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光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

春の、小嵐

2009-02-12 06:53:42 | 散策
  朝の天気、今は晴れのようで、東の空は、うす雲あり、西の空には月と、霧があるようで、春のお天気の代表みたい。一言、体が痛い。薄っすら東の空が赤く燃えている。アメダスの6時の気温、2.4℃、気圧は、1017.9hPa、湿度は96%。室温、6.5℃。寒くはないはずだが、寒い。

  昨夜は、雨はさほどでもなかったが、雷は結構ひどかった。PCに影響があるといけないので、さっさと電源を切って、それで外を眺めていた。雷が至近距離に落ちると、これはどうしようもないが、逆に電気を拾うことがあって、大切な機械も、機器も壊れてしまう。まったくの邪魔物のようで、しかしそうでもないとすると、それなりにその音と、光の競演に、魅惑される。それも無事に終わってしまった。

  朝が来た。朝が来たが、眠っているようで起きていた。あー眠れない、それから何か考え事をしていることがわかってこれは困ったなと思ったら、それは夢のようで、カチッという、目覚ましの鳴る予兆で、起きた。3時間がたっていた。
  あー起きる時間。外をチラリと見ると、月が出ている。きのうの月は、雲の向こう。きょうの月は、雲もなく、しかし少し黄色い。晴れているようだ。
 
  手帳と5年日記の両方に気温とか、お天気を書いていると、5分遅れた。その遅れが広がって、差が開いてゆく。もう、お天気情報で、それで、最後に「津軽だこ」というものの画像を見た。凧ねー、タコではなかった。

  空は明るい。晴れである。黄砂がどうのこうのというものもラジオから流れて来る。今日はいい天気だそうだ。予想どうり、体調は芳しくない。この程度のことでこんなことになる。なんだか寂しいが、これも一つの教訓みたいなもので、自分はいつまでたっても、自分のままである。

動かないPCの続報

2009-02-11 19:01:00 | 散策
  1週間前であるが、ちょうど水曜日で、それで、もういいかと思うころ、もう一台のPCを動かしてみることにした。
  それが動かない。予兆は一回あって、そのときは画面がフリーズした。やりなおして、もとに戻った。特に変だとは思わなかった。それで、水曜日が来たが、最初は、POSTも通過してしかし、ウィンドウズのロゴは出なかった。再起動して、まったく何も出なくなった。これで調子が大いに狂った。

  PCの数も増えたり減ったりで、今は動くのは2台。この両方が適度に動いてくれれば、まずは安心できる。両方とも、いろいろなものを別個に購入して、という代物で、例えばディスクなどは、かなり過去のものを引きずっているし、しかし、時代は、まだパラレルが幅を利かせていた。
  だから、データを入れているディスクの複製はやりやすく、大きいディスクに買い換えても特に問題はなかった。2台つなげることが出来るのが当たり前の規格だったから、過去のデータは順調に増えたし、だから返って、結構新しいものを取り入れたりもした。それも、ピタッと止まったのが、丸2年前くらいで、もっと前かも、この原因は、PCのメインボードの規格からのパラレル・コネクタ関係の削除。一つだけ残してくれて、しかしこのやりにくいこと。これも、先にビデオカードのシリアル化?というものもあった。

  こんなことを蒸し返してもしょうがないが、今動かなくなったのは、まだパラレル関係のコネクタは、二つあってむろんディスクも、パラレル。すぐに、変えることも出来ないし、しかもどうしたらいいかそれもわからない。PCのハード関係も滅多なことで触らなくなった。細かな文字も見えないし、またディップスイッチやら、細かいコネクタの取り回しも出来ないことになる。
  もう新しいものを取り入れるというより、使うことに重点を置いて、写真関係ということになるが、そうゆう時代に私は入ったとも思った。長く、PCのハード関係の雑誌もとっていたが、これも止めた。時代の先端をいく、個人向けのPCのハードのことははっきりいって何もわからない。健忘症もあるが、去るものは日々に疎しで、まったくほとんどのことを忘れてしまって、せいぜい外付けのハードディスクに写真ファイルを溜めることに満足していたが、この有様。いつも動いていてくれるはずの、二つのPCのうちの一つが動かない。なんだか、落ち着かない。どうしたらいい。

  メインボードによるとCPUのテストに問題があるらしい。そうゆうことを言ってくれる、メーカのものを使っている。初めて聞くようで、そうでもないかも知れない。それでは、と思い、重い腰をあげて、様々な障害を乗り越えて、きょうしかその日はない、と思えた、PCの箱を取り出し、中を開けた。今回はその中を開けたついでに、おかしいという「新しいCPU」の取替えをやった。新しいものをはずす?。変なようで、普通。このPCの最初は、それよりも古いCPUが入っていた。それから、時間がたって、新しいものに変えた。それが動かないという。だから、また古いものに入れ替えるのである。古いもので、壊れていないものを残しておいた。つまり、昔はこっちで動いていて、それで、ステップアップというのをやってみたのであって、これをまたもとに戻すー。
  あー大いに疲れたが、何と結果は、変化なし。動きません。さほどでもないようで、かなり苦労した取替え作業も役にたたなかった。一体に何が悪いのか。


  この、書き込みにも、調子が出ないのもごもっともといえる。ぐったりとして、PCの逆襲にあったようだが、それにしてもこうゆう経験は、ない。ちなみに、新しいCPUのクーラ用のファンにはほとんど埃も付いていなかった。新品同様なのである。二重のダメージ。ここからの立ち直りはかなりむつかしい。


  きょうは雨である。ちょうどいい感じではあるが、先ほどから一旦上がった雨がまた降りだしている。さらに雷もなっている。その割には、晴れ間というか曇りの時間も多い。なんだか不気味な感じの一日ではあった。にっこりしている、そうゆう自分をきのうは想像していた。暗転である。

  それで、きのうの続きというと、街の景色であって、今日は明るいものに。




  街の目印ともなっている高層ビルの横を、ライトレールは走ってゆく。雪がなくてよかった。




  よく写るカメラ。細かい枝の様子と、横のビルの配色がいい。




  晴れた空。雪のない雪囲い。植物にはいい。




  夏には勢いよく、水が流れてゆく。水の滑り台。ちょっと寂しい。

 


  見ればわかるが、ビアダルに見えるのは少しおかしい。

  あー、きょうはというかきょうも自分には重労働で、明日は腰がどうなっているか。こんなことはもう出来ない、とはわかっていたのだが。グヤシイ。

ツバキと、オウレンと

2009-02-11 16:31:08 | 植物・花(冬)
  雨、久しぶりの雨、きのうは、スズメの涙くらいの雨が
  降ったけど。
  ちょっと心をゆすられる量の雨が降ったのは
  久しぶり。これで、少しは、空気もきれいになって、
  その他、なかなか咲かない梅の花も、瑞々しさを
  取り戻すのではないだろうか。

  春の雨は、なかなかいいが、この辺りの今頃の雨は
  ときに、ミゾレが混じるようで、まだ春は遠いというのが
  本当のところだが。

  ツバキと、オウレンの花。




  サザンカは、今は少し中休み?で、目立つのはツバキ。




  一度、切り出してみたものだが、全画面表示のほうが面白い。
  葉が異様に白く光って、霜が降りているようで、むろん違う。




  花が開いたオウレン。で、光がまともに当たると花の色というものも
  表現するのがむつかしい。機械も迷うし、またソフトで調節するのも
  簡単ではない。




  これのほうが、オウレンの自然光での色が出ているかも知れない。




  少し後戻りして、上の二つを一緒に、の様子。といっても狭い範囲。




  このようなものもあった。ファインダの情報を見ていない。といういより、
  暗い状態での、もう一つのオウレン。暗いが、オウレンは、こんな感じの
  ところに多いというのも、当たっている。

今朝は、寒い

2009-02-11 06:48:32 | 散策
  朝のお天気、うす曇で、全体には晴れ。明るさからいうと、晴れ、でも、雲もしっかりとしている。それと大きな明るい月も、残っている。これからは月夜が朝まで続く。寒いなー、なぜかわからないが、窓は閉まっているし、壁に穴でも開いているのか。アメダスの6時の気温、0.0℃、ぴったし0℃。気圧は1011.6hPa、湿度80%。室温、6℃、寒い。

  このところ、空の明るさがある。また、風がないと、かつ太陽光が降りそそぐと、そこは南国のようにも思える。南国か、古そうな言葉である。しかしそれ以外だと、大体において寒い。いくら暖冬といっても、冬に違いなく、一桁の温度の中というのは、やっぱり寒い。壁に、穴が開いてなくても、寒い。

  空が明るくなるのが、はっきり早くなった。嬉しいような気もするが、星を見るとなると、早起きが必要で、それも難儀に思える。なんとも無精者。髭剃らず、ぼうぼうという感じだが、ヒゲソリの性能というのも、広告の割にはあまり変わらない。また、年齢とともに、頭の方は薄くなるが髭はというと逆に硬くなって、高性能のシェーバでも歯が立たないのかも。そんでもって、髭も剃るのも面倒となると、その後のほうがずっと大変。髭をそるというより、皮膚をなぜてあげる、というのが大切なようだ。何を書いているやら。ただ、これは昔から思っていたことだけど。
 
  こうして朝はすっかり明けてしまった。空は薄く青く、望ましい。雲は、煙のようで、しかし無臭である。北アルプスは、ときとして見えることもある。これは空の青さと比例しない。どんよりのときでも見えるし、まったくの快晴でも見えないときがある。今日は、この先雨予報であるからか、薄っすら雲は紅色に染まる。

  PCの修理をいつやるか、悩んでいる。腰を痛めないだろうか。まずは下のものを上に、上のものを下に、配置換え。それだけでもやってみよう。

雪のない、街路樹

2009-02-10 19:11:54 | 散策
  「お医者さんに行ってきます」。なかなか、嬉しそうには書けないこと。でも、それを書かないと福もやって来ないかどうか。明日は旗日で、お医者さんはお休み。それで、きょうに変更して、一ヶ月はたたない。前倒し。一日早くゆく。

  それで、道も混んでいた。そうかも知れない。これから、工事というのもある。人は歩くことは出来そうで、重機がその姿を見せる。救急車、その他の車は進路変更を余儀なくされる。広い道なので、片側通行くらい出来そうだ、が、そこに行くと、右か左に曲がれの、看板がある。これだからなー、なかなか相互に譲り合うことのない一方通行のお知らせは、切なく、きな臭い。

  早くいって、それからがもたついた。でもこれもしょうがないもの。薬局では、混んでいたが、入って2、3分たつともう人はいない。いつものとおりの感じだ。自分のことはさておいて、インフルエンザについて聞いてみる。
  マスクをされているので、さてこれはどう判断するか。ここの薬局ではマスクを皆されている。なるほど、これでインフルエンザの警報みたいのを出していることにもなるし、「マスクはおかしくはありませよ」ということにもなる。薬剤師の方は徹底されている。それで、そのインフルエンザのことだが、もし病院でインフルエンザとわかると、一般の薬局のほうに患者さんを行かせることはないでしょうと突っ込んで聞く。これがうまく伝わったかどうか、わからないがそのようである。そうでないと、薬局が大変なことにもなる。
  こんなやり方は変だなと思ったが、一応マスクは持っているのですが、と見せる。でも、これはやる必要はなかった。なんだかまずい反応を見せているようである。ここは薬剤師さんの意見を書いておくと、「病院では、まずはマスクは必要です」という事であった。

  その後、他にも用があるし、また街並みの様子も知りたいので、歩く。先回のときは、雪が凍っていてという悪条件であるが、今回は雪もなければ、風もさほど強くなく、空は青空に近い晴れ。とぼとぼでもなく、さっさという感じで歩き始めた。バランスを狂わす雪がないので、ミニカメラも手に持った。こうゆうことをやるのは久しぶりであるが、
  このカメさん、あまり「お気に入り」というわけではないけれど、全体の画素数がさほど多くはないから、といっても、2007年のモデルだから、10Mピクセルには足りないというもの、これが、なぜかいいのである。メモリも特に早い書き込みをやるわけではない、で、次のボタンを押す時間が待たされるかというとそうでもない。なんだか、ミニだと一番いい感じがする。こうゆうことは薄々わかっていて、重いものを持たないときはこれが一番だという確信が沸いてきて、今日はこれを持ったのだが、これでよく、これしかないような感じもする。誉めすぎかも知れない。

  一体に歩いていて、ケータイとも大して大きさの変わらない四角いものを持っていて、これはなんとも思われないのは当たり前だ。それだから、気楽にその辺りの風景を撮ることも可能。どんどん歩く、歩くと駅に近くなる。いつもの調子である。2月、とは考えられない、そうゆう陽気であって植物の雪囲いが少し窮屈そうだ。街にしかない風景というか、光景があって、これまた人のいない場所でもある。車はそこそこ走っているが、いつも撮っているのは、のっぽのビル。遠くからも見渡せる。

  ここの道を曲がると、工事中の街の駅に付く。距離は、300mくらいか。ここでも、のっぽの目立つビルを撮る。すると、不思議と誰かが笑っているようで、笑いをこらえているようにも思える。なるほど、田舎ものが、カメさんを持って歩いていると「おのぼり」さんみたいに見えるのかも知れない。人の目を気にしては傑作は撮れない。
  おのぼりさんは私は好きだ。自分もそうだったし、もっとも回転するように登っていって、もとには戻っていない。スタートがどの辺りかははっきりしない。このまま、ここで終わると思うと残念な気がするが、もうすこしミクロなものを見ることによって、あるいは反対に空を見ることで、そうゆう偏見から逃れられるのではないかとも、思っている。
  一人、カメさんを持って、ときにポチッと止まる。悲しいような、かわいそうなような、哀れなような、そうゆうものを一番感じているのが、もしかしたら自分かも知れない。それもまた事実で、しかしやはりこれをやらないといけないようにも思えるので、最後にはニヤニヤ笑うしかない。

  どうも、調子が今ひとつなので、ひねくれたことの一つも書いてみた。それにしても、このカメさんはうまくものを写してくれる。




  同じような場所からいつも始まる。高いビルを目指す。それより、細かい木々の枝がよく写っている。




  ナゾナゾ遊びでもないけれど、ビルも重なって見えるとどこがそこだか、わからないということにもなる。




  こうゆうのは、今まで思い付かなかった。ビルとビルの谷間のビル。




  正々堂々と、高いビルと向かい合う。なかなかいい眺め。




  痩身のビルのはずが、小さくまた横が出っ張ったようにも見える。

  街のビル巡りは結構面白い。もっと他のところでもやってみたいと思うが。なかなかお金も体力もない。これを終えて、まずはホッとし、他に用のある、あるビルに向かう。ここでも、結構に体力を消耗する。

夕景描写

2009-02-10 16:29:46 | 散策
  春らしい、お天気。
  朝から、晴れで、これはよかった。

  雪の降る感じはない。青空があて、雲があって
  ただ少し寒い。油断は出来ない。
  チャンスとピンチは隣り合わせで、どちらにも
  転ぶように出来ている。ニコッとすると、もうその隣に 
  悪魔が潜んでいたりする。もっとも、
  毎度毎度緊張の連続というのも、しんどいもので
  悪魔の程度によっては、それと仲良くなる必要も
  あるようである。

  でも、ピンチだらけというのもありそうで、これは困る。

  天気予報どおり、スズメの涙程度の雨が降る。
  再び晴れ。


  きのうの太陽のある光景の続き。



  
  かっちりとした、青い空と、白過ぎる太陽。




  太陽が溶けてゆく感じもあるが、これは雲が影響している。
  低い空に雲がある。




  西の空はきれいな青空がある。ここには、もう硬調さはないようで、
  春の柔らかい空となる。




  変な色だなーと後から思った。そのときには気が付かないが
  ホワイトバランスがとんでもないものに。
  左側の上の際に、金星が写っているが、これが青い色。




  このときは、なぜか他のカメさんでも撮っていた。
  それだけ印象的な夕刻の空があった。
  金星はちゃんと白い点に近いものになっている。




  肉眼だとまだはっきりとした、明るさのある、目にしみる夕景の色がある。
  夕焼けとはまた違う、懐かしい色である。  

ほぼ快晴の空がある。

2009-02-10 06:45:55 | 散策
  朝のお天気、もう明るいが、今頃になってほぼ快晴の空がある。風は弱めで、あまり感じない。雲も、じっとしているようだ。その少し前には、全体に曇り空で、沈もうとする月の辺りが、ときに明るい。アメダスの6時の気温、1.9℃、気圧は、1010.1hPa、湿度は86%。室温、6℃。

  予想より朝の温度は下がっている。最低が、4、5℃だとかなり暖かい感じがする。予想より、雲が少なく、夜中もときに瓦が月の光を跳ね返していた。月はおぼろげながら見えていたり、はっきり見えていたり、いろいろだったようだ。これをずっと見つめることはむつかしい。

  起きる時間はまだ暗いが、その時間は雲が多かった。しばらくして新聞を取る。外に出て、空を見る。きのうと同じように、明るい星が見える、少しだけ。きょうも曇りというところ。その後、毎度のやかんを火にかけ、顔を洗い、リンゴを皮付きのまま食べたりしていると、お湯が沸きちぎって、辺りに湯気がたつ。あー失敗した。最初は火が弱く、こんどは強すぎた。

  パンを齧る時間、このパンももう冷たくなっているが、冷たいなりに、パンの味があり、薄く塗ったファットスプレッドの味がする。天気情報を見ようと思っているが、最初の目玉を見ることが出来ず、もう東京に変わっていたが、日の出の時間が10分は違うから、もう都心の空も明るい。もっとも得意の超高感度カメラを使うという手もあって、その空はまるで宇宙から見た地球のように美しい。
  でも、問題はお天気で、など思っていると、もう時間である。

  急がないといけない。その後に、こちらの空も明るくなったが、雲がない、ほとんどない。その割に気圧はさほど高くもなく、湿度はしかし高め。今は晴れだが、数時間後には雨が降るかどうか。降りそうにない空がある。なんだかよくわからないまま、終了します、って、いつものとおりだけど。

雑草探し

2009-02-09 19:04:48 | 散策
  雪は今はないが、すると、田んぼとかその他、空き地にまた野の道に草が生える。生えていて、今頃また花を咲かせる。苔もあって、コンクリートが栄養分になるのか、結構に多い。コンクリートとアスファルトはかなり違って、コンクリートの上だと苔はある。アスファルトだと、あるところとないところがある。あるものは、その脇の方にコンクリートがある。違いははっきりしていて、アスファルトの淵にコンクリートがあるところに苔はあるというわけ。そうゆう風に見える。
  
  花も色々だが、珍しいものがありそうで、ない。花がある花ばかりではないだろうが、花はあったほうがいい。その方が目に付くし、また目を引く。お山の方にゆくと、これまた人里から離れるから、見かけない花は、また草は、木々は多いだろうが、そうゆうところにゆく機会もないと、どうにかこの辺り、周辺で、なにかを見つけないといけなく、これはこれで大変である。でも、よおおく見るとどのくらいの植物があるのか、まったくわからない。まずは皆緑に見えて、およそ区別も付きにくい。こちらのほうの目も、こうゆう年齢になったから花やら雑草を眺めるわけで、もう少し時代が若いと、そんなものを見ることはない。これは事実で、
   
  20歳代から、エビネに興味がありましてというと、これはなかなかいない。いないはずだが、過去も遡ると、そうゆう方に会った。その人はなんとカメさんもやる、エビネも好きで、野の野草も大好きで、こちらが知らないことを滔滔と述べた。さらにアユも釣るという、何という御仁かと思うが若い。若いのにエビネがと来るので、まったく脱帽してしまう。こうゆう人とお友達になるといいことずくめのようだが、もちろん実際にはそうはならない。それで、気を入れ替えて何かをやるかというと、これまたそうではない。

  野の花というものも、なかなかに見かけないもので、それなら、春だと梅、それにボケに、さらにはサンシュユに、ロウバイにレンギョウという、誰でも知っているようなものが目に入ってくる。しかし、さすがにフクジュソウはというと、これはない。そうゆうものは、図鑑で見るしかやはりない。低地でもいいが、野を歩くことはなかなかない。せいぜい、どこか花見にいくというときの、その道でチラッとあちらこちらを見るのが精一杯で、さらに低い山歩きだと、登るのと下るので、あとはエネルギと水の補給で精一杯で、さらには最後の方になると、バスに乗り遅れないか心配にもなってくる。ちょうど、膝の外側が痛くなり始める。なんだか地獄の下り坂。こうなると
  山歩きで、あまり見かけないという珍しい植物も目には入らない。低山植物もそのまま取り残されてしまう。植物にとっては、これはいいようだ。植物園にある、そうゆう植物を見てもらって、それが自然に繁茂しているところは知られない方がいい。で、大体山歩きをすると、って昔話だが休憩で半ば呆然としている。それで、撮ったものはというと大体ぼけていて、当時オートフォーカスもまたモータドライブもなかったころが懐かしい。

  それにしても、雑草も種の競争の原理が働くのか、なかなかこれは珍しいというものは、見つからない。もうそんな珍しいものはいい。珍しくなくても見かけない植物に会いたいなど思って、そこいらを歩いたり、あるいは散歩の途中にチラチラよそ見をするが、大体において、見かけないものはなさそうである。
  少しあるいはものすごく昔だと、用水はなかった。小川というものがあって、しかしこれも考えてみると、恐らく人の手が入っているのではないか、まったくの自然に出来た川がいつの時代まであったか、小川といえども人がその方向を変えたことも考えられるし、川と川とをつないだりもしたのだろう。(この辺りは、歴史の教科書を読み直すといいのかも知れない)。そうでないと、昔の水田というものも存在しないことになる。キレイに整理された今のものではなく、昔の田んぼは曲線の美しさを持っていて、また色々な木々が、あるいは建物があって、それは自然というより、人の手の入った感じの穏やかな光景があったようだ。

  そうゆう光景も昭和のものであるから、それにしても今とは違いすぎる。夏に光るホタルがいたりというのが、また笹舟を流したとか、そうゆうときのものだが、虫も豊富だと植物の種も豊富だったに違いない。この逆の言い方のほうが、もっともらしい。

  空き地には、せいぜいたくさんの雑草が生えている。ここには、低い山にあるような草はもちろんない。また、植物園にあるような、ちょっと珍しい野の花もない。なんだか残念である。梅の花は少しだけ咲いている。これはめでたい。それから空き地に目をやると、雪の下にあったものがまだ枯れたような感じで残っているだけ。そこにはもう昔あった植物は生えてこない?。どこかからか、知らない植物の種が飛んでこないか、夢想するが、これは果しておかしいかなー。




  目の前に、ようやくツバキが。これは、もとの画像をそのまま縮小しても大丈夫だったが、その機会がなくて切り出してみた。




  日が当たる、そうゆう垣に目をやると赤い色が美しい。カメさんも目がくらんだ。どうせならもっとぼけて欲しかったが。




  雑草とは関係がなくなってゆく。やりにくいというか、人見知りするスイセン。




  柿の木のへたが残るのは鳥が食べた証拠のようだが、柿の木も昔はもっとたくさんあった。




  最後には松が出た。松枯れはひどいようで、ここにもあったがその松も今はない。この松の木は、久しぶりに見た、きれいなもの。

硬調な、青空。

2009-02-09 16:32:20 | 散策
  暖かなときもあると、今日はやけに空気が冷たい
  など思うときもあって、でも、気温を後からたしかめると
  さほど違いはない。
  だんだんと寒さと暖かさの感覚がおかしくなっているのではないか、
  という感じにもなる。

  きょうは、朝は氷点下、その後は雲の多い空だが、
  きのうの気温というのも、さほど高くないことを知ると
  きょうがやけに寒く感じられる不思議が、結構印象的。

  あとは花粉症。目のショボツキ感がひどい、あまり長くモニタを
  見ないようにしているが、それでもつらいときがる。
  文字の大きさに不満なく、モニタもほどほどの大きさ。
  でも、つらい。これが目の問題なのか、花粉症なのか
  どっちにしてもいいことではないが。

  きょうも、太陽のある風景。
  2月8日、きのうの青空の様子。硬調な感じがあった。




  新鮮というか、空気が澄んでいるのか、また太陽の輝きが強すぎるのか。




  壮大だなー、放射が全体に広がっている。




  濃い青い色が印象的。




  夕方と書きそうになって、そうでもない時間である。朝と同じような
  光景が広がる。




  白い雲が蒸発しそうな感じがある。




  ようやく夕方に近い時間になる。やはり朝と同じ感じがある。
  日の出と書いてもおかしくはない。
  
  この後も、太陽と空の色は変化を続けるが、それはまた。
  ホワイトバランスが、夕焼けのころから「予想外」のものに
  なってしまって、残念なところもあるが。 

うす曇りの、月曜日

2009-02-09 06:47:06 | 散策
  朝のお天気、晴れのようで、薄い雲が全体にある。先ほどまで、夏ミカンのような、月が出ていたが、これが大きくて、おいしそうに見えた。曇り空で、まわりにハロが出ている。起きてしばらくすると、寒さが身にしみる。アメダスの6時の気温、マイナスの0.2℃、氷点下である。気圧は1021.2hPa、湿度は67%、もう少しあったほうがいい。室温、6℃。これが普通だ。

  きのうは窓の内側だと、いっとき18℃くらいあった。それに比べると、12℃ほど下がっていてこれは寒く感じる。灯油ヒータの温度センサは、3℃だった。もう少し暖かいか、と思ったが、すぐに真冬に逆戻り。ブルブル、寒さで震える。しかも外は氷点下。きょうが完全に晴れていたら、もっと寒くて、大いに震えた。きょうがうす曇りでよかった。
  
  新聞っと思って、そこに何もないことに気付くとほぼ同時に、きのうは、別刷りのTV・ラジオ欄があったことをすぐに思い出した。新聞は休み、それから外に出たが、雲が多いこと、思ったより雲は多い。その中で明るい星がちらちら、それを見てすぐに建物の中に戻る。バタバタ、という感じでいかない。ドタドタという感じで時間が進んで、やかんから湯気が出る。水の量が少なかったようだ。パック入りのお茶を、やかんに入れて、しばらくシュポシュポやるが、同じものを長く飲み続けると、何となくだが、口の中にそのお茶の妙な味が、特に朝に、残るようになったが、しかし、他のに変えるとそれがなくなった。でも、次は、またその妙な味の残るほうだ。

  もう十分明るいが、外は恐らく0℃前後。すでに、北アルプスの山々が白くなって見えていて、その上が少しだけ、紅色に染まっている。わずかな朝焼けがある。今日はこれから天気が悪くなるのかどうか、これも天気情報を聴いていたと思ったがもう忘れている。