日が沈む前の少しの間、太陽は面積のある光球として見えていた。結構な雲があることで、この光の玉も、まあるく肉眼で見えている。
そういえば、きょうの朝も、晴れのお天気、太陽の出る位置もだんだんと真東に近付く。もう冬至からは一ヶ月以上たっているから、太陽も春分のときに、真東にあるように、戻って来ないといけない。この位置の動きは、角度にして、結構あるから、もう目で見ていても冬至の頃の太陽の位置よりも、かなり東の位置に近付いていないと、おかしくなる。公転していないということにもなって、しかしそうゆうことはあり得ない。
今朝の、日の出を見つつ、そう思った。また日の出の時間というと、ここではアルプスの稜線から出てくるときのことだが、はっきりと早くなっていることを時計でたしかめた。ただ、まだ7時だと日は出ない。明るくなるのは、6時前くらいからかで、はっきり空が明るいと思うのは、6時過ぎ、6時15分くらいかも知れない。もうそのころになると、星が消えてしまう。
目の前にある外灯の明かりがつかないことを確認して、これでもう少し暗い星も見ることが出来ると思うが、朝の暗さに慣れてしまうと、あちこちから外灯の迷光が目に突き刺さる感じで入ってくる。外灯というものも、暗いと結構に明るく、また大して暗くもないころからも、ポッとついている。文句はいえない。でも、星を見る限る、灯りは不必要なものが多く、今の世の中では、自分からか灯りのない、そうゆうところに出かけないといけない。これも、しょうがないといえば、それで終わり。
ときどき、明るくなる彗星が現われて、世の中を騒がせるし、また、そんなものは見えないから、「うそ」ではないか、とか「でっち上げ」とかいう、意見も聞くようで、もっともなことだなと思う。また、流れ星にしても、こうゆう流星群がありますというアナウンスがあっても、これもまずは見る人がいないといけない。多くの方が、この流れ星の美しさを知ってくれたら、と、きっと天文関係のお仕事をされている方々は思っておられる。国立天文台の先生もしかりで、このために色々と企画を練られている。でも、なかなかこれは「すごい」というものが現われてくれない。この辺りは、歯ぎしりの音も聞こえそうで、何とかならないか私も思う。
もう一昨年になるが、ホームズ彗星という星が、大変化を遂げた。こんなものは、もう二度と見ることが出来ないだろうというもので、このことの信憑性というと、このホームズ彗星を見て、ちゃんとシロウトでも写真を撮れたということからもわかる。秋だった、2007年の11月。さほど寒くもなく、また蚊ももういなかった。
このホームズ彗星のことを何で知ったか、これは天文関係のサイトでというのが一番で、その後天候にも恵まれて、またこのホームズ彗星は、見事に肉眼でも見ることが出来たから、多くの人がこの世紀の現象を楽しむことが出来た。こうゆうものが、もう一度くらい現われないか、今もずっと期待している。
それにしても、冬の朝は寒い。むろん冬の夜も寒い。寒すぎる気もする。ずっと昔の、1986年か1987年のハレー彗星の接近のときは、私は上野にある、国立博物館の、ハレー彗星観望会にいった。いったはずである。たしか、20cmの屈折望遠鏡で、ハレー彗星のぼんやりしたものを見たような気がするが、そのときの、順番待ちの時間が長く、恐らく4、5時間は冷え切った建物の中で待った。このときの思い出というのは、ハレー彗星よりも、寒かったことのほうがはっきりしている。
その後に、自分で、このハレー彗星を見ることが出来た。高い、って、値段のことだが、望遠鏡が役立ったことの一つである。
今は、ルーリン(鹿林)彗星(C/2007 N3)が、少しだけ話題になっているが、これが、もうしばらくすると、双眼鏡クラスでも見えてくると思われる。
ごく一般的に言って、彗星というのは見にくいもので、専門家の方の表現というか、アマチュアといわれつつ、実質、彗星関係の捜索なり、観察・撮影のほうのプロの方の表現は、なかなか素人の方には伝わりにくいものがあるので、こうゆう表現になるが、
これが、もう少しだけ、暖かいときのものであったらなーと思わざるを得ない。今日の朝も、氷点下ではあったが、寒すぎた。2月も晴れると、寒いの何の。もっとも、晴れる可能性からいうと、この辺りでは少ないが、せいぜい晴れたときは、小型の双眼鏡くらいは持ちたいと考えている。
どうも、金星を見ていて、妄想のようなことを書いてしまった。
晴れ間の出た、本日のこの辺り。
枯れアジサイはよく出てくるが、花は枯れているが、本体はもう次の芽を出している。
枝しかない、カエデ。雪がごっそり積もるから、折れてしまう。細くても雪は積もる。
この苔の緑が鮮やかだった。一番印象的。
ツバキだろう、退色した葉っぱ。これは逆光では何度か出た。
梅が開花したという。本当かいなという、梅の様子と青空。
そういえば、きょうの朝も、晴れのお天気、太陽の出る位置もだんだんと真東に近付く。もう冬至からは一ヶ月以上たっているから、太陽も春分のときに、真東にあるように、戻って来ないといけない。この位置の動きは、角度にして、結構あるから、もう目で見ていても冬至の頃の太陽の位置よりも、かなり東の位置に近付いていないと、おかしくなる。公転していないということにもなって、しかしそうゆうことはあり得ない。
今朝の、日の出を見つつ、そう思った。また日の出の時間というと、ここではアルプスの稜線から出てくるときのことだが、はっきりと早くなっていることを時計でたしかめた。ただ、まだ7時だと日は出ない。明るくなるのは、6時前くらいからかで、はっきり空が明るいと思うのは、6時過ぎ、6時15分くらいかも知れない。もうそのころになると、星が消えてしまう。
目の前にある外灯の明かりがつかないことを確認して、これでもう少し暗い星も見ることが出来ると思うが、朝の暗さに慣れてしまうと、あちこちから外灯の迷光が目に突き刺さる感じで入ってくる。外灯というものも、暗いと結構に明るく、また大して暗くもないころからも、ポッとついている。文句はいえない。でも、星を見る限る、灯りは不必要なものが多く、今の世の中では、自分からか灯りのない、そうゆうところに出かけないといけない。これも、しょうがないといえば、それで終わり。
ときどき、明るくなる彗星が現われて、世の中を騒がせるし、また、そんなものは見えないから、「うそ」ではないか、とか「でっち上げ」とかいう、意見も聞くようで、もっともなことだなと思う。また、流れ星にしても、こうゆう流星群がありますというアナウンスがあっても、これもまずは見る人がいないといけない。多くの方が、この流れ星の美しさを知ってくれたら、と、きっと天文関係のお仕事をされている方々は思っておられる。国立天文台の先生もしかりで、このために色々と企画を練られている。でも、なかなかこれは「すごい」というものが現われてくれない。この辺りは、歯ぎしりの音も聞こえそうで、何とかならないか私も思う。
もう一昨年になるが、ホームズ彗星という星が、大変化を遂げた。こんなものは、もう二度と見ることが出来ないだろうというもので、このことの信憑性というと、このホームズ彗星を見て、ちゃんとシロウトでも写真を撮れたということからもわかる。秋だった、2007年の11月。さほど寒くもなく、また蚊ももういなかった。
このホームズ彗星のことを何で知ったか、これは天文関係のサイトでというのが一番で、その後天候にも恵まれて、またこのホームズ彗星は、見事に肉眼でも見ることが出来たから、多くの人がこの世紀の現象を楽しむことが出来た。こうゆうものが、もう一度くらい現われないか、今もずっと期待している。
それにしても、冬の朝は寒い。むろん冬の夜も寒い。寒すぎる気もする。ずっと昔の、1986年か1987年のハレー彗星の接近のときは、私は上野にある、国立博物館の、ハレー彗星観望会にいった。いったはずである。たしか、20cmの屈折望遠鏡で、ハレー彗星のぼんやりしたものを見たような気がするが、そのときの、順番待ちの時間が長く、恐らく4、5時間は冷え切った建物の中で待った。このときの思い出というのは、ハレー彗星よりも、寒かったことのほうがはっきりしている。
その後に、自分で、このハレー彗星を見ることが出来た。高い、って、値段のことだが、望遠鏡が役立ったことの一つである。
今は、ルーリン(鹿林)彗星(C/2007 N3)が、少しだけ話題になっているが、これが、もうしばらくすると、双眼鏡クラスでも見えてくると思われる。
ごく一般的に言って、彗星というのは見にくいもので、専門家の方の表現というか、アマチュアといわれつつ、実質、彗星関係の捜索なり、観察・撮影のほうのプロの方の表現は、なかなか素人の方には伝わりにくいものがあるので、こうゆう表現になるが、
これが、もう少しだけ、暖かいときのものであったらなーと思わざるを得ない。今日の朝も、氷点下ではあったが、寒すぎた。2月も晴れると、寒いの何の。もっとも、晴れる可能性からいうと、この辺りでは少ないが、せいぜい晴れたときは、小型の双眼鏡くらいは持ちたいと考えている。
どうも、金星を見ていて、妄想のようなことを書いてしまった。
晴れ間の出た、本日のこの辺り。
枯れアジサイはよく出てくるが、花は枯れているが、本体はもう次の芽を出している。
枝しかない、カエデ。雪がごっそり積もるから、折れてしまう。細くても雪は積もる。
この苔の緑が鮮やかだった。一番印象的。
ツバキだろう、退色した葉っぱ。これは逆光では何度か出た。
梅が開花したという。本当かいなという、梅の様子と青空。