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光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

暖かで、春の花は開いた。

2009-02-15 16:34:09 | 植物・花(冬)
  朝は少し寒かったが、その後ほどほどの暖かさ。
  午前は晴れだし、気温も上がった。

  外歩きをどうするか、考えていたが、
  この天気だと、やはり持つものを持ったほうがいいようで、
  しかしいざ一歩外に出ると、雲も風も出てきた。
  あまり期待は出来ないなー。

  風が強ければすぐに帰ろう、と思う。

  いくつかの花。




  かなり近い、ツバキ。ユラユラ揺れる。




  紅梅をめざして、早や足になる。あー、とか、おー、とか、いう溜め息が出る。
  咲き出した花は多い。しかし、空気が乾いていて、気の毒な面も。


  

  白梅はチラチラの木。




  一転、黄色いスイセンを見つけて接近する。背が低いので、カメさんを
  適当に花に向けての一枚。向こうの方は、あまり見ないでというもの。




  さらににぎやかな、オオイヌノフグリ。これも、
  機械を地面に這わせるようにした。
  明るいと露光時間を短く出来て、ブレもさほど心配しなくてもいいみたい。

晴れの空と、白い月

2009-02-15 06:54:08 | 散策
  朝のお天気、晴れ、たぶん快晴に近い空で、白い月が美しい。風もなく、穏やかなお天気で、きのうの気象情報とはかけ離れたもの。快晴の青い空と書こうとした。が、空が若干黄ばんでいるようで、黄砂の影響があるのかも知れない。あれだけの風が吹くと、その可能性はある。アメダスの6時の気温3.4℃、気圧は1014.6hPa、湿度は88%。室温9.8℃、これもまだ暖かい。

  きのうは夜になって、その頃から空は晴れだしたようで、でもそのころは、チラッと見て終わった。多少は風も冷たくなる。体も痛いようで、探し物をしている。こんなものはないか、そうゆうものを探すと概してないもので、当てが外れた。なかなか自分の都合のいいものは出て来ない。
  PC関係のハードも調べてみる。本体だと、大体、4つか、5つかのところ。あーここの会社は、どこどこのメインボードを使っている、ここの会社は、あれれ本体だけ扱っていて、その他の諸々はなしか。最後は昔から馴染みのところとなるけれど、どうも不況の風をもろに受けているようで、痛々しい感じもある。世の中、弱肉強食がここまで進むと、生き残りはむつかしい。チャンスはピンチであり、ピンチはチャンスだとか思うが、現実はそうではない。それにしても、だんだんと、取り残されてゆく感じがする。わからなくなってゆく、世の様々な物事の変化。

  眠って起きてを繰り返す。きょうも朝が来た。空を見ると、月が見えている。久しぶりの月で、その月のお腹はというとまだ少し膨らんでいる。下弦は、国立天文台の暦のページによると、17日の6時37分である。まだ少し時間がある。ちょうど月も春の星座に移ろうとしている。今朝の月は、おとめ座のスピカのもう左にあったようだ。朝に、これまた久しぶりの星空を眺めるが、すでに少し明るく、また月の明るさがあって、もう星も消えゆく時間になる。

  十分に明るくなって、先ほど黄色く見えていた空も今は、明るさが勝って透明に近い薄い青空がある。水色に近い青空で、また太陽が出そうなところは橙色である。今日は、晴れ、今は文句のない晴れで、これはいい感じである。

PCは、その後どうなったか。

2009-02-14 18:56:15 | 散策
  曇り空、空も曇っていると、これではいけない、という感じがして、文字の書いてあるものを読んだりもする。読めないもの、読まなくなったもの、いずれにしろ気持ちがないと、その行為は続けられない。
  一番身近なものは、新聞、これも半分は目を通して、その半分は広告だから、これは見ないようにして、しかし知っているものだと、例えば先にラジオでアナウンスされて、その後に文字情報、印刷されたものになると、それに目を通すが、どうも聴くのと見るのとでは違う。また聴いていると、いかにもいいような感じだが、見ているだけだと、ここってどこということになる。
  あっちも見て、こっちも聴いて、最後には歩いてみる。こうでないといけないようで、情報化の大海の中で、おぼれないようにするのはむつかしい。買い物に失敗は付きものだが、それでもやっぱり間違える。間違えて自分の納得のゆくものに出来ればいいが、そうもいかない。

  PCは、そこそこ動くものが2台ないと安心出来ない。安心か、そんなものはないなーという、諦観の心境にはなかなかなれない。だから2台で、そのうちの1台が、おかしい。単刀直入にいうと、略して「単直」といえるのかどうか、壊れている。手掛かりの一つは、「CPUがおかしい」というもので、これはPC自身の判断である。これをまともに受けて、たぶん壊れていないものに変えてみたが、変化なし。
  こうゆう作業は、もうかなりやっていなく、結構きびしいものがある。そうゆうことも少し書いた。その後どうする、いろいろ考える。また色々PCのことも気になるもので、最近は見ないPC関係の情報を見るようになる。新しいPC、がある。昔もあった、というか、それは新しかった。それを見ていて、ははんと思うが、なんだかよくはわからない。どうなっているのか、自分でもよくはわからない。こんなはずではなかったと思う。映画だとPCは壊れずに、あっという間に犯人の映像を割り出したりする。それから、パスワードを秘策で入手し、誰が悪の根源かを照らし出す。こうゆうような感じで、

  PCを使いたいが、映画と現実は、地球と、冥王星くらいの違いがある。
  その後も、慣れない手付きで、お腹は出っ張ったままというスタイルで、PCの箱の中を開ける。CPUは関係ない。その次は、メモリか。このPCには4枚もメモリを入れている。それでもちゃんと動いていた。それをはずして、1枚だけ入れてみる。結果は同じだ。電源が壊れている可能性もあるが、これは大儀なので止め。他にはというと、どうだろうか。壊れる感じの予兆は短い時間である。やはり、もう本体、メインボードの劣化だろうか。
  最後にCMOSのクリアというのをやってみた。初めてである。電池をはずさないといけないというのを初めて知った。アホだな。電源関係を大体ははずした。バリっという感じである。さらにジャンパの位置がビデオカードの下だから、それもビリッという感じで、剥がす。目が点になる。まずは、リチウム電池をはずして、っと。ドライバを使う。滑ると危ないが。これで、電源関係は大体遮断出来た。ここで、ジャンパ栓を書いてあるように、移す。特に手が滑ることはなかった。もういいだろう。もとに戻す。がちっという感じで、ビデオカードを押し込む。昔の感覚が戻って来た。電源も差し込んで、よっこらしょ。あー、重い。

  しかし、神様はいなかったようで、結果は同じ。これは、もう諦めるしかない。
  これをなるべくわずかなというか、短い時間でやる。若干昔の感覚は戻ったが、PCの構成品の色々を集めて、それを差し込んでいってネジで止めて、さらにより細かい作業というのは、もうやれないな、とあらためて思う。この先、どうするか思案中だが、これもまた、大変な作業になりそうで、怖気て、オジケテいる。春はまだまだ遠い。それから、個人向けのPCはどこに向かっているのか、というのもよくわからない。
  ほんと、映画と現実は全然違いますね。




  まぶしいサザンカ。葉も赤め。色もほどほど、しかし他の花は、雪の後遺症が出ていた。




  うまく太陽光が木々の幹の表情を浮き彫りにしてくれて、しかしこの木はなんという名前だろうか。あまり気持ちのいいものではない。




  以下は、紅梅の様子。




  梅の花も数がないと、今一つの寂しさがある。




  ぐるり、少しずつまわりを回って、その様子を見る。早く咲きだすもの。そうでないもの、少しずつ数は増える。


  

  ぐるり、130度くらい回転する。すると、見かけ上は、結構に密なところも現われる。ちょうど、外側というか道から見るとこの角度になって、植物もうまいことやっているな、と思う。
  見られるからこうなるのか、とも思いたくもなる現実である。 

続・オウレンの花

2009-02-14 16:16:49 | 植物・花(冬)
  グズグズしている。お天気の回復の具合はよくなく
  晴れ間が出て来ても、また曇り始め、雨がときに降る。
  さらさら空から冷たい雨が降る。
  気温はまだ高め。そのせいかボウッとしている。

  そうでなくても、このごろボウッとしている時間があって
  これは困りものだが、これにも理由があって、
  こんなものだ、こっちのほうが普通だ、とかとも思う。
  
  きょうはお昼からは晴れの予報だが、晴れ間はたしかに出たが
  それ以外は曇り、ときに雨。このままグズグズの天気だろう。

  それで、そのお天気が似合いそうなのが
  オウレンの花ということにならないか。
  忘れそうで、思い出した。




  大きくなって、また花もはっきり開いた。あちこちに見つかる。




  花だけ咲くようなものもあるが、緑濃い葉っぱもある群生が魅力的。
  だが、場所的に近寄れない。




  すでに花弁が出て時間がたつと、傷むものも出る。きのうの雨、というより
  風がよくなかった?。




  奥行き・空間がある。この辺りは機械まかせ。




  拡大。これだけは、切り出して、サイズだけを他のものと揃えた。




  別の花。ちょっと花弁が細く、繊細な様子がうかがえる。

  明るい曇りのお天気の光が、この花には似合うようである。

雨は止んだようだが、風は強い

2009-02-14 06:45:28 | 散策
  朝のお天気、先ほどまでは、弱い雨があった。風がぶり返して、結構うるさく、目が開くくらい。勘は外れた。それで、きょうは土曜日だが、ずっと土曜は雨で始まっているようだ。このところ、土曜は雨で、新聞の広告も湿っている。アメダスの6時の気温、15.5℃、気圧は1000.0hPa、きれいに0が並ぶ。湿度は92%。室温、15.8℃、この温度だと、寒くはない。

  夜が来た。きのうのことで、いい加減うるさかった風も一旦はおさまった。雨は夕方から降りだして、そのまま降っているようだが、弱めで、その音は気にならない。暖房が要らない感じの室温があって、下手すると暖かすぎて、気分が高ぶる感じもあった。でも、眠った。眠ったが起きた。それはいいが、暖かい。たしかに、きょうは、それはきのうでもありきょうでもあったが、暖かかった。これだと、寒さ対策のカーディガンはいらない。いらないと思ったが、いつもの習慣で着た。どっちでも変わらない。
  こんどは風の音で目が開く。また風が出て来た。吹かなくてもいいものが吹く。まだ前線が近付くまで時間があったようだ。その間に、南の暖かい風が吹き込んで、気温は下がったり、上がったりで朝の4時だと、17.6℃もある。

  いつもだと、もうすっかりと明るいが、今日は厚い雲があって暗い。薄明るくなるその中途にあるのかも。風はまだ吹いている。雨は、上がっているようで、瓦の濡れ方をみると、一部は乾いている。木々の枝葉に残る雨が、もしかしたらまだ残っている。

  このあとは、晴れのようだ。いい天気になればいいが、まー気温が高いのと、湿度もあるから、掃除にはいいみたいだ。頭の中では、あれをやって、これをやって、と思い浮かぶものがあるが、せいぜい文字を眺めるのが精一杯という感じもする。

風と、雨と、花粉とだるさ

2009-02-13 18:54:11 | 散策
  風である。フェーン現象で、朝から空気は乾いていた。こうゆうときに、火が出ると大変なことになる。なぜか大火というものがあるが、それが日本海側の街で起こるが、ほとんどがフェーン現象が付きまとう。この風の不思議というのは、太平洋側の、冬の晴れ間に吹く空っ風とは、時間的には、両立しない。
  日本海側で、雪となると、水分のなくなった空気が、少しだけ気温が上がってでも、途中で冷やされて、冷たい乾いた風となって、太平洋側に滑り込んでゆく。逆に、きょうのフェーン現象は西日本で雨になってという後のもので、このときの気温はというと、なぜかそんなに下がらない。すっかり暖かくなった、乾いた空気が、日本海側の北陸の山を越えて、平地になだれ込んでくる。フェーン現象というと、日本海側という、一緒になった強固なイメージがある。これで、雪も極端に溶けると雪崩も発生する。あまりありがたいものではない。ない方がいいと思うが、そうはいかない。そうゆうことになっていて、

  強い風の中、仕方なく食べ物を買いに行くことになる。風が、舞う。いい感じで舞うかというと、やはりそうではない。今日は後から押されるというほどの強いものはなかった。私が歩いているときは、そうゆうものはなかったようで、ときに信号がユラユラと揺れるような気もする。あの重そうな信号が揺れるほどの風が吹く。看板がときに剥がれて、その辺りに転がって来る。思いもよらない、地上の風で、人はときに困惑する。風のことはこのくらいで、

  こんどは雨。今日は夕方から雨になった。これは少しだけありがたい。それまで雨を降らせていた雨雲がようやくここまで来たことになる。これで、気温の上がり方もおさまるし、また風も弱くなる。雨が降り風が弱くなって、その次に待っているのが、懐かしいかも知れない、雪。あるいは雪のような、氷のような、雨のような、もの。ミゾレにヒョウに、アラレ。再び、冬が牙をむく。
  雨は、ほどほどだとありがたい。雨が降らないといけないときというのが多い昨今のようだが、この雨が降らないと、植物も芽を出しそうにもない。裸の土が雨で流れてゆくのは、気持ちのいいものでもなく、またありがたくはない。早く草の一本も生えてくれればと思う。すっかりと枯れ草色になった今だが、この雨はありがたい雨で、また土が流れてゆくのを最小限にしてくれる、一番の早道である。

  花粉が飛んでいる。これはもう明らかなようで、私などは、1月の半ばくらいに、この花粉を察知して、憂鬱になった。なったからどうのこうのではないらしく、気の持ちようも大切であるらしい。神経が苛立っている、という場合、花粉症の症状が強く出るというが、もっともでもあると思う。もともとそれがなくても憂鬱ではある。それに拍車がかかる。気の持ちようも、花粉症から悪くなるというのも事実のようで、最後は自分で踏ん切りを付けないといけない。花粉症も、気の持ちようで、かなり状態が変わるし、またその逆もあるのだろう。それで、雨が降れば少しでも、気分は落ち着く。花粉も洗い流されて、空気は一旦にしろ、浄化される。そうゆう時間がやって来るようだ。

  だるさである。かったるいが、これもしょうがない。日頃の怠慢というか、怠惰な生活というのがあるのがはっきりとする。それゆえ、少し「探し物」をしたりすると、覿面に疲れが出る。床を這うように、下のほうを見る。もう体が折れ曲がらないというところまで、体を折って、探し物をする。出て来ない。また出したものをもとに戻す。もともときれいにおさまっていたものが、こんどは見事に「ちゃらぽらん」になって、その感じの悪いこと。でも、探し物をやる。ようやく、神様が助けてくれたのか、説明書が出てきた。しかし、問題はこれから。
  ある人にとって、それは軽い。しかし、自分にとってはもうそれは石のように重い。2段に、重いものが重ねてあって、下のほうをこんどは上に持ってくる。腰が曲がる。腕に力がかかる。どっこいしょと持ち上げて、違う場所に移す。こんどは、上のものを下において、これも大体ではだめ、あるポジションがある。それを決めるには、床を見ないといけない。それが終わって、こんどは下にあったものを上に乗せる。溜め息と、腰の痛みと、それと嫌悪感みたいのが出る。あー、こんなことで息も上がるし、体もガタガタになりそうだ。

  この、2、3日のことを短く書いてみて、体の痛みとだるさとを味わって、意気消沈する。これも日頃のおこないの結果である。仕方ない。まだ、大丈夫だろう。そうゆうことにしておかないといけない。


  春の気配。青空もあり、青い花弁もありだが、この空はよく考えたら、黄砂の空でもあった。




  梅の花を撮る、その前の時間の空。空は青く、木々の若い目が白い。




  こちらの方が、はっきりして、植物の力強さが光に変わっている。

  春でなくてもあるが、春が似合う、オオイヌノフグリ。




  チラホラである。だんだんしかし、歩を進めると、たくさんの花が咲いている。




  膝を折って、接近する。少し腰も痛いし、足も突っ張っている。




  太陽に垂直になるように、地面は傾斜していて、ここはオオイヌノフグリの特等席。




  より密集している、オオイヌノフグリだが、その感じがうまく出ないところ。小さい花だが、冬でも緑で、また春を待っている。

黄砂の空

2009-02-13 16:25:53 | 散策
  強風、雨はまだ。

  雨にならないだけまだましなようだが、
  この風の中外を歩くというのは、
  個人的には、一番嫌いなパターンで、
  その他、結構ガタガタ建物も揺れるようで、
  でもどうしようもない。

  風よ、止め。お祈りをするが、風はまだ止まない。
  雨が降りだすと、風も少し弱くなるはずだが、その気配は今のところ
  ない。
  クシャミが出る。まだかわいいクシャミで、きっと花粉が飛びすぎて
  薄まっているのかも知れない。
 
  明日はさほど冷えないというか、寒さの揺り戻しはないようで
  あさって、もしかしたら雪、ということになるという。


  それで、空といえば、今は黄砂。色々あるが、きょうは
  これはもしかしたら、黄砂の空というもの。




  これは、2月11日の、朝で、まー普通の夜明けという感じ。




  雲があるので、真っ青にはならない。太陽光もにじむ。




  2月12日、きのうの朝で、ラジオで、TVで、黄砂が降ると予報された。
  なんか肉眼で見ても、どんよりだったが、画像もどんより感がある。
  黄砂を吸っているとなると、ちと心配。




  少し広角にして、こっちのほうが朝の空の「よどみ感」が出ているかも。




  この日の、朝の瓦。黄砂だからかどうか、関係ないかも知れない。
  どちらにしても、瓦はときとして異様な容貌を見せてくれる。




  夕方である。黄砂の影響があるかどうか、わかりずらいが、
  たぶんあるのではないか。

  それで、きょうはというと、どうだろうか。ただただ風が強く
  空は灰色である。

強風・春の嵐

2009-02-13 06:50:09 | 散策
  朝のお天気、曇りで、強風。先に、風の音が気になる。きのうからわかっていたけれど、この春の強風は、好きではない。気温が上がるから、暖かいともいえるが、頭痛もひどくなる。先に外に出てみる。地上は風はまだゆるめ、で、暖かい。なるほど。アメダスの6時の気温、11.2℃、5時だと12℃。なるほど、2回感心する。気圧は1013.6hPa、湿度は35%、乾いた空気。室温は、8℃。

  きょうは大荒れのお天気、その予兆がすでにある。色々なものが飛んで来そうで、またTVのアンテナが倒れないか、その不安もある。

  眠っているが、目も開く時間である。雨は降っていない。風のヒューという甲高い音。金属のカラカラいう音。好きではない。時計のカウントダウン。仕方ない、起きた。窓から外を見る。開けないまま。月が大きく明るく、雲の向こうに輝いている。巨大な彗星のようにも思える。大体、彗星を肉眼で見ると、それも光学機器を用いての場合だが、これをものすごく小さくしたものになる。だから、逆に雲の向こうの「ぼうっとした光芒」を見ると、彗星のことを思うが、こんなことが現実にあると、それこそ大変なことになる。

  新聞を取り出し、それから、外に出る。「いえ」の中より外のほうが、暖かい。風があっても暖かいから、いやになってしまう。このところだけは、いやではない、というか好きではないという言葉を、取り消さないといけない。一体に何℃あるのか、という思い。

  細かいこと。食事も無事に終わって、さて薬を飲もうとする。プラの包装の凸の部分を、押す。これで、ポロっと小さな錠剤は出たはずだが、マジシャンがいて、その錠剤が見えない。おかしい、色付きのものだし、見えないとはどうゆうこと。おいおい、自分の目がおかしいのか。下に敷いてあるものを少し動かすが、ない。最後には、薬箱の方で、見つかった。完全に包装から、出ておらず、それを元の袋に戻したとき、その袋の方に乗ったらしい。見つかって、よかった。

  ここに入るときに、パスワードを3回も間違えた。ちゃんと押しているはず。イメージは、頭の中にあってその文字の名を繰り返す。おかしいな、間違い?。しかし3度目の正直で、何とかなった。なんだか、ガタガタになってゆく。そのことがいやにはっきりする、朝の出来事。

着膨れと春の梅を探して

2009-02-12 19:05:00 | 植物・花(冬)
  きょうは暖かいそうだ。そう言われると、電気ヒータのスイッチを「中」にしていると、足が熱い。慌てて、アチアチという感じで、ヒータを遠くにやる。いつもやっている、低温ヤケド防止の、アルミホイルで作ったプロテクタをしてなかったこともあるが。この低温ヤケド防止用のアルミホイルの厚さも、かなりのものがある。こんなものを自慢してもしょうがないが、最初はボール紙に薄いアルミを巻いただけもので、これは薄い。それからどのくらいの月日が、流れたか。
  
  外の感触というと、結構に寒いのが現実であるが、でもこれも人によるのであろう。若い人でも寒がりいる。暑いのは平気ですというのは、スポーツの選手にはいそうなあるいは多そうな気がする。その他、どっちもだめというのがあるが、書かなくてもわかる。冬が好きという人も、時代とともに変わるもので、ずっと冬の寒さが好き、という方にはお目にかかっていない。夏も同様だが、どっちもだめにも程度問題があって、きょうの着膨れ度は、自分でもおかしいと思う。
  真冬である。一番寒いときでもあって、これだと着込んでいても、特に衣服が窮屈に思えることはない。少し邪魔だなというときは多いが、それでも寒いよりはいい。いつも顔を洗って、ということもやらなかったが、そういえば最近は、特に外に出たら、帰ると手も洗うし、顔も洗うし、鼻うがいもする。これをやるときは、お湯が出てくるときになると、何でこんな厚着をしている、自分でもおかしく思って、一枚脱ぐ。もう一枚くらい脱いでも大丈夫そうである。
  これも春がそこまで来ているせいか、あるいはシガラミが鬱陶しいのか、老化の段階が一段進んだのか。それで、一枚脱ぐと、かなりすっきりして若返った気にもなるから、不思議なもので、ホッキョクグマは分厚いコートをいつも来ているが、気にならないのか、とも思う。、特に、日本の動物園にいる、ホッキョクグマ。

  着膨れしている。これが鬱陶しい。春が近い。そうあればいいが、着膨れよりも、体が思うように動かないというのが、本当のようだ。でも、この話しはもう止めよう。だんだん、現実が惨めにも思えるから。
  春のようで、春ではない。黄砂はたしかに空気中にあるようだが、それも忘れた。で、春といえば梅だが、この花も、ここのものは一輪咲いて、上の方に、もう一輪あるようで、しかしかなり高い。こうなると、いやでも梅探しに行かないといけなくなる。台所の写真もずいぶんと少なくなってしまった。あそこにあるものを忘れて!、それは雪の写真だったりもするから、これではどうにもならない。雪はもういいか、もう少し先でよく、ここは、春の梅。梅の花探し。で、もう行くところは決まっている。これだと面白みは半減するが、しかし切羽詰っている。背に腹は換えられず、順路を考える。

  きょうは弱いながらの北風。これも歩き始めると、暖かさに影響はしない。こうゆうときに、しかし寒い思いはしたくない。これがただの歩きというか、散歩と違うところ。ときどき、立ち止まる。何かを探す。唖然としたりもする。ここには昔、バラがあったが、今は影も形もない。そうゆう感じであって、そこにたたずんだりもする。こうゆうときは、厚着はいい。
  色々、ときと場所によって、書くことも、言うことも変わる。それで、もしかしたら、当てにしている梅の咲いている場所以外に、梅の花が咲いているかというと、結果は否であって、ここの花も咲いた日以外に特に進展はない。これだと、当ての場所もあまり変化はないのか。いやな予感がする。しかし、オオイヌノフグリは明らかにたくさん、それに色濃く咲いている。これでゆくと、梅の花がチラホラでもいいはずでは?。三色スミレが植わっているところ。ここを見ていると、寒さも伝わる。それで、その梅の咲いているはずのところは、っというと、すでに、その様子は出ている。

  パラパラとではあるが、梅の花は咲いていた。どうにか、早咲きの梅の名を冠してもいいような気もする。知っているものだとこれ以上のものはない。一部を切り出す形で、




  さらりとした、梅の開花。匂いはない。まだ薫る程度の花はない。




  早く咲いた梅の運命というものがあって、一つ一つの花を見ていると、それなりに、花弁の傷みがある。で、その横にかわいく蕾が膨らんでいる。




  もう少し早ければ、純白だった。いつしか、少しだけ傷みが出て、その横にはやはり蕾がある。




  別のものを、別の方角から。この先には、建物があって、花と一緒だと違和感がある。これは、中心部を切り取らざるを得なかった。
  場所的に、撮ることの出来る方向が限られて、反対を向く花も多い。反対の方は、日が当たらないが、そちらにも梅の花は咲く。これにしかし不思議はない。


  それで、もう一箇所、さらにいってみる。お寺の辺り。ここの紅梅が、咲いているのはわかっていた。




  ほどほどの位置に、数輪の花があって、そのうちの一つ。どうにか、紅白の梅を見ることが出来た。

  いい感じで、紅白の梅の花を見ることが出来た。なんだか書いていて、ギクシャクしたが、梅に関しては、言うことは、むろん何もありません。

黄砂が飛んでいるかも知れない。

2009-02-12 16:30:00 | 散策
  朝のラジオのほうで、黄砂という言葉を聞いた。
  朝のときはすぐには思い出せなかったが、TVの
  お天気情報でも、黄砂が観測されたということを
  言われていたような気もする。

  そのせいか?、あるいは違うかも知れないが、朝のお日様の様子は
  ぼんやりであった。
  月が見えていたが、これだと、その辺りは快晴に近い感じだった。
  が、太陽光の明るさだと、空気中の細かい粒子が
  肉眼でも検出されるようで、また微妙な屈折とかの現象も
  起こっているのだろう。

  黄砂といい、雷といい、雨といい、これは、まー春のようではある。
  これに花粉が本格的に空気中に舞うと、春も完成となりそうだが、
  ただただ春が来て「めでたし」とならないところ、が、今を感じさせる。
  どうなんでしょうかねー、自分でもよくわかりませんけれど。




  抽斗から、どうにか引っぱり出してきたもの。
  これは、木の枝に付いた苔。緑が空中にあるのが、わかっていただけるかどうか。




  きのうのものと同じ時間に撮った、オウレンの真上からの拡大。
  これと同じものの、サイズの縮小したものは、すでに一度出た。




  常緑の緑。これがなかなか「かっちり」と写っているので、目を引いた。




  きょうの空と、カエデ。多少、小さいながらも、葉っぱの芽が大きくなっているようにも感じる。




  まだチラホラの、梅の花。この木の蕾の数は、今はご覧のとおり、
  あまり多くはない。この先、どうなるか。