光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

寒風・青空散歩

2009-02-28 18:55:41 | 散策
  空の明るさがあり、日も出ている。きのうは日が出ている時間はなかったような感じがしたが、これが間違い。ちゃんと夕方、その明るい、まあるい、光の玉があった。これなどは、写真を見て思い出すことになる。でも、きのうの夜は、星空はなかった。
  土曜日はこのところずっと雨か雪というお天気で、これも何かの巡り合わせというか、しょうがないことで、その逆というのも当然ある。忘れているだけであって、それで印象が深い。今日は晴れだが、しかし午後から風が強く、この風は海に近いほうだともっと強いだろう。住んでいる場所によっても、またその風の強さは違う。今風が、また花粉を運んでいる。これはもういいか。

  ごろごろする時間は終わった。風の子でもないけれど、外に出てお日様に当たらないとというときでもないが、今日くらいは多少は日に当たったほうがよさそうだ。目からくる明るさが、体の動きにも影響を与えるだろう。多少は弱っている体だが、もっと傷んでいるかも知れないが、それはそのときで、歩くのは日常のもっとも普通の運動だから、これには特に問題はない。それよりも注意力というか、回りの変化にちゃんと対応できるような機敏さはこれは要求される。車が来る。体をどけるスペースのあるところに急ぐ。信号を渡るときは、左右だけではなく、前後も見る。後ろから来ている場合がある。こうゆうものを判断できないと、危なっかしい散歩になる。時代から、のんびり感は大体なくなってしまった。
  もっとも、ミニカメさんを持つこと自体も、何かにせっつかれているようで、ほめられたことではないだろう。この辺りは苦しいいいわけが続く。

  いつもの道を行く。時も変化するが、道も変わり、地面も変わって、また建物も変わり、人も変わる。時代は否応なく変化を要求する。で、そのことに気付くことなく、あるとき、ふとこんなことがあっていいのか、自分の年齢を知って驚く。いつの世も、ウラシマさんはいる。いやーな感じが誰にでもあるが、しかし生きている以上、若返ることはなく、また長く生きれば生きるほど、老化の長い階段を歩かないといけない。なんとも背反するものがある。それに、気を取られすぎてもだめ。またそのことを考えなさすぎるのもだめ。いつか、そのときは来る。しかし、この覚悟は、出来ません。こんなことを考えるのを止めるために、寒風下の青空散歩はある。
  
  オオイヌノフグリが、さらにまたその花弁を増やしている。驚くべき生命力で、この花は疲れを知らない。小さな青い花をいくつも咲かせて、しかし枯れることはないようだ。特に、種を播かなくても、いつでもどこにでも咲き誇っている。もっとも、よりたくさんの、オオイヌノフグリの咲く場所がある。大体が、日当たりがいいところ。もっともなことだが、この花がなぜこれだけ辺りに謳歌するのか、それもよくはわからない。

  ここを見ていると、梅の花もあるが、今年はここの梅はまだチラホラ、そこに赤い、小さな虫がいた。テントウムシで、ナナホシテントウのようである。チョコマカよく動く。これを見つけると、ようやく虫の世界も春が来たと思う。もっとも、テントウだと、1月でも暖かいと、また晴れると、その辺りにいるのが普通。今日は、もう一匹もすぐに見つかった。でも、何を食べているのか。で、花の葉っぱの写真というと、何も葉っぱ以外は写っていなくそうに見えて、実は小さな虫のようなものは、よく見かける。すると、アリマキもいても不思議ではない。テントウの、チョコマカと動く姿を見て少し元気になり、遠回りもして帰ってきた。

  でも、なんだか、目が痒い。それに鼻もやはりグズグズ。もう花粉のことは、書かないのだった。でも、やっぱり帰ってくると、いろいろなゴミというか、塵というか、そうゆうものにもみくちゃにもされているという感じは強い。若いときはこんなもんは、まったくなかった。最近は、もう地球温暖化は決まったこととして、その対策が日常になりつつあるが、昔の公害といったものはさておいて、地球環境はきれいかというのは、なんだかあまり言われることはなくなった。温暖化も、この汚れと大いに関係があるのだろう。温度だけではなく、環境全体に注意を払わないといけないが、
  それとこれとは、少しあるいは大いに論点が、違うかも知れない。きれいな、というものの本質はむつかしい。




  空に向かって咲くオオイヌノフグリだが、その先の空も明るい。
  中央少し右に、黒いのと赤いのの丸いものがあるが、これがナナホシテントウで、しかしこのときは気が付いていない。




  テントウムシの動きは早い。これを追うように、カメさんも動かす。下に見える白い中央が黒い小さな点が、ナナホシテントウ。




  それより、やはり、オオイヌノフグリの青と、空の青のほうが、よかったようだ。爽快である。




  順序でゆくと、次はアネモネ。この紫というか青紫の花は、まだ小さい。




  タンポポも今は探さないとなかなかない。ようやくあった三兄弟のうちの、真ん中。




  その脇に、冠毛もある。少しほっとする時間である。

オウレンの花と、光と

2009-02-28 16:30:25 | 植物・花(冬)
  北風で、晴れ。快晴は朝で、今は薄い雲がある。
  西の空は、春霞がかかっているが、これが霞か、舞い上がる
  細かい塵か、あるいは黄砂か、はっきりはしない。
  段々と視界が悪くなって来ているのは、事実。
 
  なかなか落ち着いた晴天は続かない。
  外の風が少し強い。強くなってくる。
  すると、暖かそうな空があるが、実際の感じは、結構に寒い。
  少し早足になって、それで、風の来ないところを探して
  そこで、一服する。

  花粉は飛んでいると思う。この時期、空気はきれいな気もするが
  花粉症だとあちこち、ぐずつく。目といい、喉といい、それから
  頭全体がモヤっともしている。目玉も洗いたいくらいだ。
  だから、なんだか歩いていると、汚いものが纏わり付く感じも強い。
  散歩はいいものだが、同時に、汚れたというものも、一緒になる。
  おかしいかも知れないが。


  花はオウレン。




  光が当たると、なかなか美しく、これを撮る。一番むつかしいもの。




  光の束が大きいと、こんな感じ。これでもいいけど。




  明るいと、なかなか近づけないところのものも、薄っすらその様子がわかる。




  オウレンらしさ。




  近づけないものを、別の角度から。明るいとこうゆうことも出来る。




  目の前の、ぽつんとあるオウレン。ボケの程度。




  最低、2箇所くらいの、焦点域で撮らないと、全体はわからないかも。

晴れの土曜日

2009-02-28 06:44:32 | 散策
  朝のお天気、晴れ。ほぼ快晴、まもなく東に見える北アルプスの高峰の頂から、朝日が出そうで、まことに美しい景色がある。きのうとは大違いで、もしかしたらきのうは太陽の顔を見なかった。今朝は少し寒い、また風もある。アメダスの6時の気温、2.6℃、気圧は1022.2hPa、湿度、85%。室温、7.5℃、ほどほど。
  
  2月もおしまい。28日は土曜日だが、土曜の空はずっと曇りか雨だったはず。今朝の新聞はかなり厚く、郵便受けから引っ張り出すときの、感触が違った。それから、外にも出てみたが、空は晴れている。晴れて、星はというと、すでに明るさがあるから、わかったのは、うしかい座のα星である、アルクトゥルス、これ書くのはむつかしい、昔はなんか違う呼び名ではなかったか、くらいである。北斗七星ももう見えず、あと3週間に迫った春分が、これからはもう朝も明るいことを暗示する。星が見えるのもいいが、これからは、朝の光が満ちている時間に起きることになる。

  その前に夜があった。花粉はというとこの影響はある。しかし、鼻うがいも、普通のうがいも、また歯磨きもしていて、特に苦しいことはない。目の方はというと、これは顔を洗うときに痒い。それ以外の時間は、まだ大丈夫である。しかし、なにか鬱陶しいものがあるのは間違いない。
  夜中に起きるのは、普通で特に苦にもならない。またくせで、外を見る。きのうから今日にかけて、空を見上げる時間は何度かあったが、今朝になると、空が晴れているような感じがあって、しかし星はまったくといっていいほど見えない。雲がかかっていれば、これは無理だが、しかし見えてもよさそうな空である。しかしここは、雲で星が見えないとしておいた。こんなことで悩んでも仕方ない。
  夜の星はなかったが、朝の太陽が出て来たようだ。このほうが、どちらかというとありがたみはある。

  珍しく、土曜でしかも晴れた。2月はおしまいの日は、晴れで、これはよかった。なにかお願いでもしておかないといけない。