光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

初めてスイッチを入れたPC

2009-02-18 19:08:15 | 散策
  雪ではなくて、雨が降ってきたが、これが雪に変わる可能性があって、油断出来ないというか、まだまだ春は遠いのかも知れない、とあっちにこっちに振動する。
  きのう、OSが入っている、すでに、インストールされているPCをスタートさせる、その前に自分の使っていた、昔のPCのもののハードの一部を組み込んだ話しを、かいつまんで書いた。その続きを書く気でいたので、書かないといけない。電気を入れるときが、一番ドキドキするが、その後というのも結構に色々なことが待っていて、安寧の心境にはなれないものである。昔は、というと時間も短くて済んだが、今は何ごともすべてが大仰になる。

  OSがインストールされて、必要なドライバも入っているものだと、そのままで特に問題なく動くというのが、普通だが、それ以外に色々なハードを入れてから、電源を入れるとなると、どうなるかわからないというのが本当のところ。
  で、期待を裏切るようだが、PCはちゃんと動いた。POSTの画面はただのロゴだが、その後すぐにウインドウズのロゴも出て、購入後に別に入れたパラレルのハードディスクも、さらにその後に調べたら、ちゃんと認識されていた。エラーとかいうのは出なかったのである。

  でも、まずは最初にウインドウズのロゴの画面だけ出て、それから相当の間、待たされたから、心拍も、血圧も上がっただろう。それは間違いない。ようやく、シルアルナンバというか、今見るとプロダクト・キーとあるようだが、5文字のアルファベットならびに数字を、5箇所の空欄に埋めるそうゆう画面が出たときは、さすがに少しだけ安堵した。この文字の入力も、
  そんなものはどこにあると思われる方がおられるかも知れず、書いておくと、PCの本体とか、あるいは、OSのディスクの入っているその中の紙片に記載されている。どこにでも書かれている、というか印字されている可能性は、なく、恐らく一箇所である。これについては、少し昔に、PCのケースにその文字があることを認めて、紙に書いておいた。こうゆうこともやっておかないといけないこと。大体に小さく、そのうちに虫眼鏡が必要になる。
  こうゆうこともわかっているので、小さい文字をいつも大きく、誰でもわかるくらいに大きく他の紙に記載しておく。これを誤記入したことがわかって、そのところを書き直した。というか、打ち直した。これでは、なかなか先に進まない。

  OSをすでにインストールして売られているPCというのは、何となくだが、これまでの感じと違う。これは、OSのインストールから始めるということを今までやっていたこともあるが、きっとこの面倒さをもっと簡単にすることが、求められていたのかも知れない。でも、どっしにしろ、認証という作業も待っていて、ネット環境をすぐに使えないと面倒なことにもなる。私は、ルータというものを使っている。モデムと、PCの間に入れているもので、ルータの方に、ネットのプロバイダ関係の情報は入っているから、ただケーブルをつなぐだけで、通信のやり取りは出来る。ほぼ問題は起こらない。それも済んで、これからがまた大変だが、かなり省略して、もう一応ウインドウズの画面が見えている、というところにしてみる。

  OSのリビジョンはというと、SP3である。これに新しく、マイクロソフト社の修正ファイルならびに追加ファイルを入れないといけない。でも、これを入れている間に、不正を起こすウイルスとやらも入って来る可能性がって安心は出来ない。ならば、セキュリティ・ソフトの導入のほうが先にしたほうがいいような気にもなってくる。実際のところはもう忘れているが、勘で判断して、たぶんセキュリティ・ソフトのほうが先だったと思う。これも、文字の入力が必要で、しかしそれが済むと、インストールそのものは、やけに短い時間で終わった。OSが、XPのHomeか、Proでも違うようだし、SPの新旧でも違うようだし、ビスタの場合は幸いか知らない。
  これが思いの外、短時間で済んで、一応邪魔物の侵入の対策の最低限は出来た。このセキュリティ・ソフトのほうの更新もあっという間に終わる。その後に、マ社の追加ファイルをネット経由で入れるが、このためのファイルの容量が、270MBくらいというものになって、SP3になった後の、修正ならびに追加ファイルの容量の多さにも驚く。

  これを見ているというか、やっている時間はなく、途中で打ち切った。これは、その後に再開するとすでに到着しているもののファイルは有効で、まだ向こうにあるものだけが、新しくコピーされる。

  なかなか、終わらない。まだ始めて最初の部分を書いているが、これでは到底ウインドウズのスタートというか、実際に使用するというところまではいかない。
この先はどうだったか、まー、新しいPCは動いていて、後からこちらで別に入れた、パラレルのハードディスクも無事動いているというところまでで、十分かも知れないなー。
  でも、すでにPCは、フリーズもしたし、ビデオカード関係のもので、調節するとモニタに出るその色がおかしい、などの症状も出ていて、決して順風満帆ではないということも、書いておかないといけないと思う。


  雪景色の色々、冷たい朝編。




  ヘクソカズラの実と、雪と。朝は寒く、雪も原型をとどめているものもありそう。




  小さいカエデに、たっぷりと冷たい雪が積もる。




  枯れたアジサイの花はたくさん出たが、雪アジサイというのはどうか。でも、新芽に雪はもうないが。




  日が当たってきたドウダンツツジ。




  常緑の木々の葉っぱの雪も、太陽に明るく輝くと、なかなか見応えがあるように思える。

雪空は、変貌する

2009-02-18 16:31:09 | 散策
  朝は雪、何時ころまで降っていたか。

  この辺りの記憶が最近はない。
  たぶん、午前中には、止んで、それできのうと同じように
  午後は晴れ間も出た。

  今はまた、怪しげな天気で、雷もなっていそうだが、
  これがもしかして、春が近いということに
  なるのかも知れない、など思ってしまう。
  大雪は今のところ降らないのではないか。

  きのうは、午後は一旦雪空に戻ったようだが
  夕刻、また晴れ上がった。この空は、文句なく美しい。




  晴れ上がった。透明度が抜群である。空も青いし。
  遠くにあるのは、雪雲のようだが。




  太陽の位置が、だんだんと西側に移動して来た。
  明暗の対比が、透明感と相俟って、際立つ。




  煙突の煙もご覧のとおり。




  今朝である。また雪のお天気に逆戻り。平凡だが、忘れそうにも
  なる光景だから、復習で、もう一度。




  雪の量は、見た感じよりもずっと多い。




  落葉、あるいは常緑の木々も、また雪の葉っぱを咲かせた。

雪の朝は美しいが、寒すぎる

2009-02-18 06:51:22 | 散策
  朝のお天気、イテテテ、という感じで、雪。信じられないが、きのうは雪の晴天の朝だったので、また雪の朝で、積もっている。今もまだ雪は降っていて、視界も悪い。悪天候の水曜日。アメダスの6時の気温、マイナス0.9℃、気圧は1024.1hPa。積雪は5cm、湿度96%。室温、5℃。

  夕方、きのうであるが、青空に白い雪雲が映えてなかなか見ているのはいい。しかし、気温は下がっている。しかし、雪は降りそうになく、このままだと、もうことしの雪も終わりか、など思っていた。半分は上の空で気象情報を聴いていたが、これは仕方ないだろう。体はガタの限界までいったし、気は急くし。
  ばったりとコタツの中にいる。コタツはやけに暖かく、当たり前だが、ヤケドしそうになる。もうここまで来ると、PCの悩みは大したものではなくなった。でも、あまり満足感というものはない。勝手なことを目を閉じて、考えていたが、コタツの中が熱くなりすぎて、うたた寝は止めた。このとき、外の天気は曇りか、金星は見えていたから、晴れだったかも。時間とともに、曇りガラスになってもう遠くは見えない。
  
  夜中がある。星が見えていたのが、記憶にあって、これが眠っている間のことか、それ以前のことかはっきりしない。しかし、もう一度夜中に窓から外を見ると、はっきりはしないが瓦に雪で、お天気は雪ということがわかったが、ついに朝になると、これがかなり本格的であることがわかった。あれあれ、また雪かい。がっくり来るが、それにしても、まるで新雪である。きのうの雪も溶けて、きょうの雪は凍ってはいない。この表現はおかしいかも知れないが、雪そのものの柔軟性がある。フワフワしている。これがまた降って来ていて、しかも最低でも5cmはある。恐らく10cmくらい積もっているところもある。
  きのうは凍結していた。これはある意味悪質で、きょうのフワフワの雪は、多少は楽。見ていて、美しすぎる。先ほど、TVで、天気情報を見ていたが、松江は雪ではなかったようだ。日本海側のあるところだけが雪。

  でも、この雪は美しい。体はガタガタだし、それゆえ余計美しく感じられる。寒い。


  追記:先ほど、まだ6時台に、少し体がユラユラして、気持ちが悪い感じが一瞬した。地震かもなー、など思っていると、やはり地震があったようだ。岐阜県揖斐川町で、震度4。震源地は福井県嶺北。

新しいPCのスイッチを入れるまで

2009-02-17 18:54:40 | 散策
  雪が止んで、また雪が降り始める。かなり美しい空があって、日もその中に消えていく。いい感じのものだが、何しろ冷え切っているから、それに見とれているわけにもゆかない。金星が高く、こんなに高いという位置で輝いていて、窓から外を見上げる感じにもなる。

  壊れたPCは、どうしようもないが、中のもので使えるものは使う。そうゆう風にすることに最初から決まっているが、結構な時間のブランクがあって、次のPCをどうするか迷った。が、半分というか、もうあとはスイッチを押せば動くというものを購入した。残されているものはこれしかないように思えた。どこにするかも迷ったが、安いというのが魅力で、これにした。だから、最小限の構成で、あとは追加するなら自分でというものである。うまくゆくかはわからない。体力も気力もなく、細かい作業も出来ない。

  PCは、箱、ケースを開けてみないと中はわからない。広告ではわからないもので、逆に中を開けて、もう一度たしかめたりもする。すると、ハードディスクの固定金具は「はずせる」ことがわかった。もう一台の、今これを書いているもの、もそうゆうものだ。それから、これはどこを見ても載っていないが、予想しなかったが、CDやらDVDやらを読み込んだり書き込めたりする、そうゆうものがシリアルのコネクタでつながれていて、なるほどこちらのシリアルかも進んでいる。すると、

  パラレルのコネクタが、まるまる一個遊んでいるというか、開いているのである。つまりそのボードはちゃんとフリーの一個のパラレルのコネクタを持っているもので、大いに希望が持てた。ちなみに、最近のものはPS2のキーボード一個のみコネクタがあるというものもあって、2台のPCを一台の入力機器で対処している人にとっては、あまりありがたくはない。PS2接続のマウスのコネクタはやはりあったほうがいい。これもあった。でも、そのうち、こうゆうものは皆消えてゆくのだろう。

  ここまで来ると、あとは新品の、もう動くというものに、パラレルのハードディスクをつなげるだけだが、問題はまだあって、ビデオカードが大きく、また2階建てで出来ている。それと、ハードディスクの固定装置は接近しているし、ディスクとも当然ギリギリの隙間しかない。シリアルの電源のケーブルはねじ曲がっている。無理していると思う。さらに、パラレルのコネクタは、ビデオカードの向こう側で、少しだけ見えるだけ。どうするか。まずは、
  ハードディスクの固定装置を本体からはずした。うまくゆくかどうか、やってみられるといい。で、向こう側のパラレルのコネクタに、フラットケーブルを刺す。うまく入った。こんどはパラレルのディスク、昔のPCでデータの保存用として使っていたもので、これを固定装置に入れて、止める。これも難儀した。あとは、ケーブルをつないで、こんどは、ハードディスクの固定装置が、本体に入らない。ケーブルも邪魔する。パラレルのフラットケーブルをグチャグチャと折り曲げる、あのいやな感じ。

  でも、神様はいたようで、どうにかものはおさまった、電源ケーブルもつながった。あとは、スイッチを押すだけというところまで来た。ここまでで、かなりにくたびれたが、これを書いているのもくたびれている。本日はここまで。


  いくつかの木の様子。




  葉っぱ以外に、新しい芽が出て来ている。




  梅の元気そうな芽。




  同じく、緑の芽。




  花だけ先に出した、白梅の全体の様子。




  紅梅と二つで、にぎやかな、梅の一つだが、枝の割には、ことし花の数が少ないようで、これも古木のせいなのか。去年、咲きすぎたのか。これから、またまた真っ白になるのか。

  それにしても、今日は色々なことがあった。

雪の降る朝

2009-02-17 16:31:23 | 散策
  雪、雪が少し積もって、寒いこと。

  そのあとは、しかし晴れ。真っ青な空と、真っ白な地面と建物と
  植物と、冷えたネコ。氷点下。
  朝は完全に凍っていて、ツルツルしていて、これは危ないと思う。
  それでも、サカサカ歩く人も、犬もいるようで、少しびっくり。
  何が違うのだろうか。

  ごたごたした、もう一台のPCだが、
  ついに新しいものにした。
  最後の難関というか、まだ組み立ての、ハードの段階だけど、
  パラレルのハードディスクを込み込めるように、コネクタが
  一個完全に開いていて、それでは、っとフラットケーブルも出し、他から
  12Vの電源ケーブルも引っぱり出してきて、
  あとは、もう出来上がっているPCの中に組み込むこと。
  だが、これがなかなか出来ない!。


  雪の朝の様子。雪は止んでいるから、これはおかしいが。





  地面に雪があるが、開かない窓の向こうに、月がある。




  下弦を少し過ぎた月を窓ガラス越しに。そこだけ、水分を指で
  拭き取ってというもの。




  ただの晴れのようだが、地上には雪。それで、空は明るい。快晴に近い。




  一応、雪の写真。マイナス3℃だと、パリパリしているし、
  地面はツルツルになる。恐ろしい。




  雲から日が出るまでが、ほどほどの明暗のバランスがあって、




  日が出ると、辺りは、暗くなる。いつも同じことを書いている。
  もう少し露光を長くするとまわりも明るくなるが、太陽は、べったりと
  白くつぶれてしまう。  

  きょうの日中も晴れだが、風は冷たく、明るいが寒い一日。

雪と月と、凍る寒さ

2009-02-17 06:49:23 | 散策
  朝のお天気、寒い。凍っている。空は晴れていて、かなり前から、晴れ。夜中に月が見えて、いいものを見たと思うが、晴れている。放射冷却で、冷えた。晴れ、ほぼ快晴で、星も見えていたが、もう消えて月だけが明るい。
  アメダスの6時の気温-3.0℃、予報どおり。気圧は1023.1hPa、積雪は6cm、湿度は93%。室温、4.5℃。

  雪だけなら、こんなには冷えないだろう。夜は静かで、雪空か曇りかと思っている。途中目が覚めて、窓から外を見る。今日の月は、下弦の月。その眺めはよかった。月に、雪か、これはおめでたい。ブルブルッと来る寒さがあって、しかし布団の中は、暖かく感じられる。途中眠気もなくなるときがあるが、また眠った。目覚ましと1分おきににらめっこ。
  あー、空は晴れていそうで、それで、温度計は4.5℃。おまけをした。それにしても冷たい衣類で、電気ヒータで暖める。衣服を触って冷たいなど感じるのも珍しい。窓は南と西側は開かない。凍っているのだろう。

  新聞受けの新聞を取り出す。灯油ヒータが悲鳴をあげるような感じで、点火した。玄関の戸は開く。もうわかっているが、あまりに美しい、朝の夜空があって、下はバリバリいう。雪は少ないが、凍り付いているのだ。バリバリいっている中、消えようとする、春の星座を眺める。氷点下3℃の美しさ。下弦の月が、高い木に隠されて、その右側におとめ座のスピカが確認出来る。うしかい座のα星。北斗七星、それにしても肉眼だけでも雪の朝の月は美しい。

  手が凍っているようで、指の感覚があるようなないような。明るさが増してくる。まさに透き通った水色の空があって、きょうの予報は何だろうか。最高気温は、3℃くらいか。美しい、しかし寒すぎる一日になるだろう。

冬に逆戻り

2009-02-16 18:59:02 | 植物・花(冬)
  寒い話しが多い。壊れた、直らない。これは機械だから、何とかなりそうだが、生き物の場合はそうはいかない。天命とかいうが、そんなものでもないような気もする。あっさりと切り捨てられるものがある。いずれ自分もそうなるだろう。わかっている寂しさと明るさ。あー、寒い。
  今は機械のほうで寒さを味わっているが、これには「こだわり」というものもある。妙なもので、今使っている「こたつ」が壊れたら、どうするかそうゆう心配はしない。しないが、いつに壊れても、具体的には赤外線発光装置が停止するということだが、おかしくはない。で、今そのこたつが売っているかというと、ほとんどないのではないか。
  こだわりのある機械のほうだけど、いくつかの手段は考えられて、特に悲観はしていない。ただ、それをやることが出来るかというと、むつかしいということ。出来るなら、簡単に、スッと他の機械のほうで動いてほしいものだ。その可能性も今の時代でもある、ことも薄々わかる。
  今頃、「こたつ」というと、ないような気がすると思うのは、1月だったか、いつも敷いている、電気敷布をやらないで、さほど寒さを感じない人がいる。おかしいな、昔はもう少し元気で、またものわかりもよかったと思う人が、「寒くないの」と聞いてみても、そうでもないらしい。らしい答えしか返って来ないので、このことを頼りになるはずの姉に相談した。
  結果はというと、敷布はあるが、コントローラ関係、電気の調節をするほうがないらしい。それで、すぐに買ってこいという指令が出たので、またある人に手伝ってもらって、売っているのではないかというところに出かけた。申しわけない気持ちである。で、急いで、電気敷布というか、毛布にもなるようなものを探した。が、見つからない。慌てることも出来ず店員の方に来てもらった。広い面積を持っているが、目的のものはそこに展示してあるものだけということで、しかしありがたく定価どおりで購入した。なんということであろうか。

  冬はこれからというのに、在庫がない。なんか変だな。
  これとは逆の場合もある。田舎だと買い物が大変で、通販も利用する。あれがない、これもないとなる。それで、ことしの冬は寒そうだしと思って、一応そのホームページを見る。カタログもあるが、最新の状態はというとネットのほうが正確だろう。これで、冬用のコートのようなものを、あるいはスポーツ選手の着るような、寒さ避け、防寒まではいかないが、少し歩けば暖かさが感じられる、そうゆうものを探してみると、在庫があったりもする。大きすぎるものでもなく、小さすぎるものでもなく、普通サイズのものもある。
  ただ、色が気に食わない。黒とかは若い人は似合う。というかそれでも大丈夫だが、いい加減くたびれると目立つ色というものが必要で、ワインカラなどが一番だが、もう少し地味でも赤系統がいい。何を書いてと思われそうだが、目立つというのが、特に冬場、車の通るところでは肝心なのである。そうゆうことを思うと、流行とは何か、というものも考えてほしい気がする。

  大体ものを大切にする。それゆえ、古いものも残ってしまう。いつのもんやねんというものがあちこちにあるが、さすがにいらない。でも捨てられず、そのまま。

  雪が舞っている。この雪の感触というのも久しぶりで、また冷蔵庫以外もからっぽの状態でもあって、寒さもまだ半ばという時間外に出た。雪ねー、なんだか懐かしいが、痛い目にもあっているから、複雑である。このままだと積もらないねー。お店の人と話しをする。まったく、この雪にはてこずるが、ことしは少ない。少なくても、雪をどけないといけなく、その後筋肉痛も出るがそれよりも、体の柔軟性がなくなったことにも気が付く。今頃慌てても遅い。そのとおりだ。
  体の様子を自分に聞いてみる。大丈夫か、大丈夫です。でも、だめです、そんな答えが返ってくる。少しやって、休む。はかどらない。イテテテというのも我慢する。消炎鎮痛剤というのは、塗ってしばらくしてある時間だけ、若干気持ちがいいようなものがある。あー効いているなー。それで終わりだ。きょうもこれのお世話になる。これが手放せない。まだ、スーという感じになるだけましかも知れない。こうならないときが来る。
 
  寒いと愚痴ばかり出るようで、これはいけない。でも、大体書いていることは似ている。そうゆうことになっているので、お許しをいただきたい。





  見ようによっては、かなり赤い紅梅。運動会の帽子の色。
  紅梅は、なかなか見つからず、同じ木が出る。




  去年はだめだった。それに比べるとことしはだいぶいい。この花も今は氷点下の寒さの中にいるのかと思うと、きびしい自然は変わらない。




  背景に、緑。




  このくらいが一番の見ごろということかも知れない。乾いた感じのする、紅梅で、これは何回も見ているが、変わらないところ。

  やけに静かになって来た。シンシンと冷えるというと大袈裟だが、明日の朝にどうなっているか少しだけ、心配にもなって来た。 

スイセンと、オオイヌノフグリと

2009-02-16 16:38:24 | 植物・花(冬)
  雪が降り始めて、気温も下がっているようで、
  木々の葉っぱは白くなり始めている。
  でも、この感じだと、そうは積もらないだろう。
  そうあって欲しいという期待も込めている。

  今頃の雪はピークはもう過ぎているのかも知れない。
  1月の半ばから、2月の初めというのが大雪の時期、って自分で
  そう思っているだけだが、この前後の雪は、そうはひどくはならない。
  2ヶ月間、雪が降ったり止んだり、それで、地上から
  雪が消えなかった、ということがあっただろうか。
  たぶんない。それにしても、やっぱり寒いのはこたえるねー。

  きのうの続き。
  きのうはさらさらと見ていて全体を見る時間もなかった。




  カメさんを、ほどほどに、スイセンの前にもってゆく。ピッというので
  バシャとボタンを押す。すると、うまくゆくと、こんくらいには写るようだ。




  これが一番大きく写っている。
  この黄色いスイセンの花そのものも、結構大きい。




  普通のよくあるもの。これを膝を曲げて、ファインダをのぞきながら
  撮ると、このくらいにの大きさになる。小さいな、と思ってしまう。




  オオイヌノフグリ。これからはいかに一定の広さに密に咲くか
  それを追いかけてみたくなる。




  こうやって、見ることが出来るのも、カメさんとマクロレンズのおかげ。




  今のところはこのくらいのことしか、思い付かない。
  密集している花で、真っ青になる、そうゆう地面を撮ってみたいですね。

ホントに雪が降るのかな

2009-02-16 06:43:02 | 散策
  朝のお天気、小雨。それまでは、結構な雨が降っていた。風もあったような気がするが、記憶はその辺りは消えている。晴れから、曇りになって、それが雨に。先ほど、外に出たが、小雨も止むくらいで、これから雪の予報が出ている。アメダスの6時の気温、4.8℃、気圧は1014.5hPa、湿度92%。室温は9.8℃で、10℃に少しだけ足りない。

  雪はそういえば降っていないようだ。山もあるところだから、そちらの方は雨になる天気なら雪は当然だろうが、それを知るのは眠っているクマと、空を飛ぶライチョウくらいだろうか。たしか、1月のある日に雪は観測されて、それからは雪は降っていないことに、特に平地ではなっている。大合併で、山の際の町も村も、市になってでも忘れられているのかも知れない。でもたしかに平地だと、雪は降っていないようだ。

  春一番のあとは、大体寒波が来る。冬型のお天気になるはずだが、それがならなかった。今ごろ次の冷たい、大陸の高気圧の張り出しである。もし雪となると、咲いたはずの梅の花も、またスイレンも、オオイヌノフグリも、ツバキもサザンカも、見つからないフキノトウも、雪の下にかくれるだろう。ちめたそうである。そういえば、きょうの水も冷たく、これをそのまま使うわけにはいかない。
 
  2月は、28日間、ぴったりと4週間しかなく、あっという間に後半に入ってしまった。このままズルズルッと時間はたちそうで、それでも、まだ暖かいはずだからこのまま春になって、そのときはそのときで、花粉と仲良く暮らすことにしよう。
  少しだけ明るくなってきた。下弦に近い月の姿は、まったく見えない。雲は依然分厚い。  

あらためて、物の多さに思う

2009-02-15 18:43:58 | 散策
  たくさんものがあって、どうにもこうにもならない。そう思うようになって、かなり時間がたった。かなりというと、10年かも知れないし、あるいは、15年かも知れない。その昔は、ものはそこそこあったが、引越しでドカンとものを捨てたから、それを思い出すとあー、惜しいことをしたものだ、と思う。
  遠い昔、学校から離れるときには、これはもういらない、と思ってゴミ置き場に置いてきたノートとか、買った本。そうゆうものがあれば、と思うが、それもほんのひとときで、やはりなくて、あるいは捨ててよかった。それから引越しのときに、あげたものというと、例えばTVとかがある。
  逆に、TVはいりませんか、とかいわれたこともあるし、また机はどうですか、という話もあった。これは太っ腹ではなく、どうしようもないが、しかし、捨てるのにしのび惜しいという感情が昔はあった。だから、お金と関係なく、どうですかとなるわけで、今はありがたいと思う人もいれば、いやーそれは結構ですとなるわけだが、このPCはもういらないで、もらってもらえませんかと、いうものもありそうで、しかし、そうゆうものも今はいらない。
  いい感情というのは今も残っていそうで、そうでもない。

  山はといっても、丘陵のようだし、さらには学校の遠足にゆくような山であるが、これも最初の登りはきついが、慣れると安定した状態になって、不思議と足は上がる。どんどん急な坂を登ることが出来るようになる。こうゆう状態になると怖いもの知らずのようでしかし、その先に待っているものがある。下り坂。帰るとなると、坂を下る。これが結構にきつい。先ほどまでのハイなペースはもう戻らない。膝が笑うというが、そうゆうものでもない。体はふらつくし足は思うように前に下に降りない。人の体というと、登るのは楽なようで、下りはそうではないように出来ている。二足歩行の仕組みからいうと、使う筋肉も違うようだが、
  これが球体だと、これを押し上げるのはしんどい。歩く以上にしんどいし、背に背負うのが一番楽だ。もっとも、その玉は何かものにもよるが、下りだからといって手放しで喜んでいるわけにもいかない。そのものは加速して転がってゆく。ものすごいスピードになって、これもよろしくはない。結果は、丸くても、また人でも、高いところに登るのは疲れるし、また逆に坂を下るのも大変である。なにか変な気もするが、そのようであるようだ。

  人もまた歳を重ねる。若いときだと、もうご飯を何杯食べても太ることはない。それ以外におやつと称して、いろいろなもの、駄菓子をぱくつく。それでも、体重は変わらない。今はどうか、ご飯はほんの少しという状態でも、痩せることはない。もっとも、液体性のカロリのあるものは、噛まなくても入ってゆく。これがいけない。わかってはいるが、これをいただく。どうしようもない感じがあるが、いただいてしまう。これでは痩せるわけがない。

  天井を見上げると、そこそこ広いことがわかる。昔はあのくらいの広さがあったわけだ。そうゆう経験は何度もした。もの持ちでもなかったが荷物は増えた。今は、2階にいる。ということは、ここにあるもんは山道を歩くようにエネルギを使い、かつものを持って上がったということになる。もちろん、重いものは手伝ってもらったり、すべて任せたりした。そのあげくがこの状態だ。これだけ、よく持ち上げたものだ。そのエネルギを他のものに使っていたならー、どうなっただろうか。
  ものが増えて、それで窮する第一のものは、捨てるところもないし、あるいは置いておく場所がないということだが、それ以外にもうここからは運べませんというものがある。よくこんな重いものを持ち上げたものだ。昔は多少は元気だったが、それを下におろす気になれない。一度くらいは出来そうで、しかしもう一度となると、また山登りをしないといけないからだ。こうして、ものは溜まったわけだが、だが減るわけがない。

  なるほど、よくわかった。それにしてもこの先はどうなるか、簡単な方法というのは、ものを細かくして、軽くして、それから移動するというもの。
  ものは、なるべく持ち上げないほうがいいような気がするが、これもそのときにならないとわからないもの。後悔は必ずするようで、箴言が生まれる。

  
  ガタガタ、移動中である。でも、まだものを分解したところで、今日は終わって、青息吐息である。いくつかの白梅。




  なかなか、咲かないと思っていたある場所の梅の花。これもチラホラになった。チラチラでもチラホラでもいい。




  紅白の梅でいうと、この白梅は、木自身がかなりの古木で、途中に倒れないように支えがしてあるし、また幹に穴も開いている。




  だから中心部は、かなり密に花はあるが、周辺部はというと少し寂しくなる。しかしこの梅のよさはこちら側にあるようだ。




  枝の様子が見えるものを選んで、それもだんだんと遠くから見る感じで、この梅の木の状態をうかがう。
  どのくらいの年月を生き抜いてきたのか、梅の木の寿命というのも知らないが、100年くらいはたっているのではないか、と思ってみたりもする。