光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

風と、雨と、花粉とだるさ

2009-02-13 18:54:11 | 散策
  風である。フェーン現象で、朝から空気は乾いていた。こうゆうときに、火が出ると大変なことになる。なぜか大火というものがあるが、それが日本海側の街で起こるが、ほとんどがフェーン現象が付きまとう。この風の不思議というのは、太平洋側の、冬の晴れ間に吹く空っ風とは、時間的には、両立しない。
  日本海側で、雪となると、水分のなくなった空気が、少しだけ気温が上がってでも、途中で冷やされて、冷たい乾いた風となって、太平洋側に滑り込んでゆく。逆に、きょうのフェーン現象は西日本で雨になってという後のもので、このときの気温はというと、なぜかそんなに下がらない。すっかり暖かくなった、乾いた空気が、日本海側の北陸の山を越えて、平地になだれ込んでくる。フェーン現象というと、日本海側という、一緒になった強固なイメージがある。これで、雪も極端に溶けると雪崩も発生する。あまりありがたいものではない。ない方がいいと思うが、そうはいかない。そうゆうことになっていて、

  強い風の中、仕方なく食べ物を買いに行くことになる。風が、舞う。いい感じで舞うかというと、やはりそうではない。今日は後から押されるというほどの強いものはなかった。私が歩いているときは、そうゆうものはなかったようで、ときに信号がユラユラと揺れるような気もする。あの重そうな信号が揺れるほどの風が吹く。看板がときに剥がれて、その辺りに転がって来る。思いもよらない、地上の風で、人はときに困惑する。風のことはこのくらいで、

  こんどは雨。今日は夕方から雨になった。これは少しだけありがたい。それまで雨を降らせていた雨雲がようやくここまで来たことになる。これで、気温の上がり方もおさまるし、また風も弱くなる。雨が降り風が弱くなって、その次に待っているのが、懐かしいかも知れない、雪。あるいは雪のような、氷のような、雨のような、もの。ミゾレにヒョウに、アラレ。再び、冬が牙をむく。
  雨は、ほどほどだとありがたい。雨が降らないといけないときというのが多い昨今のようだが、この雨が降らないと、植物も芽を出しそうにもない。裸の土が雨で流れてゆくのは、気持ちのいいものでもなく、またありがたくはない。早く草の一本も生えてくれればと思う。すっかりと枯れ草色になった今だが、この雨はありがたい雨で、また土が流れてゆくのを最小限にしてくれる、一番の早道である。

  花粉が飛んでいる。これはもう明らかなようで、私などは、1月の半ばくらいに、この花粉を察知して、憂鬱になった。なったからどうのこうのではないらしく、気の持ちようも大切であるらしい。神経が苛立っている、という場合、花粉症の症状が強く出るというが、もっともでもあると思う。もともとそれがなくても憂鬱ではある。それに拍車がかかる。気の持ちようも、花粉症から悪くなるというのも事実のようで、最後は自分で踏ん切りを付けないといけない。花粉症も、気の持ちようで、かなり状態が変わるし、またその逆もあるのだろう。それで、雨が降れば少しでも、気分は落ち着く。花粉も洗い流されて、空気は一旦にしろ、浄化される。そうゆう時間がやって来るようだ。

  だるさである。かったるいが、これもしょうがない。日頃の怠慢というか、怠惰な生活というのがあるのがはっきりとする。それゆえ、少し「探し物」をしたりすると、覿面に疲れが出る。床を這うように、下のほうを見る。もう体が折れ曲がらないというところまで、体を折って、探し物をする。出て来ない。また出したものをもとに戻す。もともときれいにおさまっていたものが、こんどは見事に「ちゃらぽらん」になって、その感じの悪いこと。でも、探し物をやる。ようやく、神様が助けてくれたのか、説明書が出てきた。しかし、問題はこれから。
  ある人にとって、それは軽い。しかし、自分にとってはもうそれは石のように重い。2段に、重いものが重ねてあって、下のほうをこんどは上に持ってくる。腰が曲がる。腕に力がかかる。どっこいしょと持ち上げて、違う場所に移す。こんどは、上のものを下において、これも大体ではだめ、あるポジションがある。それを決めるには、床を見ないといけない。それが終わって、こんどは下にあったものを上に乗せる。溜め息と、腰の痛みと、それと嫌悪感みたいのが出る。あー、こんなことで息も上がるし、体もガタガタになりそうだ。

  この、2、3日のことを短く書いてみて、体の痛みとだるさとを味わって、意気消沈する。これも日頃のおこないの結果である。仕方ない。まだ、大丈夫だろう。そうゆうことにしておかないといけない。


  春の気配。青空もあり、青い花弁もありだが、この空はよく考えたら、黄砂の空でもあった。




  梅の花を撮る、その前の時間の空。空は青く、木々の若い目が白い。




  こちらの方が、はっきりして、植物の力強さが光に変わっている。

  春でなくてもあるが、春が似合う、オオイヌノフグリ。




  チラホラである。だんだんしかし、歩を進めると、たくさんの花が咲いている。




  膝を折って、接近する。少し腰も痛いし、足も突っ張っている。




  太陽に垂直になるように、地面は傾斜していて、ここはオオイヌノフグリの特等席。




  より密集している、オオイヌノフグリだが、その感じがうまく出ないところ。小さい花だが、冬でも緑で、また春を待っている。

黄砂の空

2009-02-13 16:25:53 | 散策
  強風、雨はまだ。

  雨にならないだけまだましなようだが、
  この風の中外を歩くというのは、
  個人的には、一番嫌いなパターンで、
  その他、結構ガタガタ建物も揺れるようで、
  でもどうしようもない。

  風よ、止め。お祈りをするが、風はまだ止まない。
  雨が降りだすと、風も少し弱くなるはずだが、その気配は今のところ
  ない。
  クシャミが出る。まだかわいいクシャミで、きっと花粉が飛びすぎて
  薄まっているのかも知れない。
 
  明日はさほど冷えないというか、寒さの揺り戻しはないようで
  あさって、もしかしたら雪、ということになるという。


  それで、空といえば、今は黄砂。色々あるが、きょうは
  これはもしかしたら、黄砂の空というもの。




  これは、2月11日の、朝で、まー普通の夜明けという感じ。




  雲があるので、真っ青にはならない。太陽光もにじむ。




  2月12日、きのうの朝で、ラジオで、TVで、黄砂が降ると予報された。
  なんか肉眼で見ても、どんよりだったが、画像もどんより感がある。
  黄砂を吸っているとなると、ちと心配。




  少し広角にして、こっちのほうが朝の空の「よどみ感」が出ているかも。




  この日の、朝の瓦。黄砂だからかどうか、関係ないかも知れない。
  どちらにしても、瓦はときとして異様な容貌を見せてくれる。




  夕方である。黄砂の影響があるかどうか、わかりずらいが、
  たぶんあるのではないか。

  それで、きょうはというと、どうだろうか。ただただ風が強く
  空は灰色である。

強風・春の嵐

2009-02-13 06:50:09 | 散策
  朝のお天気、曇りで、強風。先に、風の音が気になる。きのうからわかっていたけれど、この春の強風は、好きではない。気温が上がるから、暖かいともいえるが、頭痛もひどくなる。先に外に出てみる。地上は風はまだゆるめ、で、暖かい。なるほど。アメダスの6時の気温、11.2℃、5時だと12℃。なるほど、2回感心する。気圧は1013.6hPa、湿度は35%、乾いた空気。室温は、8℃。

  きょうは大荒れのお天気、その予兆がすでにある。色々なものが飛んで来そうで、またTVのアンテナが倒れないか、その不安もある。

  眠っているが、目も開く時間である。雨は降っていない。風のヒューという甲高い音。金属のカラカラいう音。好きではない。時計のカウントダウン。仕方ない、起きた。窓から外を見る。開けないまま。月が大きく明るく、雲の向こうに輝いている。巨大な彗星のようにも思える。大体、彗星を肉眼で見ると、それも光学機器を用いての場合だが、これをものすごく小さくしたものになる。だから、逆に雲の向こうの「ぼうっとした光芒」を見ると、彗星のことを思うが、こんなことが現実にあると、それこそ大変なことになる。

  新聞を取り出し、それから、外に出る。「いえ」の中より外のほうが、暖かい。風があっても暖かいから、いやになってしまう。このところだけは、いやではない、というか好きではないという言葉を、取り消さないといけない。一体に何℃あるのか、という思い。

  細かいこと。食事も無事に終わって、さて薬を飲もうとする。プラの包装の凸の部分を、押す。これで、ポロっと小さな錠剤は出たはずだが、マジシャンがいて、その錠剤が見えない。おかしい、色付きのものだし、見えないとはどうゆうこと。おいおい、自分の目がおかしいのか。下に敷いてあるものを少し動かすが、ない。最後には、薬箱の方で、見つかった。完全に包装から、出ておらず、それを元の袋に戻したとき、その袋の方に乗ったらしい。見つかって、よかった。

  ここに入るときに、パスワードを3回も間違えた。ちゃんと押しているはず。イメージは、頭の中にあってその文字の名を繰り返す。おかしいな、間違い?。しかし3度目の正直で、何とかなった。なんだか、ガタガタになってゆく。そのことがいやにはっきりする、朝の出来事。