光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

いい月夜

2008-02-25 07:10:54 | 散策
  朝のお天気、寒すぎる、それで、晴れ。風は弱く穏やか。アメダスの6時の気温、マイナス1.9℃、寒い、まずい、ってな感じ。積雪、2cm。室温3℃、新雪が薄っすらある。

  きょうは起きる回数は少なかったが、今度は鳴るはずの、目覚ましのその時刻が気になって、何度も起きる10分前から、その時計を見た。さっきから、3分はたっているだろうと思うが、時計の針の位置は変わらない。おかしい、何かがへんである。そう思ってついにライトを付ける。布団から手を出すのが嫌になるくらい寒い。時計の針は、光を感じて、インテリジェントなのである、さくさく動き出した。10分間の間に、10回は時計を見て、カチッという、前段階のシグナルをようやく聞いて、起きる。
  少し明るい。日の出の時間を、国立天文台の暦のページで見る。これは今の作業であるが、6時28分である。なるほど、少し明るいわけである。それから温度計を見て、3℃かとつぶやき、ブルブルっと来る。なぜか、売れ出したときは暖かかった芸人さんを思い出す。その方は、裸に近い格好で出ていたがさすがに、人気が出て、冬に、真冬になると、寒さに耐え切れずついに服を着たいと思うのは当然であって、しかし、今はどうなっているのか心配でもある。きっと、今の自分より寒いはずであるが、もう少し、先のことを考えてもよかった。透明の防寒着くらい用意しておくべきだった。

  明るいが透明度もよく、念仏のように、金星と木星の姿があることを書く。それで、ふともう一つの窓を見ると、今度はかなり高いところに、お腹の丸みが少し小さくなった、月が、そこにあった。満月を見てからだから、ちょっと久しぶり。この星も、丸くなったり、太陽を隠したり、色々な遊びをやってくれるけれど、最も人の生活にかかわりが深く、目で見ることの出来る、その表面までわかる、唯一の天体であった。この星に惹かれる人は多く、また芸術家や科学者も、この星を眺めて、様々な感慨をもよおしたことだろう。今くらい、この星が眺められることの少ない時間はないような気がする。月探査衛星ではわからない、そこに肉眼でしかわからない月の謎めいたものが、あるはずで、しかし如何せん寒すぎる。昔の人はこれを見て、凍えつつ声を発して、それを紙に書いたのではないか。

  手が完全にかじかんでしまった。チメタイのである。今月は、29日までしかない。無論、去年は28日までであった。1996年も、2月は、29日までしかなく、しかし、2000年は、2月は、なぜか、28日までしかなかった。したがって、1996年2月29日生まれの人は、2004年に初めて、一回目の誕生日を迎え、今年2008年に、2回目の誕生日を迎えることになる。

寒さと花粉とが一緒に

2008-02-24 19:02:01 | 散策
  かなり寒い、おー寒い。やっぱり寒さは新鮮で、なかなかもう慣れたという具合にはいかない。これはわかっているのだが、人の体温が36℃前後というのも困ったものだと、一瞬思う。20℃ぐらいでいいんではないか。変温動物もいることだし。彼らだってちゃんと生きていける。寒くなって、凍るような時間は眠っていればいいのだし。それで、その反対の方、暑さでゆくと、人の体温ほども気温があれば、これは、青息吐息で済みそうにない。が、これくらいの気温に慣れている方も世界にはおられる。
  どの辺りが、この辺りの、北緯35度前後の地域で住むのに適した体温か、それは何℃くらいのものか、なかなか難しい問題である。ある人は、寒いときは、暖かい方へ、暑いときは寒い方へ、これはへんかも、行かれるようだが、これまた大変である。体温が、なぜ今の値なのか、これって何で決まっているのだろうか。

  相変わらず、ぼんやりとしたことを書いているが、寒さはコタツの中でも同じだ。コタツの中の温度設定は、「強」になっている。なってはいるが、それでいても寒い。ここは、一応は建物の中である。耐寒性のなくなった自分の体は、今さら取り替えるわけにもいかない。ここは、やっぱり、寒いときはより寒い方へという、一種のおまじないのようなことをやらないといけない。ひどいときはそれほど続かないが、その吹雪はかなりなもので、地響きを伴うようにも思える。この紙と木で出来ている家も、その吹雪で揺れるのである。揺れるからいい、というのは、こんな程度の吹雪では当てはまらないものである。おっかない。
  それで、まだ少しうつむきかげんで、ポツポツとお昼過ぎの時間、歩き始めた。傘を差すことは差すが、これは空から落ちて来る雨、雪を避けるためではなく、あちこちに積もった雪が溶けて落ちる、その水を避けるために、意味があるようだ。また、地面からの、放水もかなり勢いがいいが、さすがにその方向に傘を向けるのは止めた。そこを避ければいい。ひらけたところに出てみる。雪雲は、少しおさまり、青空も見える。雪の量は少なめ。これは幸いである。この朝に雪が積もっていたら、はたして雪かきをやっただろうか。もう、勝手に降ればいいなど思って、ほったらかしにしたはず。しかしお天気も人の子で、そこのところは勘弁してくれた。だから、たまには、このお天気も誉めなくてはなどとも思う。だが、寒いのは変わらない。

  再び雪がちらつく。それから、ときに太陽も顔を出す。なぜか、私が歩いている間、一度だけ、雪と風が強くなったときがあったが、それも、ある時間たつとその寒気は通り過ぎたようで、ミニカメを出す時間もあった。雪を意識しながらのものであるが、その小さなレンズに、これは人の目と同じくらいの大きさのようだ、そんなことを今久しぶりに思い出した、雪の粒が当たるというか、降りかかる可能性は、確率は、かなり小さいようである。今までの経験で、ミニのレンズに雨なり雪が付いたことはないような気がする。回りのゴミは、小さなものはやはり入るが、これなどもあってもいいし、また出て行ったりもするのではと思う。

  それから、またグタッとした時間を過ごしていると、今度は虚しさが身にしみるが、そんなことはどうでもよかった。それよりもこれだけ低温で、しかも風もあるというのに、何とめでたくクシャミまで出た。これまでは、寒いか、あるいは暖かで、鼻ムズ、グシャであったのに、それは両方やって来た。寒いが、春は近いのかも知れないとも思うが、どうもこの先今以上には、のほほんとも出来ないような、そうゆう予感もしてきて、たぶん、「のほほん」と、緊張の間でぶらぶら揺れる、そうゆう老化の階段を下らないといけないようである。そう、漠然と思っている。




  雪の田んぼは、一部は雪が溶けている。緑が新しい時間を予期させる。それがやがて優勢になってゆく。




  きのうと同じスイセンの個体だが、ただ、花は違うと思う。昨日きょうの厳しい寒さで、この状態である。しょんぼり。




  この書き込みで、標準となる、これしかないかも知れない「紅梅」の様子。この木も、細くてしかも古木のようで、花の数は少なめ。満開になると、そのときは一面その花弁でその色に染まってしまうが。  

プラスの2℃は、暖かか。

2008-02-24 07:16:11 | 散策
  朝のお天気、雪か曇りか、吹雪。西の風に乗って、雪が壁に張り付いている。アメダスの6時の気温、マイナス0.9℃、1時に、マイナス2.5℃とあってそれから少しずつ上がっている。積雪は8cm。室温が低くて、2℃である。2℃とちょっとあるが、これを書くところが、いかにもだが、2℃。寒い。このあたりの積雪、多いところで、10cm。
  
  「しょうもないこと」は、時間とともに減衰振動して先ほどまで、眠っていたが、それにしては、寒いと思う。マイナス3℃の寒気が辺りをおおっているので、寒いのは当たり前なのだが、そのことも忘れている。ただ、一応窓の外は眺めて、ウーと低く唸るように、雪の量はさほどでもないと思う。トイレまでは、短い距離であるが、震える。頭は、雪のことと寒さで、満たされて、他のことを考えることはない。さらに、外が晴れていることも認めるが、それに対しても無反応である。
  部屋の中がマイナスの気温になることはあまりないというか、そこまで詳しく調べていないが、昔のうちでは、0℃くらいにはなった。ただ、温度計の印が0℃までしかなかった。それ以下は、以下であっても0℃という、なかなか便利なものであった。かなり正確な温度計、気圧計、湿度計あればとも思うが、そうゆうものは実際には必要ない。ここは、アメダスのデータで十分である。

  起きてみると、2℃。窓は、凍って開かないところがある。さらに他の、灯油ヒータの置いてあるところの、モニタは、1℃を示している。これは、きのうよりはましであるが、やはり着ているものは、真夏の感じで、どうも半分裸でいるような感じだ。それから、体が、空気のようであるかどうか。これは少し違った。なぜか、着ている1枚目のシャツが、それがときに冷たく、体を刺激している。幸い、水道、ボイラに異常はない。北側の窓は開いたが、開くことがわかれば、それ以上のことは不要である。

  父が帰って来るときに限って、気温が下がる。今日は、あまり濡れてなく、着替えそのものは楽であった。しかし、排泄されるものが少ないのは誉められたものではない。水分が足らないのである。本人は、まだ水を飲むことが出来るが、ただ嚥下にはかなり時間がかかる。そのタイミングがやって来ない。薬などを飲む時も、かなり苦労している。一番いいのは、むしゃむしゃ噛んで飲めるタイプの薬で、抗生剤は何かにつけて必要だから、こうゆうものが大きなカプセルや錠剤ではなく、より飲みやすいものが出て来てもおかしくない。
  こうゆうときは、そういえばイチゴのような一応は固形で、ただ水分は多い、そうゆうものを食べるのが一番問題のない、茶碗をひっくり返して大声を上げることもない、水分の摂取方である。そのイチゴは、ちゃんと冷蔵庫の中にある。これは、もう私には必要ない。さっさと、父の体の中に入っていって、少しの潤いが彼の体を元気付けてくれればいい。

早春の条件

2008-02-23 18:44:31 | 植物・花(春)
  朝から雨風で、それがお昼前から、ときに雪に変わって、それから後は、降るものは雪である。横殴りの雪で、あまりありがたくない。ただ、これはまだ、雪がしんしん降り積もる条件とはいいがたく、もう少し風もおさまってすっぽりと寒気に包まれないと、その雪にはならない。その雪になればいいというものでもないが、このような吹雪く感じのお天気は、一番ありがたくないもので、その変化は、ダメージを与えるものである。

  ダラ、っとした感じで時間は過ぎる。悪夢の再現というか、そうゆうものはなくならないような気もしてきたが、ダラっとすることも必要で、それで時間を過ごせるなら素晴らしい。何か本を読んだり、あるいは映画を見たり、どこかに出かけないと気がすまないというより、ダラっと過ごせるなら、それが一番いいようだ。弛緩した感じの維持は、大切である。まーいいか、これで、そうゆうものである。これで、ずっと過ごしてきて、急に緊張関係の走ることが起こるわけであるけれど、これもまた仕方がない。あまりに、上と下が、乖離しすぎているからで、そのことがわかっていない時間が続いている。格差というものも作られて来たが、そのどこにいるか、自分というものがいるのか、これもなかなかつかみにくいものである。その格差も、これが今の時代では簡単に白紙に戻るとも言えて、この時代を育ててきた人は、ここで大いに深呼吸し、また溜息を付く。
  2時間の音楽番組も、ここはっというのと、ここは「どう」というものがあって、少しだれる。これが長寿番組の手段かも知れない。そういえば、もう一つ、かなり長い番組が午後にあるが、これも、その中に少しゆるいというか、休憩時間というか、どうなっちゃたのか、というものがあって、これって、つまりは、長生きの秘訣かもと思う。いつも来てくれる義兄と姉を見送って、その後にすぐに、冷たい風と雪の舞う外に出た。

  外に出て、この雪風に当たると、有体にいうと、どうも1、2枚しか衣類を着ていない感じがする。きのうの暖かさが余計そう思わせる。シャツと厚めのシャツと、ズボンしか履いていない。あるいは、透明人間になったような気もする。自分の体が空気と同じようになってしまったような気さえする。ただ、精神だけが、そこの空間を移動している、といったらいいだろうか。この寒さも、もうすぐに春が来ますよという、合図のようなものであると思う。
  明日になるけど、と言われたものを購入して、急いで帰って来る。ここまで、春はもうすぐ来ると言い聞かせてきたが、これ以上予断は許されない。さっさと、暖かなところに帰って来る。これで、どうにか、寒さの練習も出来た。あとは、また、ダラっと過ごせればそれでいい。はたしてそうなったかどうか、これは明日にならないとわからない。

  2日前の、春の光があったころの続き。



  途中まで咲いて、また雪に埋もれたスイセンがこのときは、これ一輪咲いていた。あまり見かけない、品種のようである。




  雪で平になったところから、チューリップが、また頭を持ち上げた。これは、もしかしたら、雪が降っている間に生長していて、それで雪が溶けたこともあって、結果として、このようになったのかも知れないが。

雪のライトレール

2008-02-23 15:06:19 | 鉄道
  雨風が雪に変わりました。きのうの暖かさが、うそのようです。
  たぶん、明日の朝までに少し、新しく、積もるのではないか。

  朝に、ずいぶんと長い間頑張って走っている、路面電車、
  ちんちん電車のことを書いていたら、そういえば、雪の
  ライトレールもあったことを思い出した。
  2月の半ばの雪の降り始めで、風は弱く、
  あまり寒さは感じなかった日のことだ。

  ちょい鉄のレールゆえ、本格的な雪のものは、無理。
  ちょい雪だったから、何とかなった。




  まずは、駅のレールの様子。一番手前には、もうレールはない。
  風が強くて雪が舞うと、かなりハードな感じになるようだ。
  隣に、さっき来て、そろそろ発車する0607が止まっている。




  中央下側に少し雪が積もって白くなっているが、
  その上に赤いランプがあって、先ほどまで付いていた。これは、割愛。




  先頭方向に歩いて行く。しばらくして、グリーンとイエローの
  ライトが付いた。




  発車して、しばらく信号で停止。再スタート。
  もう少し、雪が激しく降っていればなーと思う
  ところだが、何しろ、ちょい鉄。
  この後に少し雪が続いた。そのときは、自分の雪かきで、
  大変であった。

ガタン・ゴトン行く電車

2008-02-23 09:49:04 | 鉄道
  ちょっと元気のない、ちょい鉄のレール。
  ガタッと来たのは、こちらでした。

  ガタンゴトンといえば、電車の走る音ですが、この路面電車、
  ちんちん電車、年季の入った、渋い感じの電車は、ほんまに
  ガタンゴトン乗っていると揺れそうで、たぶん揺れたはずです。
  最近は乗っていないが、どこまで乗っても均一料金で、往復するのも
  鉄ちゃんとしては楽しいが、お腹に来ることもあれば、途中で
  止まってしまうこともあるから、行き先表示には要注意。

  富山地方鉄道のページに車両案内のコーナがあって、それによると
  この車両は、デ7000形と呼ばれるもの。




  ガタン。信号が青になって、一斉にスタート。それにしても、
  なかなか結構な光景で、これを見ると、
  ライトレールは、まだまだ子供な、ひよこな感じ。




  ガタンガタン、加速中です。前面がぶれて、
  側面の方は、うまく合焦している感じ。これに乗って、
  大学に通われた人も多いはず。




  ガタンガタンガタン。動いていますね。これは、
  後ろ正面は、何とか止まっています。

  時代を感じる一瞬です。

  先ほどから、またひどい雨風になって来ました。あーやっぱり、
  また雪が降るのかねー。この雨風の方が、いやだけど。

南からの雨風、が強い

2008-02-23 07:12:53 | 散策
  朝のお天気、雨。4時ごろからか、雨が窓をたたく音がする。予報どおりのようだ。雨が雪に変わるとも。アメダスの6時の気温は高く、6.8℃、積雪は0cm。室温7℃、これは低すぎる。雪はまだあちこちに残っている。
  調子「いくない」です。何度も起きるし、少し左側がチクチクもするし、しかし起きる時間、起きてチク。顔を見ることなど滅多にないが、ちょっとだけ鏡を見る。まだ大丈夫そうな顔をしている。花粉症とは関係ないと思うが、顔もはれぼったくなるようである。

  きのうの気温は上がったのですね。アメダスを再び見ると、きのうの最高気温は13.6℃。確かに、街中も、こっちの鄙の辺りも暖かったような気がするが、実感はまだ、「オオボケ」に気付いていない、街中にいたほうが暖かかった。懐かしい、昔のままの市内軌道の電車が走っていて、それは私よりは年上に思える。老体に鞭打って、という言葉がピタリである。時間は、へいかも知れないが、しかしその広告は、えすの40年代を思わせる。そうゆうものがまだ現役で頑張っているのをみると、このちんちん電車はまだまだ活躍するし、最後にはまた、大いにちんちん電車が走る時代が来そうだ。
  ホテルの隣には、喫茶店があるが、もう朝のいい時間であるがのんびり人が、そこに座って新聞を見、雑談している。ここも、名前は今であるけれど、光がまだ当たらない時間でもあって、時代的には、かなり遡る感じである。駅前の広場には、なんだかよくわからないものがあるが、それに関心を示す人は、自分だけのようで、それもファイルにおさめた。雪がない、それと暖かだった、そのときは、から、どうにか昔からの少し変わった、南の始点の辺りを観察することが出来た。振り返ってみると、こんなにしみじみこの場所を見たのは初めてかも。いつもは、駅を降りて次の交通機関に乗り換えるだけだった。

  珍しく行列が出来ている。なんだろうか。また一人、その列に人が並ぶ。それで、どこからか、アナウンスが流れて、それは「金沢」行きの「高速バス」であると予想された。なるほどね、皆さん手堅い判断をされている。このようなスマートなことが私にも出来たら、もう少しスッと生きてゆける気がしたが、はたして高速バスの乗り心地はいかに。
  帰って来て、それから、なぜかわからないが、気落ちした。外に出るがこんなに丸くなって猫背もいいところ。ただ、風が暖かかったから、返って猫背を真っ直ぐする気にもならない。お店で、こうゆうときはイチゴと思い、一パック買った。お店の人に、ぼやいて帰って来た。そのイチゴはおいしかったが、どうも元気を取り戻すまでにはいかない。
  しばし、この状態は続くと思われるが、しかしふと昔のことが思い出された。みな、忘れている。結局、これも忘れるしかない。
  雨が本物になって来た。これで、今の気分とお天気とは同期することになる。

黒くて白い、街並み

2008-02-22 19:00:58 | 散策
  木の芽時でもないけれど、ときに街に出かけるときがある。これは、何とも説明の付かないもので、大体そうゆうものを書いている。
  すでに、太陽は、山の端から出ているはずで、しかしかなり厚めの雲がかかっている。少し冷えたが、しかしこの程度なら大丈夫な気がする。
 
  端折る感じで、少し前に見かけた、それは1年前かも知れないが、そこのある路面を、少し雪を避けるように後ろに歩いて、それから歩道に出た。その先に、大きな道が続くのだが、この辺りは昔の勘で、すぐに左にそれて、迂回するように歩いてゆく。道は、公園の中で、それで人はいるかというと、少ないか、一人であって、もし相手の人が、人影を見つけたときにビクッとしないかどうか、自分の立場で考える。そんなに、妙な格好ではなく、これはいつも病院にゆくときと同じである。その辺りを歩いていて、人影が見えたということの方が私にとっては不思議でもあった。昔は、昔であるが、人は未来には行けないものである。
  したがって、昔はここはどうだったか、そうゆうことを考えつつ、少しくらい、まだ曇り空の中公園を歩いている。今日の天気予報は、かなり暖かというものだが、その時間にジョギングなどする方の姿はない。一筋違い、約100mくらいは歩いた気がするが、直線で、するとかなり古びた感じのする建物があって、これは今様ではなく、戦国のあるいは、歴史上の建物というべきものであって、それがいつごろ建ったものか、判断しかねた。そういえば、お城に関することが長く、PR誌に出ていて、城の好きな方もおられるのだな、と感心したことがある。
  駐車場は、ないといけない。逆にいうと、歩いてどこそこへという感じでは、話しが出来ないものもあって、この同じ列島に住む人でありながら、その感触にはどうしても違和感を感じる。そこの駐車場は昔からあった。それを知っているが、なぜかその辺りは、金属の塀に囲まれている。道はないようなところから、その塀の辺りから、早歩きの方が出てこられた。そうか、この方は駐車場に車を止めて歩いて来たのだ。納得する。
  
  別に懐かしくもないが、もう一つのある道に、大きな道に出る。この道は、市内軌道は走っていない。ただ、こっちにバスの道が走っていて、この先に、街の大きな駅がある。そうか、先ほどの道でも行き先は同じであった。
  少し急ぐ。寒くなってきたし、用も足したくなってくる。この通りに、3、4人の歩行者がいて、それから自転車に乗っておられる方もいた。そういえば、自転車には乗れたっけ。この先に、もっと行き慣れたところがあるのだが、そこに至る必要はない。もう少し時間と体力があれば、その先までゆける。しかし、今の段階では、そこには。

  なぜかもう一つの歴史上の建物が見えてきた。新築である。白い。これはなかなかいい風景である。しばし見とれるが、用も足したいし、他にもヤボヨウがある。これくらい、非生産的なものはない用である。そこの建物で、用を足して深呼吸する。なぜか鏡があって、そこに自分がいる。これを、まずはファイルにすべく、ボタンを押した。もう一回やった。モニタを見た。失敗。で、最後によくやる、自分で自分をというのをやった。これは、不思議と、ましな、自分にしてはましなように見える。
  それから、用を済ませて帰路につくが、駅までの先は長い。焦る必要はないが、少し体は楽なようで、しかしなぜか落ち着かない。最後には、地方鉄道の駅の中に、久しぶりに入ってみた。なぜか、昔の西武鉄道の、5000形の列車と会うことが出来た。
  帰って来て、なぜ落ち着かないか、しばらくして答えが出た。ある職員の方にこれでよろしいですか、と念を押して帰って来たのだ。が、それが、自分でもわかったのだが、少し位置がおかしい。この先に、なにが待っているか。それにしても、なぜこんなところで。以下は、白紙。


  移ろいゆく景色。



  ごく、どこにでもある川であるが、どうもこのミニカメを誉めてあげたいくらいいい感じである。白い雪がこうゆうときに映えるのである。まわりが神秘的。




  黒と白と、黒い緑の世界に、朱が混じる。なかなか近くでは見ることの出来ない光景。




  静寂という言葉がぴったりである。少し雲があるから、白の派手さが目立たず、いかにも上品ともいえる美しさがある。






  富山地方鉄道に、もと西武鉄道で走っていた、5000形の電車(レッド・アロー)が走っていることは、すでに知っているような気がしたが、この車両が予期せずに現われてびっくり。地鉄では、モハ16010形とされている。
  今日は、ちょっと時間もなかったので、これだけで。

夜空に変化はなかったか?

2008-02-22 07:17:45 | 散策
  朝のお天気、雲も多いが晴れ。雲が朝日に照らされて一瞬だけ夕焼けの空の色に染まる。妙な感じだ。しかしこの色が一番いい。風は南から。かなり強く、窓を開けると、それが体感された。アメダスの6時の気温、2.1℃、積雪1cm。室温6℃。この辺りの積雪、5cm前後である。

  きのうの空を思い出す。皆既月食があったようで、知らなかった。しかし、朝に見たその月は確かに丸く、満月のようであった。こうゆうのがどこで見えて、どこで見えないか、それを計算して予報する人がおられる。まことに不思議な感じである。それがまたピタリと当たるからどうしようもない。たまにはずれた、と言うこともあっていいはずだが、そうゆうことはないようである。
  それよりも、私が見ていたある天文関係のページで、いよいよ「USA193」が、ミサイルにって破壊されるという状況になったと紹介されているのを見て、こんなことが本当に出来るのか、その高度は240kmもある、ほとんど真空に近い、また宇宙空間と言っていいところまで、ミサイルが飛んで行って、巨大な人工衛星を破壊できるものなのか、ちょっと疑問にも思っていたが、そのある種の実験とも思われるものが、行なわれたようで、その後のことも少し気になった。

  ミサイルは、人工衛星に当たったがどの程度衛星が破壊されたか、その破壊された衛星の残骸が大気圏に突入するときに、すべてがうまく燃え尽きるようになっているものかどうか、そうゆうことにも少し興味があったが、如何せん夜空を眺めているのは、かなり寒いし、それにやたら雲がたくさんあって、その方が何か不吉な感じを漂わせた。人工衛星はたまに星空を見上げるとパッと見えたりする。衛星を見るという目的はない方がよく、これは流星などでも同じである。
  多くの人工衛星は、太陽の光を反射して、夜空に輝く。その速度はかなり早く、それでも多くの人工衛星が地球を一周するには1時間以上かかるという感想を持っているが、それにしては早すぎる感じもする。この人工衛星と、空飛ぶジェット機を勘違いする人がたまにおられる。人工衛星で、緑や赤の色点滅が見えるものは、なかなかないもので、私は見たことはない。それが、流星のように、瞬間燃え尽きてしまう、こうゆうものも見る機会は少ない。人工衛星はあってもいいが、見るのは、優雅に夏の天の川を遊覧する状態が一番いい。

  きのうの朝に見た、月が、また午後の6時を過ぎたころに、東の空にかなり赤茶けた色で登場した。こうゆうものを見ると、何となくだが、自然界がゆっくりだが代わることのない、未来永劫までこの状態が続きそうな気もしてくる。しかし、それも、また限られた時間でしかないようで、大きな単位を持ってくれば、すべてが有界の世界に属してしまう。
  そのきのうの雲の多い星空にシリウスとリゲル、オリオン座のベルトにある3つの明るい2等星が見えていて、それ以上怪しげなものは見えなかった。これでいいのであって、それ以上のものを見ると、それこそ眠れなくなる。

次は、花粉症です。

2008-02-21 19:03:17 | 散策
  今日は、暖かかったらしい。確かに、真冬と同じ格好で外を歩いていたときは、しばらくして、これはやっぱり暑いかも、など思ったが、それにしてもぜいたくな、トンチンカンな、鈍感的な、悩みというか、そうゆうもので、少しは、この太陽の暖かさを味わっていたいと思う。思うが、体はちょっと暑いですよ、など私にゆう。言ってるような気がして、ボタンを一つはずした。
  今、初めて午後3時までの最高気温というのを見たが、それでも8.7℃である。気温的にはこれは暖かいとは言えない。太陽が満遍なく、あらゆるところを照らしてくれて、それゆえの暖かさの効果が大きい。この太陽が雲で陰っていて、さらに風など吹いていたら、寒い。普段と変わらぬ寒さであって、これは1枚多く着ていてよかったと言うことになる。こうゆう天気が続けば、もう少し平穏な世の中であり続ける気がするが、どうもあちこちから、不穏とも思える情報が飛び込んでくるから、少しよくなった体調もまたおかしくなりそうだ。ここは、耳をふさいでおかないといけないだろう。

  外に出ると暖かく、それから軽くミニカメラも携えて、気分転換に歩いて来たが、どうもその後の様子が少し辺である。クルクルとか、グラグラではなくて、なぜか今度は鼻にきている。鼻が少しスースーしていて、のどもいがらっぽい。さらに、頭も痛くなってくる。頭のことは、これは年がら年中というかすぐにここに痛みが出るからしょうがないが、それより、のどの違和感も嬉しくない。また、少し暖かくなると、体のだるさも出るようで人の体の不思議さを不可解さを今さらながら、強く思う。もう少し楽にならないかとも思うわけだがそうはいかない。
  秋の、少し暖かな日が続いたりすると、これも今日の状況と似ていて、体のだるさが強調される。そうゆうときこそ、少し冷たい空気に触れると、具体的に言えば晴れて放射冷却でぐっと冷えるときなど、そうゆうときの方が、体がシャキとしていい。これからのシーズンは、寒さに慣れた体が、少しずつ暖かさ、というと適当ではないかも知れないが、そうゆうものに慣れてゆくときでもある。
  そんなはずはない、それはおかしい、など元気なときは思うものであるが、いずれ人は老化の階段を一段ずつ下りるわけで、その中に、こうゆうちょっと不愉快なこともあり得ると、私は思っている。暖かくなるのは嬉しいが、これに体が慣れないという、ちょっとやりきれないものがある。

  花粉症を忘れていた。「次は花粉症です」、これを、電車の車掌さんのイントネーションで言ってみることを想像する。笑えてくる。今日も、その時間しか聴かないある局のアナウンサの声を聴いていたが、はっきりと鼻声で、その程度は少しずつ強くなっている感じがした。ただ、聴いている方からすると、なかなかソフトな感じもあって、この声もいいのではなど思うが、他にも症状は出るから、大変である。
  この暖かさと、それに対する自分の体の違和感と、それから、花粉症特有の症状を、今年も本格的に体験して、まったくこの季節の暮らし方の難しさというか、不安定さを身に染みて感じる。あまりあり難くはない。さて、その春の暖かさに慣れるのは、あさってから寒いお天気が続くようで、まだ当分先のようではあるけれど。




  田んぼの雪も、まだ消えない。この反対側に、ツバキ、数少ないものの一つ、があるが、花はまったくといっていいくらいない。




  同じ田んぼでも、雪の溶けているところがある。ここの水面に、太陽が反射するが、なぜか一部のファイルに、その光がキラキラ星のように輝いて写っていた。機械の方がうまく制御できなかったのだろうけど、これはなかなか美しい。
  ある国の軍事衛星が制御不能になり落下の後の危険性が高いとして、ミサイルで破壊されたようであるが、まさか、それとは関係あるまい。

  春の妙な絵柄。



  いつもの、キカラスウリを撮ったが、これがぶらさがっている梅の蕾も入るようにしてみたら、うまくいったようで、キカラスウリから梅の蕾が出ているようにも、見える。