寒い話しが多い。壊れた、直らない。これは機械だから、何とかなりそうだが、生き物の場合はそうはいかない。天命とかいうが、そんなものでもないような気もする。あっさりと切り捨てられるものがある。いずれ自分もそうなるだろう。わかっている寂しさと明るさ。あー、寒い。
今は機械のほうで寒さを味わっているが、これには「こだわり」というものもある。妙なもので、今使っている「こたつ」が壊れたら、どうするかそうゆう心配はしない。しないが、いつに壊れても、具体的には赤外線発光装置が停止するということだが、おかしくはない。で、今そのこたつが売っているかというと、ほとんどないのではないか。
こだわりのある機械のほうだけど、いくつかの手段は考えられて、特に悲観はしていない。ただ、それをやることが出来るかというと、むつかしいということ。出来るなら、簡単に、スッと他の機械のほうで動いてほしいものだ。その可能性も今の時代でもある、ことも薄々わかる。
今頃、「こたつ」というと、ないような気がすると思うのは、1月だったか、いつも敷いている、電気敷布をやらないで、さほど寒さを感じない人がいる。おかしいな、昔はもう少し元気で、またものわかりもよかったと思う人が、「寒くないの」と聞いてみても、そうでもないらしい。らしい答えしか返って来ないので、このことを頼りになるはずの姉に相談した。
結果はというと、敷布はあるが、コントローラ関係、電気の調節をするほうがないらしい。それで、すぐに買ってこいという指令が出たので、またある人に手伝ってもらって、売っているのではないかというところに出かけた。申しわけない気持ちである。で、急いで、電気敷布というか、毛布にもなるようなものを探した。が、見つからない。慌てることも出来ず店員の方に来てもらった。広い面積を持っているが、目的のものはそこに展示してあるものだけということで、しかしありがたく定価どおりで購入した。なんということであろうか。
冬はこれからというのに、在庫がない。なんか変だな。
これとは逆の場合もある。田舎だと買い物が大変で、通販も利用する。あれがない、これもないとなる。それで、ことしの冬は寒そうだしと思って、一応そのホームページを見る。カタログもあるが、最新の状態はというとネットのほうが正確だろう。これで、冬用のコートのようなものを、あるいはスポーツ選手の着るような、寒さ避け、防寒まではいかないが、少し歩けば暖かさが感じられる、そうゆうものを探してみると、在庫があったりもする。大きすぎるものでもなく、小さすぎるものでもなく、普通サイズのものもある。
ただ、色が気に食わない。黒とかは若い人は似合う。というかそれでも大丈夫だが、いい加減くたびれると目立つ色というものが必要で、ワインカラなどが一番だが、もう少し地味でも赤系統がいい。何を書いてと思われそうだが、目立つというのが、特に冬場、車の通るところでは肝心なのである。そうゆうことを思うと、流行とは何か、というものも考えてほしい気がする。
大体ものを大切にする。それゆえ、古いものも残ってしまう。いつのもんやねんというものがあちこちにあるが、さすがにいらない。でも捨てられず、そのまま。
雪が舞っている。この雪の感触というのも久しぶりで、また冷蔵庫以外もからっぽの状態でもあって、寒さもまだ半ばという時間外に出た。雪ねー、なんだか懐かしいが、痛い目にもあっているから、複雑である。このままだと積もらないねー。お店の人と話しをする。まったく、この雪にはてこずるが、ことしは少ない。少なくても、雪をどけないといけなく、その後筋肉痛も出るがそれよりも、体の柔軟性がなくなったことにも気が付く。今頃慌てても遅い。そのとおりだ。
体の様子を自分に聞いてみる。大丈夫か、大丈夫です。でも、だめです、そんな答えが返ってくる。少しやって、休む。はかどらない。イテテテというのも我慢する。消炎鎮痛剤というのは、塗ってしばらくしてある時間だけ、若干気持ちがいいようなものがある。あー効いているなー。それで終わりだ。きょうもこれのお世話になる。これが手放せない。まだ、スーという感じになるだけましかも知れない。こうならないときが来る。
寒いと愚痴ばかり出るようで、これはいけない。でも、大体書いていることは似ている。そうゆうことになっているので、お許しをいただきたい。
見ようによっては、かなり赤い紅梅。運動会の帽子の色。
紅梅は、なかなか見つからず、同じ木が出る。
去年はだめだった。それに比べるとことしはだいぶいい。この花も今は氷点下の寒さの中にいるのかと思うと、きびしい自然は変わらない。
背景に、緑。
このくらいが一番の見ごろということかも知れない。乾いた感じのする、紅梅で、これは何回も見ているが、変わらないところ。
やけに静かになって来た。シンシンと冷えるというと大袈裟だが、明日の朝にどうなっているか少しだけ、心配にもなって来た。
今は機械のほうで寒さを味わっているが、これには「こだわり」というものもある。妙なもので、今使っている「こたつ」が壊れたら、どうするかそうゆう心配はしない。しないが、いつに壊れても、具体的には赤外線発光装置が停止するということだが、おかしくはない。で、今そのこたつが売っているかというと、ほとんどないのではないか。
こだわりのある機械のほうだけど、いくつかの手段は考えられて、特に悲観はしていない。ただ、それをやることが出来るかというと、むつかしいということ。出来るなら、簡単に、スッと他の機械のほうで動いてほしいものだ。その可能性も今の時代でもある、ことも薄々わかる。
今頃、「こたつ」というと、ないような気がすると思うのは、1月だったか、いつも敷いている、電気敷布をやらないで、さほど寒さを感じない人がいる。おかしいな、昔はもう少し元気で、またものわかりもよかったと思う人が、「寒くないの」と聞いてみても、そうでもないらしい。らしい答えしか返って来ないので、このことを頼りになるはずの姉に相談した。
結果はというと、敷布はあるが、コントローラ関係、電気の調節をするほうがないらしい。それで、すぐに買ってこいという指令が出たので、またある人に手伝ってもらって、売っているのではないかというところに出かけた。申しわけない気持ちである。で、急いで、電気敷布というか、毛布にもなるようなものを探した。が、見つからない。慌てることも出来ず店員の方に来てもらった。広い面積を持っているが、目的のものはそこに展示してあるものだけということで、しかしありがたく定価どおりで購入した。なんということであろうか。
冬はこれからというのに、在庫がない。なんか変だな。
これとは逆の場合もある。田舎だと買い物が大変で、通販も利用する。あれがない、これもないとなる。それで、ことしの冬は寒そうだしと思って、一応そのホームページを見る。カタログもあるが、最新の状態はというとネットのほうが正確だろう。これで、冬用のコートのようなものを、あるいはスポーツ選手の着るような、寒さ避け、防寒まではいかないが、少し歩けば暖かさが感じられる、そうゆうものを探してみると、在庫があったりもする。大きすぎるものでもなく、小さすぎるものでもなく、普通サイズのものもある。
ただ、色が気に食わない。黒とかは若い人は似合う。というかそれでも大丈夫だが、いい加減くたびれると目立つ色というものが必要で、ワインカラなどが一番だが、もう少し地味でも赤系統がいい。何を書いてと思われそうだが、目立つというのが、特に冬場、車の通るところでは肝心なのである。そうゆうことを思うと、流行とは何か、というものも考えてほしい気がする。
大体ものを大切にする。それゆえ、古いものも残ってしまう。いつのもんやねんというものがあちこちにあるが、さすがにいらない。でも捨てられず、そのまま。
雪が舞っている。この雪の感触というのも久しぶりで、また冷蔵庫以外もからっぽの状態でもあって、寒さもまだ半ばという時間外に出た。雪ねー、なんだか懐かしいが、痛い目にもあっているから、複雑である。このままだと積もらないねー。お店の人と話しをする。まったく、この雪にはてこずるが、ことしは少ない。少なくても、雪をどけないといけなく、その後筋肉痛も出るがそれよりも、体の柔軟性がなくなったことにも気が付く。今頃慌てても遅い。そのとおりだ。
体の様子を自分に聞いてみる。大丈夫か、大丈夫です。でも、だめです、そんな答えが返ってくる。少しやって、休む。はかどらない。イテテテというのも我慢する。消炎鎮痛剤というのは、塗ってしばらくしてある時間だけ、若干気持ちがいいようなものがある。あー効いているなー。それで終わりだ。きょうもこれのお世話になる。これが手放せない。まだ、スーという感じになるだけましかも知れない。こうならないときが来る。
寒いと愚痴ばかり出るようで、これはいけない。でも、大体書いていることは似ている。そうゆうことになっているので、お許しをいただきたい。
見ようによっては、かなり赤い紅梅。運動会の帽子の色。
紅梅は、なかなか見つからず、同じ木が出る。
去年はだめだった。それに比べるとことしはだいぶいい。この花も今は氷点下の寒さの中にいるのかと思うと、きびしい自然は変わらない。
背景に、緑。
このくらいが一番の見ごろということかも知れない。乾いた感じのする、紅梅で、これは何回も見ているが、変わらないところ。
やけに静かになって来た。シンシンと冷えるというと大袈裟だが、明日の朝にどうなっているか少しだけ、心配にもなって来た。