光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

名のみの春でも、嬉しい

2009-02-06 19:00:05 | 散策
  寒いときもあるが、ホッとするときもある。
  思いもよらないことで、いいことというのはまずはない。財布を落とした、とかいって戻ることはなく、大してお金を入れてなくて、お金だけ入れておいてよかったと思うのが、今の時代。ケイタイ落として、とかいう電話が、話しの中にあったのだろう。まるまるちゃん、ケータイ無くしたんだって、そうゆう話しを間接的に聞くこともあった。まったく、本人はさぞかししょげているだろう。色々な情報が入っているものが増えた。便利なようで、その反作用もあるもの。

  何でこんな話しになるのか、自分でもわからないが、色々ものを持って歩くときが必ずあるが、その数が増えすぎて、往きはいいが帰りは怖いということも増える。財布に、それから、通帳に、印鑑にという感じ。それなら、お財布ケータイでともなるが、こうなると、どっちもだめということになる。まずは頭に叩き込まないといけない、印鑑には、種類があって、認めとそれと銀行印と。それ以外に通帳に、こんどはカード。これは使わないことに決める。たまに手動で入金する。この作業も重要である。自動にしておくと、いつまでもお金が引き落とされる可能性もあって、まずは一つくらいは自分で、入金して、銀行員の方の、少しだけ白い目にさらされる、そうゆう気分を味あう。嫌だけど、やらないといけない。残高照会だって、ばかにはならない。こうゆうものに興味がなくなると、少し危険信号がともる。
  お金に細かいことはいいことで、たまにお店で、1円ないけど、いいなど聞く。それから、ときに、どう見てもレシートに打たれていないものが、一点だけあって、これは200円に2円足らない数字だが、やっぱりこんどお店に行ったときに、打ち忘れがあるようで、この分を払います、などとも言う。善人にような感じの振る舞いだが、そうとは限らない。それにしても、なんでこんなことを書くのかなー。

  一つはお金も含めて、出かける前にあれとこれを持った、帰って来て、あれ、あれがない。あれ、お金がどうも合わない。所持金から使ったお金を引くと、これだけ残っていないといけないが、それがない。おかしい。こうゆうことが多くなるからで、これも何かの練習のようなもので、また細かい文字を書いたりするのも、これも練習のようだが、役に立たないこともある。
  昔は、と言っても色々年代があるが、こんなことを気にはしなかった。が、こうゆうことを気にするのも、何ごともこれまでよりはうまくはいかないということを実感するからで、これからもこのことで、あーだのこーだの、もめることは多いと思う。これと、のんびりと生きるというのが長生きのコツです、というものは矛盾しない。しないはずである。確信している。

  春だなと思うと、春のことばかりがタイトルに出たりする。少し前は雪だった。夏も終わると、雪かきのことを書いたりもした。その雪が、このところ降ってはいない。でも、降るだろうなー。これが長続きすると、周章狼狽することは間違いない。で、今はまだ2月だが、なんだか春のような気もする。春のようなお天気ですね、そういえばきょう聴いていたラジオでもその話が一番だった。そういわれると、春だとかばかり書いている。でも、風は冷たい。思いの外、冷たい。
  春というと、ここでは梅ではなく、やはり花粉症。これで決まり。きょうも、その辺りを歩く機会があったが、どう見ても杉の茶色い色の目立つこと。外に出て、それも医院であったから、帰って来てまずは手を洗い鼻うがいをする。手が荒れるが、手洗いと鼻うがい。そうして、専用のタオルで手を拭いたりすると、クシャミが出る。あれ、花粉症に鼻うがいは効かない。そうゆうわけではないと思うけど、くしゃみが出る。間違いなく、花粉は飛んでいる。
  
  それで、寒風の中、それと珍しくまた一旦引っ込んだお日様が出て来て、ついでにフキを探す。この前のフキである。これがない。見つからない。オオイヌノフグリは、花弁を開いていた。しかし、フキはどうした。ここでも、ものを探す能力が落ちていることを知る。

  色々まとまりのないことを書いた。これが、大体春であることの証しのような気がする。これ以外の辛気くさい、湿っぽい話しは避けないといけない。またそのうちに出るだろうけれど。
  



  小さな花を見ていても、春だなと思うものはある。そう思った。こじつけもあるが。




  さほど大きな用水ではないし、水が流れている感じはあまりないが、ここに光が当たると、このような絵柄が出来て、目に太陽光が入らないようにしている。
  これも、小花のようで、また雪融けの春を思わせる時間。




  もう一枚。春の光る虫。




  小さい花弁を持つこの花。タネツケバナではなくて、なんだかはっきりしない。




  こっちのほうがよくわかる。かなり接近している。それに耐えられる美しさを持つ、冬か春かの、小さな白い花。

春の風は冷たすぎる。

2009-02-06 16:32:21 | 散策
  春の明るさがある。明るいときが、このところ 
  続いている。暖かいときもあったが、今はというと
  やはり冬の寒さである。
  耐寒性が落ちた。少しだけポカポカしている、
  そうゆう温室からパッと外に出ると、この感じが強い。

  ほこり、塵芥、というものがなぜ、あんなに溜まるのか。
  探し物をやると、あちこち綿ぼこりだらけ、というのがよくわかる。
  自分もほこりでまみれる。
  それから、これだけものがあると、床が抜けるという感じを
  さらに強く持つ。

  探し物、個人的なことだが、どうゆうわけか、PCのメインボードの
  使用説明書、というのが、こんなところという場所に
  チラッと見えた。
  もう見つからないと思ったら、あった。
  春の風で、ゴミをはらった。この風の冷たいこと。


  色々としかいえないもの。




  日陰の、ツバキ。ブルッと震える寒そうな風に、揺れる。




  一度出た、オウレン。同じときのもの。




  これは、一回目とまったく同じ花だが、時間が少しだけ、後である。




  ちょっとやんちゃな、水玉と光玉。これも一度出ている。




  苔の様子。まだ雨が残っていたかも知れない。まるで、ミカンの細かい
  房のような形。

春雨か

2009-02-06 06:51:45 | 散策
  朝のお天気、今は曇り。きのうの宵の時間、遅くから雨。きょうになってもたぶん雨。少し予報と違う。外に出てみると、星も見えていて、思ったより天気はいい。アメダスの6時の気温、4.0℃、気圧は1021.4hPa、湿度87%。室温、8.2℃。

  まだ眠いようで、灯りをつけていても、うとうとする。雨の音はしかし聞こえない。ちょうど目覚ましの音が一回鳴ることをたしかめて、スイッチをオフにした。雨のことは考えていないがあっさりと止んだような感じから、春雨。何か他にも意味ありそうな、意味ありげな言葉。

  春の雨は春の雪よりは、いい。さらに夜の時間降って、朝の早めに上がると、雨上がりの星が見える。これが最高で、ここには、ゴミはない。PCが壊れると、ずっと動くとばかり思っているから、いろいろとやることと考えさせられることも多い。しかし、でるのは愚考で、また愚行のようだ。まったく弱ったものだが、PCが壊れたら、どうするというテーマは面白そうだが、しかし理屈からいうと、壊れている限り、書き込みも出来ず、矛盾している。

  物置がある。まさか、ここに必要としているものが、移動している。そんなことはないはずだが、まーたまには、シャッターを開けてと。このシャッターの重いこと。もともと重い。開けないからさらに重い。開いた、腰が砕けそうになる。しばし辺りの様子をうかがう。中は、当たり前だが、ゴチャゴチャで、ゴミがよくこれだけたまったものだと思う。これではネズミもヘビも、また「お化け」も棲まない。勇気ある、おばかな人だけがここに探検に入るが、昔はもちろんもっときれいだった。
  探し物はなかった。古い雑誌の上に、去年の、つまりまだ新しい雑誌が積まれている。鉄道もの、写真のもの、また、PCのハード関係のもの。さらにものすごい、昔のものもある。1960年代の、『天文ガイド』、姉の見ていた『ミュージック・ライフ』、嘘のような本当の話し。

  空の明るさは、あまり変わらないが、雨はもしかしたら、もう降らないかも知れない。今日は、誰かさんの薬を取りに行ってと、それから食べ物も買って、でもコーヒーの粉は、もうないままでもいいか。