光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

右に曲がるか、左に曲がるか、迷う

2009-02-01 18:51:49 | 散策
  まだ、寒そうで、実際に寒かったが、外に出てみると特に違和感はなかった。だから、自然とその寒さが身にしみて自分の体の感じるところに特に異常というものはないのではないか。でも、小さな文字を見たり、同じことを書いたり、間違いがないか見直したり、自分以外の名を書いたり、氏と名を別の欄に書くようなときに、その欄が「でかすぎる」と、さらっと全部書けてしまって、一回やった間違い、それは点だけで止まったが、
  こんどは、完全に全部書いてしまって、まさに参ってしまった。こんなことにも注意が行き届かないのか、という感じである。どっちだというと、小さな欄に文字をすべておさめることのほうが多い。一々、氏と名を分けるのは、何でやという思いも強い。これは朝のことで、朝のほうがこうゆう「こまごま」したことはいいだろうと思ったのだが、反対のようでいい加減飽きた。でも、まだあるしこの先も続くのだろう。

  その後に、タモリさんのお昼の番組の一週間分の総集編を見る。見ていても、一度は見ているものにあまり興味はなく、それでも聞き取れないところが、生であったりもするし、CMの間というのも、これが生では見えないから、その他のものもそうだが、それを見ないでいると、つまり先ほどの書き方で混乱するものを見ていると、どっと笑いがTVから聴こえてきて、こっちを見るのだったと思ったりもする。こうゆうことが続くと、いくら寒いとはいえ、やはり外に出て寒気に打たれるというか、揉まれるというか、その感触を味わって、寒さ対策をやったほうがいいと思うのは、必定である。
  もうなかなか歩かない昔の散歩道も、三分の二くらいまでやって来て、この先どうするか、考える時間が迫ってきた。歩く方に関すると特に問題はない。寒いが、高々遠回りをしてもプラスの10分で十分にもとに戻ってこれるし、ここで悩むことはないが、しかしなぜか、いつもどおりの丸い道を歩いた。
  
  手ぶらで歩くのは気持ちがいいし、特に何かを見ることがないとなると、余裕があれば遠回りをしたいと思う気持ちが出て来る。寒かった風も、この先は、進路が逆になるから、さほどでもない。でも、結局はいつもの道を、って、この道を歩くことも少なくなった、歩いて帰って来た。
  帰って来ると、これまたいつものことだが、パタパタとコートのようなブレーカをはたく。で、その前に、もう雪も溶けて何か、春に近いものがないか、それが例えば、フキの芽、フキノトウとする、それがないか調べるのもやってみたいが、あることはあるが、一度出たものに比べて、変化はないか、雪の下に長くあった分見た目が冴えない。ここが、雪の降るところのしんどいところ。でも一番寒い思いをしているのは、こうゆう植物やら、小動物やら、鳥のようである。

  ガラス窓から、その先に見える木々の枝に鳥がスッと止まる。他のところでもそうなのかはっきりしない。でも、その窓に近づくと鳥は機敏だからさっと気付いて逃げる。窓の向こうから、人の気配を感じるのはさすがに鳥だなと思う。
  鳥が何かを口にくわえている。色はお腹が白っぽく、これはモズかも知れない。モズの鳴き声も今はないが、いないということはない。でも、鳥はうまく口に入る餌があれば問題はないが、口にくわえたのはいいがそれを飲み込めないということも多い。この光景を見ていると、鳥も気の毒にと思う。もう少しさっと飲み込めないものか、応援するが、その鳥は怪しいものを感じたのか逃げた。

  ある地点で、右に曲がるか左に曲がるか、これはどうでもよかったようだが、この次くらいは、いつもとは違う方へ曲がってみることにする。この道はすでに、ちゃんともとの道に戻ることもたしかめてある。




  寒そうなお天気で、しかし午後は晴れ間が出た。そのときの、まわりの木々の様子。明るいから、春も近いのではないか、勘違いをする。



 
  雪に強い植物がある。このように、テカテカ光っている。




  日向ぼっこというよりも日光浴をしたい気分。




  笹は雪に埋もれて地面まで顔を付けていても、折れない限りまた、大体もとの80%くらいの高さまで戻る。退色している笹が、太陽光に光る。




  得意の瓦を一枚。これを見ていると、暑すぎた、夏のころの感触も戻ってくる。

如月の空

2009-02-01 16:35:48 | 散策
  早いもので、如月、旧暦だけど、2月。

  きのうは雨風、うんざりの一日だった。
  きょうはどうかというと、雨は止んだ。
  雨は朝の早いうちに止んだようで、あとは曇り、時々晴れ。

  久しぶりに歩いた。たぶん気温は高くないが、
  だから結構寒く感じたが、それなりの効果みたいのが
  あったようだ。雨さえなければ、歩くのだが。

  2月の空は少しだけ、天然色がある。


  まずは1月も最後だと、



  灰色の冷たい雨風の空だった。



  
  2月1日。今朝の空。少しだけ、太陽の光が混じっているようで、
  この色はないよりはいいだろう。




  雨は降っていなかった。もう上がっていて、雲だけが移動している。




  なぜか西の空のほうが明るく、また色も濃かったりもする。




  午後からは、日が出た。このお日様は日向ぼっこにちょうどいいが、
  すぐに雲に隠れてしまう。でも、1時間くらいは出ていたかなー。




  きょうは日曜日で、たしか先週も、日曜の午後から少しだけ天気は回復した
  気がするが、そうか、雪がまだ結構残っていたかも知れない。

雨風が続く、日曜日

2009-02-01 06:57:56 | 散策
  朝のお天気、雨風。雨の量は少なく、ただときに強い風が吹いている。この季節の強い北風、と雨は、あまり記憶にない。だからか余計に寒い感じがする。先ほど外に出てみたが、雨がミゾレの感もある。アメダスの6時の気温、4.6℃、気圧は1023.4hPa、積雪は、0cm。室温、8℃。

  このところ、土曜となると、雨か雪。土曜は、新聞の広告の量も少し、あるいはかなり増える。それで、今日は土曜日かと思ったりもする。それで日曜も、午後になると少し天気が回復する。でも、日曜の昼というと、今からどこかへという気分にはなかなかならないのではないか。

  不況なのかねー、ガソリンは安くなったし、それから、ガソリン代が上がって、それで仕方なく値が上がったという、そうゆう商品の値下がりは聞かない。おかしなものだねー。高速道路の料金の値段が下がったというと、それはよかったとか新聞の投書欄に意見が出る。はー、それでもただではない。
  いいもので、値段も手ごろなら売れるというのは、間違いなのか。「うち」も、年がたつとその価値も下がる、なんだかボロボロになってきた。これを何とかしようという気はさすがにないが、そろそろ買い換えたほうがいいというものはある。魅力的なら、買うような、しかし今はその魅力も、不況という、情報の洪水の中で魅力が魅力に映らないのかも。

  それから、時代とともに、品物も変化する。新しいものを取り入れるのは、いろいろ問題もあるようだが、いいものは定着する。でも、人の年齢もあるところに達すると、例えば、TVでもそうだが、操作方法が異なると、何で昔のTVをどっかにやった、という声が聞こえる。TVはお年寄りがよく見ている。ここのうちでも同じで、もういい加減TVもくたびれている。
  買い替えの一番むつかしいところは、ものを入れるのも大変だが、その使い方を知ること。これは自分もよくわかる。新しいOSを導入する気もないのも、これが一因である。アナログ放送が終わるころに、アナ・デジ変換装置を組み入れて、など思っているから、TVも売れないのかも。また、大きいTVがいいとは限らないことも、あまり考慮されていないのではないか。