また雪の話し、もういい。そう言われそうで、ちょっとやりにくい。さらに、今年は、2年前の大雪が降った冬のように、全国的に寒く、またあまり降らないところで、もう雪は降りました、ということがあるから、なおのことやりにくい。
それで、久しぶりに朝から雪かき、雪の移動を少しやった。あまりやりたくないが、ちょっと道を開けないといけない。変化のない時間を過ごしているようで、違う。幸い、雪は軽く、それゆえ特に寒さに問題がなければ、子供さんと一緒に、雪かきをやるのに適した雪のようで、それは、綿菓子のような雪であった。
新聞に、まず初めての雪かきの景色が載る。お父さんに混じって、プラのスコップを持った小さな子供さんが、えっちらおっちら、雪かきをやる光景は、まことに微笑ましく、だが、そのうち、雪はだんだん里に下りてくるから、今度は自分が、その子供さんと同じようなことをやらないといけない、そうゆうことに気付くのであるが、それが年々遅くなる。そのうち、雪かきをしていた子供さんは、スキーやスノボの選手になったりして、もう雪かきはやらなくなったりする。雪を求めて移動したりする。こうして、また、1年が過ぎる。
忘れていた、雪かきのとき、が来て、あーっと溜息を付き、さらに、どうするか躊躇する。一晩ゆっくり眠って考えるか。
この雪で、空やら、鉄道やらの便は大いに混乱した。高速道路も速度制限が当たり前になって、まだ動けただけましということになる。まったく、雪の力というか、存在は恐ろしいものである。ただ、ふわふわ空から舞って来る、つかみどこのないもので、人は右往左往して、最後に天をあおぐ。
あるところで、ゆっくり走らざるを得ない状況にあった。これは、特に雪が降るところだから、それようの、スノータイヤとか、雪仕様のタイヤ、雪用のタイヤなど言う、ものを装備していても、雪がひどく降り、あるいは路面が凍結すれば、走りはゆっくりになる。普段の半分か、それよりもゆっくり目になって、これは全国共通だろう。特に、凍結すると、これが如実である。人が歩く感じに近く思える。
ふと、上空を見る。そこのところに、巨大な鳥のようなものが見えるが、どうも金属で出来ているようだ。まだらっこしい言い方は止めて、少し遅れている、着陸体勢に入ったジェット旅客機で、羽田からのもの。B767である。この距離だと、裸眼でも十分迫力がある。少し、機体を上にむけながらゆっくり、雪の降る空を移動している。この先には、滑走路があることはわかっているが、はたして視界はどの程度あるのか、心配になってくる。雪の、ある時間にしか遭遇できないものであるが、これなども、かなり高度な技術とともに、人間の勘というものもプラスされて、最後に着陸が可能になるのではないか、と思われる。地上も空も、この雪によって、かき乱されてしまう。ここで、いかに冷静な判断が必要で大切か、痛感させられる。
雪は、マジシャンでもあり、ときに雄大なあるいは華麗な景色を見せてくれるが、これに対して、また人も、マジシャンにならないといけない気がする。人の場合は、ちゃんとタネも仕掛けもある。これに則ってやる。しかし、雪の見せるマジックのタネはそう簡単に、わかるものではない。このマジックはより高度に変化してゆくようにも、思える。
雪は、決して侮れないものである。
雪のいっとき。変化は、ほとんどない。いつもと同じ。
朝は、かなりこんもりと木々の枝にも雪は付いていて、また降り続く感じがあった。幸い、軽めの雪で、溶けるような条件が揃うと、意外にあっさりと消えていく。
大木のケヤキには、雪がこびり付いている。気温はまだそんなに上がっていない。モクモク、煙が出る。
晴れ間が出るときがある。枝だけになった木々に雪が形を変えつつ花を咲かせる。雪がマジシャンだと思うときで、またこの青空も透明である。
これがちょうどいい。これ以上降らないように、お祈りをする。
それで、久しぶりに朝から雪かき、雪の移動を少しやった。あまりやりたくないが、ちょっと道を開けないといけない。変化のない時間を過ごしているようで、違う。幸い、雪は軽く、それゆえ特に寒さに問題がなければ、子供さんと一緒に、雪かきをやるのに適した雪のようで、それは、綿菓子のような雪であった。
新聞に、まず初めての雪かきの景色が載る。お父さんに混じって、プラのスコップを持った小さな子供さんが、えっちらおっちら、雪かきをやる光景は、まことに微笑ましく、だが、そのうち、雪はだんだん里に下りてくるから、今度は自分が、その子供さんと同じようなことをやらないといけない、そうゆうことに気付くのであるが、それが年々遅くなる。そのうち、雪かきをしていた子供さんは、スキーやスノボの選手になったりして、もう雪かきはやらなくなったりする。雪を求めて移動したりする。こうして、また、1年が過ぎる。
忘れていた、雪かきのとき、が来て、あーっと溜息を付き、さらに、どうするか躊躇する。一晩ゆっくり眠って考えるか。
この雪で、空やら、鉄道やらの便は大いに混乱した。高速道路も速度制限が当たり前になって、まだ動けただけましということになる。まったく、雪の力というか、存在は恐ろしいものである。ただ、ふわふわ空から舞って来る、つかみどこのないもので、人は右往左往して、最後に天をあおぐ。
あるところで、ゆっくり走らざるを得ない状況にあった。これは、特に雪が降るところだから、それようの、スノータイヤとか、雪仕様のタイヤ、雪用のタイヤなど言う、ものを装備していても、雪がひどく降り、あるいは路面が凍結すれば、走りはゆっくりになる。普段の半分か、それよりもゆっくり目になって、これは全国共通だろう。特に、凍結すると、これが如実である。人が歩く感じに近く思える。
ふと、上空を見る。そこのところに、巨大な鳥のようなものが見えるが、どうも金属で出来ているようだ。まだらっこしい言い方は止めて、少し遅れている、着陸体勢に入ったジェット旅客機で、羽田からのもの。B767である。この距離だと、裸眼でも十分迫力がある。少し、機体を上にむけながらゆっくり、雪の降る空を移動している。この先には、滑走路があることはわかっているが、はたして視界はどの程度あるのか、心配になってくる。雪の、ある時間にしか遭遇できないものであるが、これなども、かなり高度な技術とともに、人間の勘というものもプラスされて、最後に着陸が可能になるのではないか、と思われる。地上も空も、この雪によって、かき乱されてしまう。ここで、いかに冷静な判断が必要で大切か、痛感させられる。
雪は、マジシャンでもあり、ときに雄大なあるいは華麗な景色を見せてくれるが、これに対して、また人も、マジシャンにならないといけない気がする。人の場合は、ちゃんとタネも仕掛けもある。これに則ってやる。しかし、雪の見せるマジックのタネはそう簡単に、わかるものではない。このマジックはより高度に変化してゆくようにも、思える。
雪は、決して侮れないものである。
雪のいっとき。変化は、ほとんどない。いつもと同じ。
朝は、かなりこんもりと木々の枝にも雪は付いていて、また降り続く感じがあった。幸い、軽めの雪で、溶けるような条件が揃うと、意外にあっさりと消えていく。
大木のケヤキには、雪がこびり付いている。気温はまだそんなに上がっていない。モクモク、煙が出る。
晴れ間が出るときがある。枝だけになった木々に雪が形を変えつつ花を咲かせる。雪がマジシャンだと思うときで、またこの青空も透明である。
これがちょうどいい。これ以上降らないように、お祈りをする。