午前中が一番寒いようであって、これは暗雲立ちこめる感じがあった。これだと、ぐずつくだろう。それからしばらくすると、雪はチラチラするが、それ以上の悪化はない。ないといっても、まだまだ寒い。いい加減このお天気にも飽きて来た。そうゆう感じがあって、それにしても寒い。あらためて思うが、その後の展開は、神のみぞ知るで、ついに太陽も出てしまって、すっかり青空が広がった。ここは、やや大仰に書いておいて、お天気の神様の機嫌をとっておかないとという気分にもなる。それは、晴れた証拠で、まだ雪が降って、厚い雲の下でとなると、こんなことは書かないだろう。
寒さは続いた。きょうが一番寒い、そうゆう思いもあった。お天気情報は、いいことは言わない。どっちかというと、悪いほうを出さないといけないようだ。それによると、今日はせいぜい曇り空で、気温も高くて、5℃。天気情報を詳しく見ている方だと、これにはうるさいだろうが、観天望気で半分は占っている自分としては、あまり気にはしない。それよりも、地震とかのほうが怖い。これがいつ来てもおかしくはないから、普段は考えないようにする。
きのうの頭痛がひどかったから、これは、インフルエンザではないと思うが、風邪の症状が出るかと少し冷や冷やする。用心も出来る範囲があって、それだと「ちじこまっている」ことしか出来ないが、でも、雪も降る日が1週間続くと、疲労感の蓄積と同時に、風邪の恐怖というものも出てくる。これも不思議なものだが、冬というと風邪であって、しかし風邪に一定の症状はないようにも思える。体が弱っているのは事実だろう。心的な疲労感もある。背負っているものもある。
幸い、眩暈も、また喉の痛みもない。実際のところ、これは危ないという風邪はここのところひいていない。だから、余計に怖い気もする。
カメさんを持ってと思ったのは、一つは新鮮なものという必要性もあるが、これも気分転換にもなるかも知れないとも思う。寒いときに歩くのは、なにも持たないか傘ぐらいが一番いい。それで、交通関係にのみ注意を払いあとは無心というのがもっともいいような気がする。あちこちを見ているようで、すぐに忘れる。それが一番いいものだ。でも、ここは、カメさんという考えが支配的になったのは、これも理由がわからない。まさか天気がよくなるとは考えていない。
カメさん散歩で最近思うのは、しっかりと手に持てるというのも大切だが、ミニカメさんの、高画素のものは特にこうゆう時期は要らないというか、必要もないということ。高画素ゆえの反応の遅さがあって、これは何もメモリの性能云々ではないと思う。私が、ミニカメさんと出合ったときは、なぜか8Mというサイズだったけれど、これが一番いいようで、これよりも大きいといくら、ハードの方で小さく設定しても、その後の処理の高速化にはつながっていないということ。これを実感することは大。シロウトがなにをという感じもするが、きっと小さくするのに余分に働かないといけない機械の悲鳴が聞こえてきそうで、これが体感速度の遅さというか、もたつきというものではっきりする。
この辺りのことが考慮されていいはずだが、どうだろうか。
小雪が舞う。小さいカメさんはやはり使いよい。あまり気にせず使うことも出来る。滑らないことも大切だし、スタイルと使いやすさの両立はむつかしそう。これも慣れの問題もあるが、最近はやらなくなって久しぶりとなったが、使っていて、ストラップに指がかかっていれば、まずは安心である。
途中で、フイルムが満杯になって、ピピッという音がした。これもいいこと。散歩だから、これでよかった。だんだんと古くなるカメさんだが、古いもののほうが、長く使えるような気もしてきた。
寒そうに、あるお店の前に並ぶ花。なんだか暗い感じもあったが、ささっとにじりよってみる。
クロッカスの花は閉じていた。これがきょうの寒さを示しているようで、もしかしたら、この後には花が開いたかも。
数の少ない花を咲かせる白梅。空を見上げる感じだと、その花の数は増える。回りから見ていると、なにをやっていると不思議がられそうである。
オオイヌノフグリも、花は閉じたまま。植物そのものも元気はない。
クロッカスも出たので、あとは新鮮なのは、たぶんこの「カマキリの卵」ではないか。これは、カマキリの卵というか、その塊というか、巣というか、そうゆうものだと思う。
すぐ近くに、梅のまだ咲かない蕾をたくさん付けた枝にも、このカマキリの卵の塊、ッはあった。
カマキリも、こんな人目の付くところで産卵しないといけないというのも、どうゆうものなのか。ここからウジャウジャ、子カマキリが出てきたら、さぞかしびっくりするだろう。
寒さは続いた。きょうが一番寒い、そうゆう思いもあった。お天気情報は、いいことは言わない。どっちかというと、悪いほうを出さないといけないようだ。それによると、今日はせいぜい曇り空で、気温も高くて、5℃。天気情報を詳しく見ている方だと、これにはうるさいだろうが、観天望気で半分は占っている自分としては、あまり気にはしない。それよりも、地震とかのほうが怖い。これがいつ来てもおかしくはないから、普段は考えないようにする。
きのうの頭痛がひどかったから、これは、インフルエンザではないと思うが、風邪の症状が出るかと少し冷や冷やする。用心も出来る範囲があって、それだと「ちじこまっている」ことしか出来ないが、でも、雪も降る日が1週間続くと、疲労感の蓄積と同時に、風邪の恐怖というものも出てくる。これも不思議なものだが、冬というと風邪であって、しかし風邪に一定の症状はないようにも思える。体が弱っているのは事実だろう。心的な疲労感もある。背負っているものもある。
幸い、眩暈も、また喉の痛みもない。実際のところ、これは危ないという風邪はここのところひいていない。だから、余計に怖い気もする。
カメさんを持ってと思ったのは、一つは新鮮なものという必要性もあるが、これも気分転換にもなるかも知れないとも思う。寒いときに歩くのは、なにも持たないか傘ぐらいが一番いい。それで、交通関係にのみ注意を払いあとは無心というのがもっともいいような気がする。あちこちを見ているようで、すぐに忘れる。それが一番いいものだ。でも、ここは、カメさんという考えが支配的になったのは、これも理由がわからない。まさか天気がよくなるとは考えていない。
カメさん散歩で最近思うのは、しっかりと手に持てるというのも大切だが、ミニカメさんの、高画素のものは特にこうゆう時期は要らないというか、必要もないということ。高画素ゆえの反応の遅さがあって、これは何もメモリの性能云々ではないと思う。私が、ミニカメさんと出合ったときは、なぜか8Mというサイズだったけれど、これが一番いいようで、これよりも大きいといくら、ハードの方で小さく設定しても、その後の処理の高速化にはつながっていないということ。これを実感することは大。シロウトがなにをという感じもするが、きっと小さくするのに余分に働かないといけない機械の悲鳴が聞こえてきそうで、これが体感速度の遅さというか、もたつきというものではっきりする。
この辺りのことが考慮されていいはずだが、どうだろうか。
小雪が舞う。小さいカメさんはやはり使いよい。あまり気にせず使うことも出来る。滑らないことも大切だし、スタイルと使いやすさの両立はむつかしそう。これも慣れの問題もあるが、最近はやらなくなって久しぶりとなったが、使っていて、ストラップに指がかかっていれば、まずは安心である。
途中で、フイルムが満杯になって、ピピッという音がした。これもいいこと。散歩だから、これでよかった。だんだんと古くなるカメさんだが、古いもののほうが、長く使えるような気もしてきた。
寒そうに、あるお店の前に並ぶ花。なんだか暗い感じもあったが、ささっとにじりよってみる。
クロッカスの花は閉じていた。これがきょうの寒さを示しているようで、もしかしたら、この後には花が開いたかも。
数の少ない花を咲かせる白梅。空を見上げる感じだと、その花の数は増える。回りから見ていると、なにをやっていると不思議がられそうである。
オオイヌノフグリも、花は閉じたまま。植物そのものも元気はない。
クロッカスも出たので、あとは新鮮なのは、たぶんこの「カマキリの卵」ではないか。これは、カマキリの卵というか、その塊というか、巣というか、そうゆうものだと思う。
すぐ近くに、梅のまだ咲かない蕾をたくさん付けた枝にも、このカマキリの卵の塊、ッはあった。
カマキリも、こんな人目の付くところで産卵しないといけないというのも、どうゆうものなのか。ここからウジャウジャ、子カマキリが出てきたら、さぞかしびっくりするだろう。