風である。フェーン現象で、朝から空気は乾いていた。こうゆうときに、火が出ると大変なことになる。なぜか大火というものがあるが、それが日本海側の街で起こるが、ほとんどがフェーン現象が付きまとう。この風の不思議というのは、太平洋側の、冬の晴れ間に吹く空っ風とは、時間的には、両立しない。
日本海側で、雪となると、水分のなくなった空気が、少しだけ気温が上がってでも、途中で冷やされて、冷たい乾いた風となって、太平洋側に滑り込んでゆく。逆に、きょうのフェーン現象は西日本で雨になってという後のもので、このときの気温はというと、なぜかそんなに下がらない。すっかり暖かくなった、乾いた空気が、日本海側の北陸の山を越えて、平地になだれ込んでくる。フェーン現象というと、日本海側という、一緒になった強固なイメージがある。これで、雪も極端に溶けると雪崩も発生する。あまりありがたいものではない。ない方がいいと思うが、そうはいかない。そうゆうことになっていて、
強い風の中、仕方なく食べ物を買いに行くことになる。風が、舞う。いい感じで舞うかというと、やはりそうではない。今日は後から押されるというほどの強いものはなかった。私が歩いているときは、そうゆうものはなかったようで、ときに信号がユラユラと揺れるような気もする。あの重そうな信号が揺れるほどの風が吹く。看板がときに剥がれて、その辺りに転がって来る。思いもよらない、地上の風で、人はときに困惑する。風のことはこのくらいで、
こんどは雨。今日は夕方から雨になった。これは少しだけありがたい。それまで雨を降らせていた雨雲がようやくここまで来たことになる。これで、気温の上がり方もおさまるし、また風も弱くなる。雨が降り風が弱くなって、その次に待っているのが、懐かしいかも知れない、雪。あるいは雪のような、氷のような、雨のような、もの。ミゾレにヒョウに、アラレ。再び、冬が牙をむく。
雨は、ほどほどだとありがたい。雨が降らないといけないときというのが多い昨今のようだが、この雨が降らないと、植物も芽を出しそうにもない。裸の土が雨で流れてゆくのは、気持ちのいいものでもなく、またありがたくはない。早く草の一本も生えてくれればと思う。すっかりと枯れ草色になった今だが、この雨はありがたい雨で、また土が流れてゆくのを最小限にしてくれる、一番の早道である。
花粉が飛んでいる。これはもう明らかなようで、私などは、1月の半ばくらいに、この花粉を察知して、憂鬱になった。なったからどうのこうのではないらしく、気の持ちようも大切であるらしい。神経が苛立っている、という場合、花粉症の症状が強く出るというが、もっともでもあると思う。もともとそれがなくても憂鬱ではある。それに拍車がかかる。気の持ちようも、花粉症から悪くなるというのも事実のようで、最後は自分で踏ん切りを付けないといけない。花粉症も、気の持ちようで、かなり状態が変わるし、またその逆もあるのだろう。それで、雨が降れば少しでも、気分は落ち着く。花粉も洗い流されて、空気は一旦にしろ、浄化される。そうゆう時間がやって来るようだ。
だるさである。かったるいが、これもしょうがない。日頃の怠慢というか、怠惰な生活というのがあるのがはっきりとする。それゆえ、少し「探し物」をしたりすると、覿面に疲れが出る。床を這うように、下のほうを見る。もう体が折れ曲がらないというところまで、体を折って、探し物をする。出て来ない。また出したものをもとに戻す。もともときれいにおさまっていたものが、こんどは見事に「ちゃらぽらん」になって、その感じの悪いこと。でも、探し物をやる。ようやく、神様が助けてくれたのか、説明書が出てきた。しかし、問題はこれから。
ある人にとって、それは軽い。しかし、自分にとってはもうそれは石のように重い。2段に、重いものが重ねてあって、下のほうをこんどは上に持ってくる。腰が曲がる。腕に力がかかる。どっこいしょと持ち上げて、違う場所に移す。こんどは、上のものを下において、これも大体ではだめ、あるポジションがある。それを決めるには、床を見ないといけない。それが終わって、こんどは下にあったものを上に乗せる。溜め息と、腰の痛みと、それと嫌悪感みたいのが出る。あー、こんなことで息も上がるし、体もガタガタになりそうだ。
この、2、3日のことを短く書いてみて、体の痛みとだるさとを味わって、意気消沈する。これも日頃のおこないの結果である。仕方ない。まだ、大丈夫だろう。そうゆうことにしておかないといけない。
春の気配。青空もあり、青い花弁もありだが、この空はよく考えたら、黄砂の空でもあった。
梅の花を撮る、その前の時間の空。空は青く、木々の若い目が白い。
こちらの方が、はっきりして、植物の力強さが光に変わっている。
春でなくてもあるが、春が似合う、オオイヌノフグリ。
チラホラである。だんだんしかし、歩を進めると、たくさんの花が咲いている。
膝を折って、接近する。少し腰も痛いし、足も突っ張っている。
太陽に垂直になるように、地面は傾斜していて、ここはオオイヌノフグリの特等席。
より密集している、オオイヌノフグリだが、その感じがうまく出ないところ。小さい花だが、冬でも緑で、また春を待っている。
日本海側で、雪となると、水分のなくなった空気が、少しだけ気温が上がってでも、途中で冷やされて、冷たい乾いた風となって、太平洋側に滑り込んでゆく。逆に、きょうのフェーン現象は西日本で雨になってという後のもので、このときの気温はというと、なぜかそんなに下がらない。すっかり暖かくなった、乾いた空気が、日本海側の北陸の山を越えて、平地になだれ込んでくる。フェーン現象というと、日本海側という、一緒になった強固なイメージがある。これで、雪も極端に溶けると雪崩も発生する。あまりありがたいものではない。ない方がいいと思うが、そうはいかない。そうゆうことになっていて、
強い風の中、仕方なく食べ物を買いに行くことになる。風が、舞う。いい感じで舞うかというと、やはりそうではない。今日は後から押されるというほどの強いものはなかった。私が歩いているときは、そうゆうものはなかったようで、ときに信号がユラユラと揺れるような気もする。あの重そうな信号が揺れるほどの風が吹く。看板がときに剥がれて、その辺りに転がって来る。思いもよらない、地上の風で、人はときに困惑する。風のことはこのくらいで、
こんどは雨。今日は夕方から雨になった。これは少しだけありがたい。それまで雨を降らせていた雨雲がようやくここまで来たことになる。これで、気温の上がり方もおさまるし、また風も弱くなる。雨が降り風が弱くなって、その次に待っているのが、懐かしいかも知れない、雪。あるいは雪のような、氷のような、雨のような、もの。ミゾレにヒョウに、アラレ。再び、冬が牙をむく。
雨は、ほどほどだとありがたい。雨が降らないといけないときというのが多い昨今のようだが、この雨が降らないと、植物も芽を出しそうにもない。裸の土が雨で流れてゆくのは、気持ちのいいものでもなく、またありがたくはない。早く草の一本も生えてくれればと思う。すっかりと枯れ草色になった今だが、この雨はありがたい雨で、また土が流れてゆくのを最小限にしてくれる、一番の早道である。
花粉が飛んでいる。これはもう明らかなようで、私などは、1月の半ばくらいに、この花粉を察知して、憂鬱になった。なったからどうのこうのではないらしく、気の持ちようも大切であるらしい。神経が苛立っている、という場合、花粉症の症状が強く出るというが、もっともでもあると思う。もともとそれがなくても憂鬱ではある。それに拍車がかかる。気の持ちようも、花粉症から悪くなるというのも事実のようで、最後は自分で踏ん切りを付けないといけない。花粉症も、気の持ちようで、かなり状態が変わるし、またその逆もあるのだろう。それで、雨が降れば少しでも、気分は落ち着く。花粉も洗い流されて、空気は一旦にしろ、浄化される。そうゆう時間がやって来るようだ。
だるさである。かったるいが、これもしょうがない。日頃の怠慢というか、怠惰な生活というのがあるのがはっきりとする。それゆえ、少し「探し物」をしたりすると、覿面に疲れが出る。床を這うように、下のほうを見る。もう体が折れ曲がらないというところまで、体を折って、探し物をする。出て来ない。また出したものをもとに戻す。もともときれいにおさまっていたものが、こんどは見事に「ちゃらぽらん」になって、その感じの悪いこと。でも、探し物をやる。ようやく、神様が助けてくれたのか、説明書が出てきた。しかし、問題はこれから。
ある人にとって、それは軽い。しかし、自分にとってはもうそれは石のように重い。2段に、重いものが重ねてあって、下のほうをこんどは上に持ってくる。腰が曲がる。腕に力がかかる。どっこいしょと持ち上げて、違う場所に移す。こんどは、上のものを下において、これも大体ではだめ、あるポジションがある。それを決めるには、床を見ないといけない。それが終わって、こんどは下にあったものを上に乗せる。溜め息と、腰の痛みと、それと嫌悪感みたいのが出る。あー、こんなことで息も上がるし、体もガタガタになりそうだ。
この、2、3日のことを短く書いてみて、体の痛みとだるさとを味わって、意気消沈する。これも日頃のおこないの結果である。仕方ない。まだ、大丈夫だろう。そうゆうことにしておかないといけない。
春の気配。青空もあり、青い花弁もありだが、この空はよく考えたら、黄砂の空でもあった。
梅の花を撮る、その前の時間の空。空は青く、木々の若い目が白い。
こちらの方が、はっきりして、植物の力強さが光に変わっている。
春でなくてもあるが、春が似合う、オオイヌノフグリ。
チラホラである。だんだんしかし、歩を進めると、たくさんの花が咲いている。
膝を折って、接近する。少し腰も痛いし、足も突っ張っている。
太陽に垂直になるように、地面は傾斜していて、ここはオオイヌノフグリの特等席。
より密集している、オオイヌノフグリだが、その感じがうまく出ないところ。小さい花だが、冬でも緑で、また春を待っている。
まだ2月なのに、おおいぬのふぐりが満開ですね。
暖かいのはうれしいです。
この花びらの色大好きです!!
オオイヌノフグリは、地面の春の象徴のようですね。これと、ヒメオドリコソウは春の地上のの花の、両雄です。
まー誰が付けたかこの名前。「おまじない」の言葉だと思っていれば気にもなりませんが。
何十回と書いていると、その意味も忘れるようで、オオイヌノフグリに始まり、オオイヌノフグリに終わる、みたいな感じもします。意味不明だけど。