寒いときもあるが、ホッとするときもある。
思いもよらないことで、いいことというのはまずはない。財布を落とした、とかいって戻ることはなく、大してお金を入れてなくて、お金だけ入れておいてよかったと思うのが、今の時代。ケイタイ落として、とかいう電話が、話しの中にあったのだろう。まるまるちゃん、ケータイ無くしたんだって、そうゆう話しを間接的に聞くこともあった。まったく、本人はさぞかししょげているだろう。色々な情報が入っているものが増えた。便利なようで、その反作用もあるもの。
何でこんな話しになるのか、自分でもわからないが、色々ものを持って歩くときが必ずあるが、その数が増えすぎて、往きはいいが帰りは怖いということも増える。財布に、それから、通帳に、印鑑にという感じ。それなら、お財布ケータイでともなるが、こうなると、どっちもだめということになる。まずは頭に叩き込まないといけない、印鑑には、種類があって、認めとそれと銀行印と。それ以外に通帳に、こんどはカード。これは使わないことに決める。たまに手動で入金する。この作業も重要である。自動にしておくと、いつまでもお金が引き落とされる可能性もあって、まずは一つくらいは自分で、入金して、銀行員の方の、少しだけ白い目にさらされる、そうゆう気分を味あう。嫌だけど、やらないといけない。残高照会だって、ばかにはならない。こうゆうものに興味がなくなると、少し危険信号がともる。
お金に細かいことはいいことで、たまにお店で、1円ないけど、いいなど聞く。それから、ときに、どう見てもレシートに打たれていないものが、一点だけあって、これは200円に2円足らない数字だが、やっぱりこんどお店に行ったときに、打ち忘れがあるようで、この分を払います、などとも言う。善人にような感じの振る舞いだが、そうとは限らない。それにしても、なんでこんなことを書くのかなー。
一つはお金も含めて、出かける前にあれとこれを持った、帰って来て、あれ、あれがない。あれ、お金がどうも合わない。所持金から使ったお金を引くと、これだけ残っていないといけないが、それがない。おかしい。こうゆうことが多くなるからで、これも何かの練習のようなもので、また細かい文字を書いたりするのも、これも練習のようだが、役に立たないこともある。
昔は、と言っても色々年代があるが、こんなことを気にはしなかった。が、こうゆうことを気にするのも、何ごともこれまでよりはうまくはいかないということを実感するからで、これからもこのことで、あーだのこーだの、もめることは多いと思う。これと、のんびりと生きるというのが長生きのコツです、というものは矛盾しない。しないはずである。確信している。
春だなと思うと、春のことばかりがタイトルに出たりする。少し前は雪だった。夏も終わると、雪かきのことを書いたりもした。その雪が、このところ降ってはいない。でも、降るだろうなー。これが長続きすると、周章狼狽することは間違いない。で、今はまだ2月だが、なんだか春のような気もする。春のようなお天気ですね、そういえばきょう聴いていたラジオでもその話が一番だった。そういわれると、春だとかばかり書いている。でも、風は冷たい。思いの外、冷たい。
春というと、ここでは梅ではなく、やはり花粉症。これで決まり。きょうも、その辺りを歩く機会があったが、どう見ても杉の茶色い色の目立つこと。外に出て、それも医院であったから、帰って来てまずは手を洗い鼻うがいをする。手が荒れるが、手洗いと鼻うがい。そうして、専用のタオルで手を拭いたりすると、クシャミが出る。あれ、花粉症に鼻うがいは効かない。そうゆうわけではないと思うけど、くしゃみが出る。間違いなく、花粉は飛んでいる。
それで、寒風の中、それと珍しくまた一旦引っ込んだお日様が出て来て、ついでにフキを探す。この前のフキである。これがない。見つからない。オオイヌノフグリは、花弁を開いていた。しかし、フキはどうした。ここでも、ものを探す能力が落ちていることを知る。
色々まとまりのないことを書いた。これが、大体春であることの証しのような気がする。これ以外の辛気くさい、湿っぽい話しは避けないといけない。またそのうちに出るだろうけれど。
小さな花を見ていても、春だなと思うものはある。そう思った。こじつけもあるが。
さほど大きな用水ではないし、水が流れている感じはあまりないが、ここに光が当たると、このような絵柄が出来て、目に太陽光が入らないようにしている。
これも、小花のようで、また雪融けの春を思わせる時間。
もう一枚。春の光る虫。
小さい花弁を持つこの花。タネツケバナではなくて、なんだかはっきりしない。
こっちのほうがよくわかる。かなり接近している。それに耐えられる美しさを持つ、冬か春かの、小さな白い花。
思いもよらないことで、いいことというのはまずはない。財布を落とした、とかいって戻ることはなく、大してお金を入れてなくて、お金だけ入れておいてよかったと思うのが、今の時代。ケイタイ落として、とかいう電話が、話しの中にあったのだろう。まるまるちゃん、ケータイ無くしたんだって、そうゆう話しを間接的に聞くこともあった。まったく、本人はさぞかししょげているだろう。色々な情報が入っているものが増えた。便利なようで、その反作用もあるもの。
何でこんな話しになるのか、自分でもわからないが、色々ものを持って歩くときが必ずあるが、その数が増えすぎて、往きはいいが帰りは怖いということも増える。財布に、それから、通帳に、印鑑にという感じ。それなら、お財布ケータイでともなるが、こうなると、どっちもだめということになる。まずは頭に叩き込まないといけない、印鑑には、種類があって、認めとそれと銀行印と。それ以外に通帳に、こんどはカード。これは使わないことに決める。たまに手動で入金する。この作業も重要である。自動にしておくと、いつまでもお金が引き落とされる可能性もあって、まずは一つくらいは自分で、入金して、銀行員の方の、少しだけ白い目にさらされる、そうゆう気分を味あう。嫌だけど、やらないといけない。残高照会だって、ばかにはならない。こうゆうものに興味がなくなると、少し危険信号がともる。
お金に細かいことはいいことで、たまにお店で、1円ないけど、いいなど聞く。それから、ときに、どう見てもレシートに打たれていないものが、一点だけあって、これは200円に2円足らない数字だが、やっぱりこんどお店に行ったときに、打ち忘れがあるようで、この分を払います、などとも言う。善人にような感じの振る舞いだが、そうとは限らない。それにしても、なんでこんなことを書くのかなー。
一つはお金も含めて、出かける前にあれとこれを持った、帰って来て、あれ、あれがない。あれ、お金がどうも合わない。所持金から使ったお金を引くと、これだけ残っていないといけないが、それがない。おかしい。こうゆうことが多くなるからで、これも何かの練習のようなもので、また細かい文字を書いたりするのも、これも練習のようだが、役に立たないこともある。
昔は、と言っても色々年代があるが、こんなことを気にはしなかった。が、こうゆうことを気にするのも、何ごともこれまでよりはうまくはいかないということを実感するからで、これからもこのことで、あーだのこーだの、もめることは多いと思う。これと、のんびりと生きるというのが長生きのコツです、というものは矛盾しない。しないはずである。確信している。
春だなと思うと、春のことばかりがタイトルに出たりする。少し前は雪だった。夏も終わると、雪かきのことを書いたりもした。その雪が、このところ降ってはいない。でも、降るだろうなー。これが長続きすると、周章狼狽することは間違いない。で、今はまだ2月だが、なんだか春のような気もする。春のようなお天気ですね、そういえばきょう聴いていたラジオでもその話が一番だった。そういわれると、春だとかばかり書いている。でも、風は冷たい。思いの外、冷たい。
春というと、ここでは梅ではなく、やはり花粉症。これで決まり。きょうも、その辺りを歩く機会があったが、どう見ても杉の茶色い色の目立つこと。外に出て、それも医院であったから、帰って来てまずは手を洗い鼻うがいをする。手が荒れるが、手洗いと鼻うがい。そうして、専用のタオルで手を拭いたりすると、クシャミが出る。あれ、花粉症に鼻うがいは効かない。そうゆうわけではないと思うけど、くしゃみが出る。間違いなく、花粉は飛んでいる。
それで、寒風の中、それと珍しくまた一旦引っ込んだお日様が出て来て、ついでにフキを探す。この前のフキである。これがない。見つからない。オオイヌノフグリは、花弁を開いていた。しかし、フキはどうした。ここでも、ものを探す能力が落ちていることを知る。
色々まとまりのないことを書いた。これが、大体春であることの証しのような気がする。これ以外の辛気くさい、湿っぽい話しは避けないといけない。またそのうちに出るだろうけれど。
小さな花を見ていても、春だなと思うものはある。そう思った。こじつけもあるが。
さほど大きな用水ではないし、水が流れている感じはあまりないが、ここに光が当たると、このような絵柄が出来て、目に太陽光が入らないようにしている。
これも、小花のようで、また雪融けの春を思わせる時間。
もう一枚。春の光る虫。
小さい花弁を持つこの花。タネツケバナではなくて、なんだかはっきりしない。
こっちのほうがよくわかる。かなり接近している。それに耐えられる美しさを持つ、冬か春かの、小さな白い花。