光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

振動する春の空。

2009-02-24 18:45:41 | 植物・花(冬)
  朝は、早朝を除いて、晴れ間より雲の多い、晴れ、そのうちに、本曇りとなって、少しだけ雨が降った。その雨にぴったりと出会うことが出来たのは、幸運か。このところ、微妙な天候の変化があって、しかしまだ春という感じでもなく、かえって変動の激しさが、体の少子を狂わせる気もする。そうゆう意味で、春と言えるかも知れない。もっとも春が本格的になると、花粉も結構に飛ぶし、春の嵐の手ごわさというのもわかっている。木の芽時はもっと先である。そうゆうときのほうが本格的な危機感が生じるが、これはこれで、そのときに考えればいいか。

  微妙な変動を示す天気で、先週は雪が降った。この雪はしかしさほどひどくはなく、その日のうちに溶け切らないときもあったが、こうゆうものは列島のどの位置に自分はいるかによっても違う。また同じような場所にいるようで、かなりにピンポイントな違いが感じられたりもする。この辺りの自然の変化の微妙さは、人の感覚よりもずっと敏感というか、法則に貫かれていて、それを理解するだけのものを持ち合わせていない。これは、観天望気のほうが有効なものがあって、
  またその経験も今は昔の感じがあるが、ずっと昔の人のほうが有効にその情報を利用し、また戦略として用いていたようだ。もっとも、それだけ危険な目にもあっていると、人の命も縮まるだろう。これは嫌で、なんとなくだか、なにかのモニタを見ているほうが身の危険はない。でも、その分他のもので緊張もする。いかにして、気候を予想しまたそれから逃れるかは、部分的にしろ、大変である。

  朝方の晴れ間というのもまことに微妙なものがあった。これも、体の痛みと一緒になって思い出される。こうゆうことを気にするのもまずはあまりない。この時間だけ夜は晴れて欲しい。そう思う人は少ないはずだ。夜に、雨が降り、朝になると止んで、すっきりした気分で起きること、これが理想に近い、ものであろう。私も、普段は夜はただただ眠るためにあって、また安穏とした時間が形式的にも過ごせるようで、その間、雨が降っていようと、風が吹いていようとあまりに気にしない。適度な雨は歓迎されるし、これまたこの辺りでは春が来た、あるいは春が近い証拠にもなる。
  果たしで、この後、結構な雪が降るのか2月も残り少ない時間を前にして、このまま小雪で終わってくれればと願わないではいられない。しかし、雪の必要性もわかっていて、また冬のスポーツにこの雪は必要である。また、雪の降り続く日というものがいつ来るかわからないことも、これもたしかなことであるから、そのときに慌てないためにも、やはり適度な雪は必要なのである。もしも、温暖化の反対の状態、灼熱の地獄の正反対のもの、「氷河期」というものが来たなら、いったいどうなるのか。こうゆうことも、せいぜい名前くらいは、記憶に残しておいてもいいことだろう。

  小さな春の息吹のようなものを感じながら、まだまだ寒いときを過ごしていると、安心というものはない。これでいいのかという疑問が常にある。これとはまったく関係はないが、歩くときにポケットにミニカメさんを入れる習慣がなくなって、このままだとそのミニカメさんも活躍の場がなくなるような気もして、都合がよければそれを持つことにした。まだしかし、大して時間はたっていない。一旦止めてしまうとなかなかもとには戻れないもので、その反応の遅さというか、ゆっくりなものに躊躇する。でも、散歩だからそれでいいのだと言い聞かせる。
  手に馴染まないものもある。この感覚はだんだんと歳を重ねると強くする。これまでは、ツルッと滑ることはなかった。吸盤のように吸い付いていたものが何の抵抗も無くするり落ちてゆく。恐ろしい出来事である。手がツルツルしている。ペンを持っていても摩擦がなくなってつるり転がる。嫌なことだ。これが起こる。
  他にはどうだろうか。いつもならぶつかることなく通っていたドアの取っ手に衣服が引っかかる。また、飛び出している箪笥の角に頭をぶつける。当たることのなかった、目の上の棚にぶつかる頭。つるり滑って、靴に着地せず、タイルの、つまりは地面といってもいいところに足がゆく。
  なんだか、話しがおかしな方向へゆくようだ。一つは老化であり一つは、それに反することをやらないといけない、というものだが、はたしてどうなるか。これも、人の振動の一つで、冷や汗も出る。なかなか、安寧の境地には達することはない。いつもの、半分ぼやき、半分は「やけ」のようなことを書いて、おしまいになった。

  

 
  春の色は黄色で始まるようだが、レンギョウの花もまだだし、またサンシュユはかなり先のこと。クロッカスの黄色が今はいい。半分開いて、という状態。白いものも出てくるはずだが。




  オオイヌノフグリも、半分は開いて、半分は閉じているようである。




  紅白の梅。ますは白いほうから。ほどほどに咲いている。小雨が降っている。1枚目から、すべて小雨の状態のものです。




  大きく撮れるところというと、なぜか同じ場所を選んでいるようである。




  きのうも出た、紅梅の、南を向いての、つまり逆光になる方向から。
  小雨だと、特に問題はないようで、また梅の花のしっとりとした感じも出ている。




  反対から、太陽のある方向からのもの。ほとんど反対方向からのものと変わらないものが出来上がった。

  小雨のお天気だと、押しなべて中庸というか、ちょうどいい具合のものがあるようで、しかしそれゆえ、インパクトもないという感じもする。  

少し、過去を遡ると。

2009-02-24 16:30:04 | 散策
  一日の午前のことも忘れることがある。

  きょうなどだと、これはちょっと様子が違って、 
  早朝少しだけバタバタやったから、それについては覚えている。
  うろ覚えだが、狭いところで、上の方を見ていたから
  腰も痛いし、ピリピリしている、
  手も痛いし、ってこうゆうことが記憶としてははっきり残る。
  それ以外は意外と簡単に忘れる。

  写真も同じで、新鮮なのは一番使いやすい。
  しかし残るものも多く、これに頼る。この作業は
  結構楽しい反面、こんなところへという思いもある。
  こんなのあったのか、というものもある。

  そうゆうものを少し。




  少しの積雪というのもあった。にわか雪見たいなものだった。



  
  雪の量は少ないが、少しだけ凄みがあると思う。




  枯れている木というのは、ときどき出るが、これは反対から撮ったもの。
  空が青い。




  幹の皮が剥がれる。どうなってゆくのか不明。




  見上げる、梅。すぐそばにあるが、まだ花は咲いてない?。
  そばだが、見上げることがなかなかない。でも、これが標準的にも思える。




  拡大した、オウレンの花。花の一部を切り出している。




  同じくオウレンの花。これも中央部分を切り出した。

  在庫整理というと、これはファイルを全部消してしまうことになる。
  これがなかなか出来そうで、出来ない。溜めるのは、
  宿題みたいなものだが、これは簡単。

2月24日のルーリン彗星

2009-02-24 07:00:51 | 星空・天体・宇宙
  朝のお天気、晴れ。雲の多い晴れで、西の空はほぼ曇り。天頂辺りは快晴。東の空は、おぼろ雲。雲が動いていて、晴天域も移動する。風はほとんどない。早朝は、薄い雲があったが、星が見えた。アメダスの6時の気温、1.1℃、2℃台から1℃台へと下がっている。気圧は、1020.2hPa、湿度は95%。室温7℃、比較的暖か。
 
  話題になっているルーリン彗星(C/2007 N3)だが、きのうは地元の新聞の1面を飾った。いよいよこの星も見ておかないといけないような気になる。しかし天候がよくはない。一昨日は失敗したし。しかし、きのうの地元FM局のアナウンサさんは、明日は晴れもあるというようなことをおっしゃったし、もしかして晴れるかも知れないと思う。ここは、まずは用意だけは周到というか、まずは位置を雑誌で確認し、またその雑誌を机の上に開いておく。あとは眠るだけ。

  珍しく、日付の変わるころに起きた。しかし、外を見るとこれはまだ曇りである。が、宵の時間よりははるかに穏やかな空。雲もあるかないか、というところ。ルーリン彗星を見るというか、見つけるチャンスというのは、ほぼきょうの朝、早朝しかないようにも思える。土星に近付くからで同じ視野の中に、その彗星はある可能性が高い。復習する。
  こんどは、3時に近い、2時50分ころに目が開く。このときの時計がこの時間でよかった。外は薄い雲がかかってはいるが、星は見えている。着るものを着て、2枚多く着て、窓際へ。もう口径が3.5cm、倍率は7倍の、双眼鏡は持った。あとは窓を開けるだけ。すぐに、おとめ座のスピカはわかった。そのスピカの右側をたどると、窓の枠のギリギリ内側に土星がある。これが土星に違いない。

  惑星などは、双眼鏡でも、一度のぞいておくと、それは恒星の輝きというか、見た感じとは違うというのがわかる。これは有限の面積を持つ天体だからだろう。ただ、明るい金星とか、また木星は、明るすぎるからこれも当てはまらないかも知れない。しかし、この二つを間違えることはない。土星は、少し雲のあるせいか、滲んでいて、しかし金色に鈍く輝いている。この鈍さが土星の特徴で、

  あとはルーリン彗星を探すだけ。薄い雲があるが、もし位置予報が正しいとすると、この土星の斜め下、左側に、その薄っすらとした、光芒が見えるはず。土星の横には、明るいしし座の恒星がある。その他の細かい星が見え始めると、あーこれかも知れないという、これまた薄い明るい、輝きが大きめに見える。目の中央ではなく端っこで捉えるといいというが、これも好き好きで、これがたぶんルーリン彗星というものだろう、というものを見た。見たこと、あるいは感じがしたことにした。めでたいような、でも、足が痛くて、足の付け根も同じく痛い。寒さが身にしみて来た。すぐに、また薄雲がかかる。

  この彗星は、暗い。しかし、土星がそばにあるので、きょうの早朝は、かなり見つけることが楽な感じがした。完全に晴れていれば、双眼鏡なら、土星が入ればしばらくすると、わかるのではないか。地球に一番接近すると言われる日だが、土星にも一番見た目で近付く日でもあって、この幸運がないと、見つけにくい。
  ルーリン彗星は、薄い雲を通してだが、見えたような気がする。しかし明るくはなく、暗い彗星であるようだ。ただ、全体というか、その光芒は思いの外大きく、これは写真などで見るのと同じで、なるほどと納得させられるものがある。
  土星と見かけ上非常に近付いた、というのが最大のポイントのようで、これを見ることが出来た。また幸いにも、その時間晴れていた。幸運がこの星の回りにあった。
  ただ、これはが本当かどうかの判断は、2月24日の午前3時ころの、ルーリン彗星の写真というもの、それもなるべくなら、広い視野の中で写っているものの写真を見て、それで、そのものと私のイメージが一致するかどうか、その作業を待っての、後になる。