光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

あらためて、物の多さに思う

2009-02-15 18:43:58 | 散策
  たくさんものがあって、どうにもこうにもならない。そう思うようになって、かなり時間がたった。かなりというと、10年かも知れないし、あるいは、15年かも知れない。その昔は、ものはそこそこあったが、引越しでドカンとものを捨てたから、それを思い出すとあー、惜しいことをしたものだ、と思う。
  遠い昔、学校から離れるときには、これはもういらない、と思ってゴミ置き場に置いてきたノートとか、買った本。そうゆうものがあれば、と思うが、それもほんのひとときで、やはりなくて、あるいは捨ててよかった。それから引越しのときに、あげたものというと、例えばTVとかがある。
  逆に、TVはいりませんか、とかいわれたこともあるし、また机はどうですか、という話もあった。これは太っ腹ではなく、どうしようもないが、しかし、捨てるのにしのび惜しいという感情が昔はあった。だから、お金と関係なく、どうですかとなるわけで、今はありがたいと思う人もいれば、いやーそれは結構ですとなるわけだが、このPCはもういらないで、もらってもらえませんかと、いうものもありそうで、しかし、そうゆうものも今はいらない。
  いい感情というのは今も残っていそうで、そうでもない。

  山はといっても、丘陵のようだし、さらには学校の遠足にゆくような山であるが、これも最初の登りはきついが、慣れると安定した状態になって、不思議と足は上がる。どんどん急な坂を登ることが出来るようになる。こうゆう状態になると怖いもの知らずのようでしかし、その先に待っているものがある。下り坂。帰るとなると、坂を下る。これが結構にきつい。先ほどまでのハイなペースはもう戻らない。膝が笑うというが、そうゆうものでもない。体はふらつくし足は思うように前に下に降りない。人の体というと、登るのは楽なようで、下りはそうではないように出来ている。二足歩行の仕組みからいうと、使う筋肉も違うようだが、
  これが球体だと、これを押し上げるのはしんどい。歩く以上にしんどいし、背に背負うのが一番楽だ。もっとも、その玉は何かものにもよるが、下りだからといって手放しで喜んでいるわけにもいかない。そのものは加速して転がってゆく。ものすごいスピードになって、これもよろしくはない。結果は、丸くても、また人でも、高いところに登るのは疲れるし、また逆に坂を下るのも大変である。なにか変な気もするが、そのようであるようだ。

  人もまた歳を重ねる。若いときだと、もうご飯を何杯食べても太ることはない。それ以外におやつと称して、いろいろなもの、駄菓子をぱくつく。それでも、体重は変わらない。今はどうか、ご飯はほんの少しという状態でも、痩せることはない。もっとも、液体性のカロリのあるものは、噛まなくても入ってゆく。これがいけない。わかってはいるが、これをいただく。どうしようもない感じがあるが、いただいてしまう。これでは痩せるわけがない。

  天井を見上げると、そこそこ広いことがわかる。昔はあのくらいの広さがあったわけだ。そうゆう経験は何度もした。もの持ちでもなかったが荷物は増えた。今は、2階にいる。ということは、ここにあるもんは山道を歩くようにエネルギを使い、かつものを持って上がったということになる。もちろん、重いものは手伝ってもらったり、すべて任せたりした。そのあげくがこの状態だ。これだけ、よく持ち上げたものだ。そのエネルギを他のものに使っていたならー、どうなっただろうか。
  ものが増えて、それで窮する第一のものは、捨てるところもないし、あるいは置いておく場所がないということだが、それ以外にもうここからは運べませんというものがある。よくこんな重いものを持ち上げたものだ。昔は多少は元気だったが、それを下におろす気になれない。一度くらいは出来そうで、しかしもう一度となると、また山登りをしないといけないからだ。こうして、ものは溜まったわけだが、だが減るわけがない。

  なるほど、よくわかった。それにしてもこの先はどうなるか、簡単な方法というのは、ものを細かくして、軽くして、それから移動するというもの。
  ものは、なるべく持ち上げないほうがいいような気がするが、これもそのときにならないとわからないもの。後悔は必ずするようで、箴言が生まれる。

  
  ガタガタ、移動中である。でも、まだものを分解したところで、今日は終わって、青息吐息である。いくつかの白梅。




  なかなか、咲かないと思っていたある場所の梅の花。これもチラホラになった。チラチラでもチラホラでもいい。




  紅白の梅でいうと、この白梅は、木自身がかなりの古木で、途中に倒れないように支えがしてあるし、また幹に穴も開いている。




  だから中心部は、かなり密に花はあるが、周辺部はというと少し寂しくなる。しかしこの梅のよさはこちら側にあるようだ。




  枝の様子が見えるものを選んで、それもだんだんと遠くから見る感じで、この梅の木の状態をうかがう。
  どのくらいの年月を生き抜いてきたのか、梅の木の寿命というのも知らないが、100年くらいはたっているのではないか、と思ってみたりもする。

暖かで、春の花は開いた。

2009-02-15 16:34:09 | 植物・花(冬)
  朝は少し寒かったが、その後ほどほどの暖かさ。
  午前は晴れだし、気温も上がった。

  外歩きをどうするか、考えていたが、
  この天気だと、やはり持つものを持ったほうがいいようで、
  しかしいざ一歩外に出ると、雲も風も出てきた。
  あまり期待は出来ないなー。

  風が強ければすぐに帰ろう、と思う。

  いくつかの花。




  かなり近い、ツバキ。ユラユラ揺れる。




  紅梅をめざして、早や足になる。あー、とか、おー、とか、いう溜め息が出る。
  咲き出した花は多い。しかし、空気が乾いていて、気の毒な面も。


  

  白梅はチラチラの木。




  一転、黄色いスイセンを見つけて接近する。背が低いので、カメさんを
  適当に花に向けての一枚。向こうの方は、あまり見ないでというもの。




  さらににぎやかな、オオイヌノフグリ。これも、
  機械を地面に這わせるようにした。
  明るいと露光時間を短く出来て、ブレもさほど心配しなくてもいいみたい。

晴れの空と、白い月

2009-02-15 06:54:08 | 散策
  朝のお天気、晴れ、たぶん快晴に近い空で、白い月が美しい。風もなく、穏やかなお天気で、きのうの気象情報とはかけ離れたもの。快晴の青い空と書こうとした。が、空が若干黄ばんでいるようで、黄砂の影響があるのかも知れない。あれだけの風が吹くと、その可能性はある。アメダスの6時の気温3.4℃、気圧は1014.6hPa、湿度は88%。室温9.8℃、これもまだ暖かい。

  きのうは夜になって、その頃から空は晴れだしたようで、でもそのころは、チラッと見て終わった。多少は風も冷たくなる。体も痛いようで、探し物をしている。こんなものはないか、そうゆうものを探すと概してないもので、当てが外れた。なかなか自分の都合のいいものは出て来ない。
  PC関係のハードも調べてみる。本体だと、大体、4つか、5つかのところ。あーここの会社は、どこどこのメインボードを使っている、ここの会社は、あれれ本体だけ扱っていて、その他の諸々はなしか。最後は昔から馴染みのところとなるけれど、どうも不況の風をもろに受けているようで、痛々しい感じもある。世の中、弱肉強食がここまで進むと、生き残りはむつかしい。チャンスはピンチであり、ピンチはチャンスだとか思うが、現実はそうではない。それにしても、だんだんと、取り残されてゆく感じがする。わからなくなってゆく、世の様々な物事の変化。

  眠って起きてを繰り返す。きょうも朝が来た。空を見ると、月が見えている。久しぶりの月で、その月のお腹はというとまだ少し膨らんでいる。下弦は、国立天文台の暦のページによると、17日の6時37分である。まだ少し時間がある。ちょうど月も春の星座に移ろうとしている。今朝の月は、おとめ座のスピカのもう左にあったようだ。朝に、これまた久しぶりの星空を眺めるが、すでに少し明るく、また月の明るさがあって、もう星も消えゆく時間になる。

  十分に明るくなって、先ほど黄色く見えていた空も今は、明るさが勝って透明に近い薄い青空がある。水色に近い青空で、また太陽が出そうなところは橙色である。今日は、晴れ、今は文句のない晴れで、これはいい感じである。