい雨が降り、秋らしい最高気温があって、秋の感じは部屋の温度にもあって、
朝の室温より、今の室温の方が下がっているようなので、嬉しいような気もする。
暑いというときもあった。きのうか一昨日、そうゆうときは結構ムッと来るときに、
そのままムッとするが、今日くらいの気温だと、ムッと来るのも、少し我慢出来る。
我慢に入らない、さっとは流れないが、それ以上に停滞するものはなく、人の考えと
いうのも冬に近付くと、さらさら流れるのかも知れず、しかし寒すぎると水も凍る。
瞬間湯沸しはなくなって、さらさらモードで、冬は凍る。
この秋の感じは、9月の最初もさほど残暑なく、今頃少し前、残暑らしきものがあって、
小さいながら変動がある。全体的に減衰すると思うが、大きな波が来るとなると、
それは減衰では済まず、大寒波になるかも知れず、調和的なというか、さほど中心から
ずれることなく、寒くなってもらえば、大雪の心配はないようで。この今頃から残暑が
復活となると、その反動は大きい。それはない、言い切れないところが苦しい。何が
起こっているか、つかめないし、それだけ、異常だけを見るのも何かおかしな気もある
から、むつかしいとしかいえない。炭酸ガスだけの問題か、ともなる。
ホトトギスというと、ここでは鳥があって、この鳥の鳴き声というのを聞いたと
いうのは、最近で昔ではない。大体そうゆう鳥がいるかいないか、特に問題になること
なく生きてきて、今頃にその鳴き声から、あーホトトギスがいる、と思う。それも、
ことしはなかった。カッコウはなんども鳴いていて、その姿も呆れるほど見た。
花のホトトギスも、知ったのはつい最近といって間違いなく、この花も見かける
ことはなかった。なぜかは不明だが、逆にホトトギスの花があるというのが不思議と
いえば不思議である。そこの場所は、あるご家庭で、花壇のようなところで、そこに
土はあって周りはアスファルトだから余計にそこにある、花が目立つ。目立つのは、
そうゆう環境だからというより、いろいろな花も出るからで、そこに出来るだけたくさん
のものが出るように、と考えられたのだろう。
そうゆう中に、ホトトギスの花を見つけた。最初に花があって、そのときはまずは
花で、その花は秋の茶色い色に照らされているようにファイルでは見えた。実際の、
その場の様子はというと、秋の茶色い色の光というのはなく、ただの午後の透明な光が
あった。しかし、ホトトギスの花は幾分紫があって、で、全体の雰囲気は秋の茶色い光に
包まれているようで、これが不思議といえば不思議である。
その後、ホトトギスの水色と緑色の空気の中に、淡い赤紫のホトトギスの写真も見て、
ホトトギスだから茶色いわけはなく、ちゃんとした物理的が原因があると、推定された
が、そうゆうものが目の前に現われることはなく、これもしかしないものだから、
しょうがない。
いくつか道を歩いて、またいくつかの花の咲く場所見て、ことしは早くから、これは
ホトトギスの花、というか花の咲く前のものだというのはすぐにわかった。夏というより
初夏ごろから特有の葉っぱが、出そろっていて、そのものは大きそうでだから余計によく
わかった。しかし花はこれからまだまだだと思って、今はコスモスなどが所狭しという感じで、
席巻している。すると、もうホトトギスのことも忘れるというか、隠れて見ない感じである。
きのうが雨でというのがゆっくりその辺りの花を眺める機会を作ってくれて、もうと
いうか、今頃忘れていた、ホトトギスの花が目に入った。幸運というもので、もしも
晴れていたら、それも目に入らなかったかも知れない。
咲き初めで、雨の中で、暗めといえば暗い。花の色が淡く、もしかしたら
見逃すところ。
ホトトギスの花がもう満開というのが多くて、これだけ蕾が多い状態は
初めて。見ている限り、この蕾も黒いからか、淡い色にうまく浮き出るようで
花よりも蕾の空間配置が見事に思える。
いつものように、チョウのほうも入れて。この日は長めのレンズで、これだと
チョウもほどほどの距離からでも大丈夫で、しかし数は少なかった。
花と蕾と、うまく調和がとれてと思えるところ。晴れの天気で、はたして
水色と青い空間に、この薄紫の濃い赤紫の模様のあるものが現われる
だろうか。
朝の室温より、今の室温の方が下がっているようなので、嬉しいような気もする。
暑いというときもあった。きのうか一昨日、そうゆうときは結構ムッと来るときに、
そのままムッとするが、今日くらいの気温だと、ムッと来るのも、少し我慢出来る。
我慢に入らない、さっとは流れないが、それ以上に停滞するものはなく、人の考えと
いうのも冬に近付くと、さらさら流れるのかも知れず、しかし寒すぎると水も凍る。
瞬間湯沸しはなくなって、さらさらモードで、冬は凍る。
この秋の感じは、9月の最初もさほど残暑なく、今頃少し前、残暑らしきものがあって、
小さいながら変動がある。全体的に減衰すると思うが、大きな波が来るとなると、
それは減衰では済まず、大寒波になるかも知れず、調和的なというか、さほど中心から
ずれることなく、寒くなってもらえば、大雪の心配はないようで。この今頃から残暑が
復活となると、その反動は大きい。それはない、言い切れないところが苦しい。何が
起こっているか、つかめないし、それだけ、異常だけを見るのも何かおかしな気もある
から、むつかしいとしかいえない。炭酸ガスだけの問題か、ともなる。
ホトトギスというと、ここでは鳥があって、この鳥の鳴き声というのを聞いたと
いうのは、最近で昔ではない。大体そうゆう鳥がいるかいないか、特に問題になること
なく生きてきて、今頃にその鳴き声から、あーホトトギスがいる、と思う。それも、
ことしはなかった。カッコウはなんども鳴いていて、その姿も呆れるほど見た。
花のホトトギスも、知ったのはつい最近といって間違いなく、この花も見かける
ことはなかった。なぜかは不明だが、逆にホトトギスの花があるというのが不思議と
いえば不思議である。そこの場所は、あるご家庭で、花壇のようなところで、そこに
土はあって周りはアスファルトだから余計にそこにある、花が目立つ。目立つのは、
そうゆう環境だからというより、いろいろな花も出るからで、そこに出来るだけたくさん
のものが出るように、と考えられたのだろう。
そうゆう中に、ホトトギスの花を見つけた。最初に花があって、そのときはまずは
花で、その花は秋の茶色い色に照らされているようにファイルでは見えた。実際の、
その場の様子はというと、秋の茶色い色の光というのはなく、ただの午後の透明な光が
あった。しかし、ホトトギスの花は幾分紫があって、で、全体の雰囲気は秋の茶色い光に
包まれているようで、これが不思議といえば不思議である。
その後、ホトトギスの水色と緑色の空気の中に、淡い赤紫のホトトギスの写真も見て、
ホトトギスだから茶色いわけはなく、ちゃんとした物理的が原因があると、推定された
が、そうゆうものが目の前に現われることはなく、これもしかしないものだから、
しょうがない。
いくつか道を歩いて、またいくつかの花の咲く場所見て、ことしは早くから、これは
ホトトギスの花、というか花の咲く前のものだというのはすぐにわかった。夏というより
初夏ごろから特有の葉っぱが、出そろっていて、そのものは大きそうでだから余計によく
わかった。しかし花はこれからまだまだだと思って、今はコスモスなどが所狭しという感じで、
席巻している。すると、もうホトトギスのことも忘れるというか、隠れて見ない感じである。
きのうが雨でというのがゆっくりその辺りの花を眺める機会を作ってくれて、もうと
いうか、今頃忘れていた、ホトトギスの花が目に入った。幸運というもので、もしも
晴れていたら、それも目に入らなかったかも知れない。
咲き初めで、雨の中で、暗めといえば暗い。花の色が淡く、もしかしたら
見逃すところ。
ホトトギスの花がもう満開というのが多くて、これだけ蕾が多い状態は
初めて。見ている限り、この蕾も黒いからか、淡い色にうまく浮き出るようで
花よりも蕾の空間配置が見事に思える。
いつものように、チョウのほうも入れて。この日は長めのレンズで、これだと
チョウもほどほどの距離からでも大丈夫で、しかし数は少なかった。
花と蕾と、うまく調和がとれてと思えるところ。晴れの天気で、はたして
水色と青い空間に、この薄紫の濃い赤紫の模様のあるものが現われる
だろうか。