光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

梅雨のようなお天気

2009-02-25 19:03:46 | 散策
  あちこち痛いところが出ると、なんだか世も末のような気もするから、不思議である。もっとひどいというか、腰痛のときがあったが、それも忘れての今がある。今日のお天気などは、まるで梅雨の空ではないかとも思えるくらいで、なんだがジメジメとし、憂鬱でもあり、神経質になる。つまらないことにこだわりを感じたりする。

  腰が痛いのが、これはお散歩カメラの問題もある。座ったりもすると、あちこち体が悲鳴をあげたのだろう。それから、きのうはもう宵も半ばという時間から、晴れ間が出たから、ずいぶんと慣れないこともやった。結構くたびれる時間でもあるが、立ちっぱなしから、疲れてきて、膝を折り最後は、膝も完全に曲げて、正座の感じにもなった。こんなことをする予定もなかったから、その後に結構体のあちこちが痛んだようだ。体は正直で眠ってると、大して痛みもないが起きると段々じわじわ痛いところが出てくる。

  右利きであるから、右手を酷使する。いつも力を入れるのは右手で、なぜ右利きがあり、左利きがあるのかこれも不思議だ。重いものも、それは灯油のポリタンクであったりもする、またこの右手で持つし、また重さがないようなボールペンも右手でしか持てず、しかしキーボードだとときどき左手が活用される。こんなことを考えていると、左手の動きが妙にもなる。マウスを使うしか脳がないというか、キーで操作出来ないことが多く、このマウスをコントロールするのも右手全体が痛むような気がして、弱っている。

  人の臓器などで、一つしかないもの、それの代表が心臓であったりもするが、左右平等に働いているはずの臓器もあるはずで、右だけの肺臓が呼吸機能が高いなど聞いたことがない。左の腎臓だけが血液の濾過作用が劣るというのも聞いたことはないが、違いがあっておかしくもない気がしてきた。でも、左手で文字を書けとかいわれると困るだろうな。ギターという楽器があるが、左利きの人はどうなのか。同じく、バイオリンなども、どうも弦を押さえるのは、左手で、弓を引くのは右手のようだし。
  そんなことよりも、いつのまにか、それまでなんともなかったことが、例えばポリタンクを右手で持ったくらいで特に違和感が残ることもなかったわけだが、それが段々顕著になって、痛みも増すような気もしている。これは左手で持てないわけでもないが、ものをおいている場所でいうと、右手が使いやすい。

  ときどき、「ばたり」というような音がする。あまり気にしないようにしている。何かが落ちた感じはあるが、予想が付かない。これ以外にも、もっと大きな音がしてびっくりするときがある。鳥が窓にぶつかるときが、これがたまにある。過去に2回はあった。10年に一回はある勘定である。その他、なかなか予想出来ない音もする。建物の木がきしむ音というと、これはかなり頻繁にする。それには慣れている。その他近くで工事があれば、それも土を重機でほじくるもんだと、いえも揺れるのでこれは地震ではない。安心だがよく揺れるいえだと思う。どうなっているのか、わからないが、揺れるのはたしかで、砂上の楼閣という感じがないわけではない。音が原因となる不可解なものの話しだが、ようやく何がその原因だったというのが、わかった。

  PCの電源に差し込んでいる、その電気コードを持ち上げている、ボール紙で作った、支え、ブリッジみたいのが、その支えというか、ボール紙で作った橋が落ちて、そのコードがずさっと床に落ちたのだった。PCの後(うしろ)というと、何もないようで、これは広告などの場合は見るとよくわかる。実に整然としている、美しささえ感じる。TVなどもそうだが、これが実際となると、そのコードの絡まり方はどうだろうか。
  2台のPCで、PCの電源が二つ、それとモニタが一つ、他に音源だの、USB関係の外部ディスクなどを使っている。この中に、切り替え器というのが入るから、マウスとキーボードの全面のコードは二本だが、PCからはビデオ、それにこの二つで3本、それが2セット。これを経由して、モニタにつながる太いケーブル。音源関係は、右と左があって、それに電源。いくらコードがあっても足らない感じだ。ルータにゆくネット関係のケーブルが、PCに二本、それとモデムにゆくのが一本。ルータの電源が一つ。これにラジオが加わる。いったいどうなっている。USBだって、カメさん用もある。汎用性があればいいが、ないものもある。こうゆうものが後ろに前に出ていると、いつの日か「これはおかしい」と思うときが来ないか。
  神経質でなくても、いったいにこれはどうなっているのか、ある日突然思う。こんな状態でいいのだろうか。

  ガタっという音をたてて、落ちたものの原因がようやくわかったが、PCの後というものを今あらためて見てみると尋常ならざるものがあって、慄然とする。
  これも、原因は、恐らく腰の痛みから来たものではないか。体は鍛えればいいというものでもなく、でも、体を動かさないと何ごとも進まないというか、生きてはいけない。なんだか、結構憂鬱感が増して来ている。
  これも、梅雨のような雨の天気にも原因がありそうで、これはやはり晴れの天気に越したことはない。また、しかし私は思う。

  こうゆう憂鬱感に浸り、そこにあるものを見て唖然とするのも、この梅雨のようなお天気があるから。これがないと、PCの後というものはもっとひどいことに、押しなべて、ここの部屋の中は、なんだか「もの」で、がんじがらめにならないか。  
  憂鬱でもあり、見直しの時間でもあったが、何も変化はというと、今はない、腰が痛くてねー。


  お散歩写真の続き。




  こんな花があるのも、お店やさんだから。ときどき借りている。




  典型的な、お散歩モード。




  ぷちぷちしているのは、梅の蕾。イガイガしているのは、柿のへた。鳥の食べた痕。




  去年の11月ころから、こんな感じの、暖かさと太陽光を待つ、ハクモクレン。




  蕾はまだ、硬いようだ。




  ユキヤナギ。白い花が、ポツポツと咲いているが、ほとんど意識しないとわからないくらい。この花が咲かないと、春が来た感じはないのだが・・・。 

ドングリお天気

2009-02-25 16:25:16 | 散策
  朝は暖かだった。雨で、気温も下がらず、しかし風は
  その後ゆるい北風に。
  しばらくして雨は止んだが、気温も上がらないし、日も出ないから
  寒いというしかない。

  ネコがときどき唸り声を上げている。あー春が来た、という感じだ。

  そんなことはまーどうでもいいが、腰の辺りがちょっと無理な
  格好をするとピリピリと来て、これが痛い。
  そうゆうことが多いが、大体午前中で直るものだし
  また歩いたりもすると直るもんだが、うまくゆかない。

  まだピリッいう痛みがあって、これは、歯が痛いのと同様、
  どうにもならないものである。
  

  曇天である。曇天と書くのもしゃくのようで、ドングリのお天気に
  してみた。

  ルーリン彗星(C/2007 N3)が見えていた、2月24日も、朝から
  夕方までは、曇天だった。




  朝はまだ明るい曇天。




  南の空だと、まだいくぶん青空もある。この時間だとまだ
  晴れといってもいい感じである。1枚目と感じがずいぶん違う。




  西の空。こちらも薄曇りで、青い色もある。
  春らしいお天気かも知れない。




  夕方である。日中の一時、一度弱い雨も降ったし、また天気の回復は遅れる
  というものだった。




  この画像を、他のも交えて見ていると、雲が南西から東北の方向へ、
  回転していることがわかる。もしかしたら、晴天域も現われるかもと
  思ったのも、このとき。

  この雲が、奇跡的というか、その後に切れてきて、
  宵の時間も遅くなると、雲そのものが少なくなって、
  星空が現われた。 

雨の朝は、暖かである

2009-02-25 07:02:37 | 星空・天体・宇宙
  朝のお天気、結構激しい雨。雨が降り続いていて、この状態でそとに出ると、傘を差していても時間の問題でずぶ濡れになりそう。ただし、風はほとんどなく、またさほど寒くは感じない。暖かくはないのはもちろんである。アメダスの6時の気温、8.8℃、この温度は高い。でも、室温も9.2℃あって、差がない。気圧は1012.0hPa、湿度は96%。室温は書いたとおり、9.2℃で、今はそれよりも高くなっている。
  
  2月24日の、夜のルーリン彗星(C/2007 N3)について。

  2月24日の、朝のルーリン彗星は、午前3時ころその少し前に、双眼鏡で土星と一つの視野に入って、ほぼその存在を確認することが出来た。で、その後のお天気はよくない。昼過ぎに小雨。その後もずっと雲がひどく、これはきょうは、もう星も出ないだろうと、思っていたが、
  2月24日の、午後も8時を過ぎるころ、偶然に窓から外を見ると、白い雲以外に黒い部分もあって、これがもっと濃い雲なのか、あるいは晴天域なのかわからない。また、目も暗さに慣れていないから、はっきり星を捉えられない。でも、明るい星がやがて目に入ってくる。

  これはもしかしたら、2月24日は、朝と、夜の2回ルーリン彗星(C/2007 N3)を見ることが出来るかも知れない、と思うことは特に不思議ではない。
  まずは外に出てみた。すぐに、黒い空が晴天域であって、天頂辺りだとかなりの透明度の良さがあって、これを双眼鏡で眺めるとなかなか見栄えがする。今までにない興奮感がある。今の時間だと、しし座はちょうど東の空にもう上りきっているだろう。そう想像する。もとに戻って、こんどは南の空を窓から眺めると、シリウスやら、オリオン座の三ツ星なども見えていて、これはもしかしたらという緊張感が増してくる。ただ、雲の動きが非常に早い。肉眼で空を見ていると、星が異常な速さで空を動いているようで、この錯覚はひどい。しかしその星は、また雲が切れれば見えてくる。
  双眼鏡でみると、7倍、口径は3.5cmだが、こんどは星は動かないが、雲の動きが激しくこれが見えたり消えたりするとなんだか船酔い状態のようにもなって、あまりに気持ちのいいものではない。なかなか、ルーリン彗星との再会もむつかしい。
 
  土星もすぐに見つかった。自分としては手際がいい。それから、しし座の様子もわかってきた。朝の3時だと、しし座は地平に水平か、右側にししは傾いている感じだ。このときの彗星の動きはほぼ並行か下向きだが、
  今のというと、午後の8時半ころだったか、しし座は地平から出きっていて、ししは立っている。すると、彗星はほぼ垂直に上の方に移動しているように見えるはずで、この星は移動が激しいが、7倍の双眼鏡だと、まだ土星とは同じ視野の中に捉えられるはず。細かい星も見えるが、背景の明るさが、朝とは違って、かなり明るいともいえる。地上の明りも影響があったりもするし、大気の状態の安定性の問題もある。晴天域が長く続く感じになって、彗星を見分けるにはいい感じだが、しかしなかなか、これっと言った確証は得られない。薄い雲と変わらない光芒である。
  雲は動く。かすかな白い雲も動く。しかし土星よりは、地平からの高度がより高いところに、かすかな、またほぼ不動の明るいものも見つけて、これがルーリン彗星である可能性は高い。だが、完全にこれだとは言い切れない。

  もう1時間くらい時間がたって、またしし座はまだ地平からはさほど高くなく、これ以上の条件の改善はすぐには望めず、観望を中止。足腰にかなり来た。見上げるものではないから、首の痛みはなかった。

  ということで、2月24日は、もしかしたら2回、ルーリン彗星を観望出来たかも知れず、これは幸運としかいいようがない気もする。お天気も微小領域では、晴れ間も出ることもよくわかった。
  その後、かなり時間がたって、また自然と起きるときに窓から外を眺めるが、いずれも雲がひどい状態で、その後に雨が降ったようだ。

  こんなこともあると、ルーリン彗星(C/2007 N3)は、少しの間記憶の一隅に残ることになる。