田園というと、交響曲とか書きそうになって、あわてて修正する。田園の音というのはあるのかどうか。昔は、案山子があって、カラスの、スズメの撃退のためで、今は田園というと、エンジン音は主で、それ以外はそろそろと揺れるイネの葉のきしれる音が聞こえそうで、聞いているか。その音が純粋に風の音、ということも考えられるが、この辺りはわからないものがある。風は音を持つのか。
もう一昨日になるが、広い田園を見て、その先に青く続く能登半島も見て、この姿というか、どこまでも続くような半島の薄っすらした青い色を追い続けて、しかしそれは地上の建物のせいでか、それ以外のせいかも知れない。最後には見えなくなったが、この半島はここからだと、かなり先のほうまで伸びる感じで、方角でいうとほぼ真北辺りが、半島の最東端になると思う。その姿は、海までいっても見えないということが多く、かなり昔になんども行った海岸から、その半島は北西辺りで切れて見えない。これだと地図でたしかめると、半島の付け根とか、あるいはまだ半島でない石川県で、能登半島のイメージは変わった。間単には見えない。
それが一昨日に見えたのだから、これはすごく、北風に感謝もした。そうゆうときがあって、辺りは田園で、国道は田園の中を走る。
近くでなくても、コンバインか、トラクタかが見えて、稲刈りに忙しい。広い広い平野があって、一部は大豆がある。春までは、麦が生えていた。ところもあるだろうし、そうでないところもありそうで、見渡す限り田園。その先に、かなり北の方角まで、青い薄い半島が見えてこうゆう機会は滅多にない。
この道の少しを、きょねんはなんども往復して、その最後というときが来た。もうこの道を通って、父を見舞いに行く必要もなくなる時間がついに来た。父の死は、もうはっきりとわかっていて、ただそのときがいつかという問題が残されただけだったが、今思うに、死の一ヶ月前くらいまでは、まだ何とかなるのではとは思っていたのは事実で、しかし、点滴を見てもこれで生きられるカロリはなく、栄養も含まれてなく、もう投薬もなく、またやせこけて、昔でいうのも今でいうのも同じ、完璧な栄養失調の状態で、熱があって、顔はやせてはいないが、その下に残るのは、パジャマを着ているからわからないが、骨と皮というのは明らかだった。
ある看護師さんは、血圧を測ろうとしていたが、その装置が、圧を測るためのベルトのようなものが、腕が細すぎてブカブカで、留めることも出来ないのである。もっとも飢えていた戦前・戦後という時代を生き延びて、食いしん坊で、それで痩身だった、父の最期の姿は、これも見るにしのびなく、餓死という言葉さえ思い出された。
こうゆうことも、思い出すもので、あまりその道を行きたいという気はないのだが、自分がまだ飢えるわけにゆかなく、そうゆう過去は早く忘れるべきだと思うが、たまには思い出して、書かないといけないような気もする。死の当日というのがあるが、これはなかなか表現が出来ない。
なぜ、田園から、田園を散歩して、こうゆうことになるのか、それもときどき思い出されるのか、何かが錯綜する。今でもそのことを強く思い出して、何で死ななきゃならなかったのか、という思いが頭を駆け回るときもある。
晴れている。田んぼの方から、バッタが飛び出してきて、それに気が付いて
何でも虫は、撮る、なんでもは間違いで、適度なものは撮る。バッタも
身の危険を感じるようだ。
食べないのだけど、だけどバッタも食べられたという記憶があるんだろう。
すぐにこの茂みに逃げ込む。
いい天気で、イネも順調というところ。
すでに刈られた。というところ。草の匂いがする。それから目がちくちく
しそうな感じ。
イネは刈り取られ、その茎は細かく刻まれて、そのまま田んぼに戻る。
この絵を見てそう思うが、大体この辺りは、刈り取りとイネの茎の
処理は同時に行なわれるようである。
黄金色。1年前もあって、来年はどうか。
来年は、麦畑で、さらに大豆が植えられているかも知れない。
町があって、田園があるか、田園に町があるか。
この田んぼもきれいに、イネが最後には頭を垂れた。少し他の草も生えて
というところが、いいのである。
もう一昨日になるが、広い田園を見て、その先に青く続く能登半島も見て、この姿というか、どこまでも続くような半島の薄っすらした青い色を追い続けて、しかしそれは地上の建物のせいでか、それ以外のせいかも知れない。最後には見えなくなったが、この半島はここからだと、かなり先のほうまで伸びる感じで、方角でいうとほぼ真北辺りが、半島の最東端になると思う。その姿は、海までいっても見えないということが多く、かなり昔になんども行った海岸から、その半島は北西辺りで切れて見えない。これだと地図でたしかめると、半島の付け根とか、あるいはまだ半島でない石川県で、能登半島のイメージは変わった。間単には見えない。
それが一昨日に見えたのだから、これはすごく、北風に感謝もした。そうゆうときがあって、辺りは田園で、国道は田園の中を走る。
近くでなくても、コンバインか、トラクタかが見えて、稲刈りに忙しい。広い広い平野があって、一部は大豆がある。春までは、麦が生えていた。ところもあるだろうし、そうでないところもありそうで、見渡す限り田園。その先に、かなり北の方角まで、青い薄い半島が見えてこうゆう機会は滅多にない。
この道の少しを、きょねんはなんども往復して、その最後というときが来た。もうこの道を通って、父を見舞いに行く必要もなくなる時間がついに来た。父の死は、もうはっきりとわかっていて、ただそのときがいつかという問題が残されただけだったが、今思うに、死の一ヶ月前くらいまでは、まだ何とかなるのではとは思っていたのは事実で、しかし、点滴を見てもこれで生きられるカロリはなく、栄養も含まれてなく、もう投薬もなく、またやせこけて、昔でいうのも今でいうのも同じ、完璧な栄養失調の状態で、熱があって、顔はやせてはいないが、その下に残るのは、パジャマを着ているからわからないが、骨と皮というのは明らかだった。
ある看護師さんは、血圧を測ろうとしていたが、その装置が、圧を測るためのベルトのようなものが、腕が細すぎてブカブカで、留めることも出来ないのである。もっとも飢えていた戦前・戦後という時代を生き延びて、食いしん坊で、それで痩身だった、父の最期の姿は、これも見るにしのびなく、餓死という言葉さえ思い出された。
こうゆうことも、思い出すもので、あまりその道を行きたいという気はないのだが、自分がまだ飢えるわけにゆかなく、そうゆう過去は早く忘れるべきだと思うが、たまには思い出して、書かないといけないような気もする。死の当日というのがあるが、これはなかなか表現が出来ない。
なぜ、田園から、田園を散歩して、こうゆうことになるのか、それもときどき思い出されるのか、何かが錯綜する。今でもそのことを強く思い出して、何で死ななきゃならなかったのか、という思いが頭を駆け回るときもある。
晴れている。田んぼの方から、バッタが飛び出してきて、それに気が付いて
何でも虫は、撮る、なんでもは間違いで、適度なものは撮る。バッタも
身の危険を感じるようだ。
食べないのだけど、だけどバッタも食べられたという記憶があるんだろう。
すぐにこの茂みに逃げ込む。
いい天気で、イネも順調というところ。
すでに刈られた。というところ。草の匂いがする。それから目がちくちく
しそうな感じ。
イネは刈り取られ、その茎は細かく刻まれて、そのまま田んぼに戻る。
この絵を見てそう思うが、大体この辺りは、刈り取りとイネの茎の
処理は同時に行なわれるようである。
黄金色。1年前もあって、来年はどうか。
来年は、麦畑で、さらに大豆が植えられているかも知れない。
町があって、田園があるか、田園に町があるか。
この田んぼもきれいに、イネが最後には頭を垂れた。少し他の草も生えて
というところが、いいのである。
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