あー寒い。かなり寒く、ウー寒い。あ行で始まる溜息。
穏やかだが、雪がチラチラ、ときに、吹雪いて、それ以外はどうだったか、曇りのお天気で、気温は上がらなかった。だから、当然寒い。
少し変だと思わないといけないことが、なんとも思わなくなって、しかし、脳裏のどこかにこれはおかしい、という感じの痕跡が残っていた。はっきりとおかしいことが確認されて、それはどうも、呼び鈴、チャイム、ピンポンが鳴らないようであること。この人くらい腰の低い方を存じ上げないが、水光熱に関する仕事をされているかたで、その方が来られて、どうもすいません、調子が悪いようでうかがいました、と言う。が、しかしどうもワタシンチから、その件について電話をしたことはないようで、同じ苗字のかたは多いから、うちではないようですが、と話した。そういえば、ガスの湯沸し器はなかったですね、そのかたも、冷静である。これで、和んだが、しかし、どうもチャイムの、ピンポンの音が聞こえないのは事実であることが確定して、これは面倒になったと思った。
どこにチャイムはあるか、これはわかっていてしかしその場所は説明が難しい。高いところにある。その程度の高さで高所恐怖はない。それより、ぐらっと来て倒れる可能性の方が高い。それと、乗っかっている椅子は、それようのものでなく、ちゃんとこの上に乗っからないで下さい、と書いてある。他にも丸椅子みたいなのはあるが、みな同じことが書いてあるが、でもそれしかないから、それで、少し身長を高くして、そのピンポンなるものを目の前にする。中を開けた。さびた電池があって、くっ付いているようで、またいらぬところに指先が当たった。それより、何とも作業のしにくいこと。単二か、危うく間違えるところである。
電池で思い出したが、今時のコンロというかガスレンジは、さすがにライタと同じ火打石でぼっと火が付くことはない。カチカチカチと最低3回は音がして、どうゆう理屈か知らないが、電池を必要とする発火装置が働いて、ぼっと火が付く。だから、ときに、その電池が、乾電池である、なくなったときなど、その代わりにそれこそライタを使ったり、マッチも使ったりして火を付けたりしたものだが、それが今も有効に作用すると思っていた。きのうか一昨日までそう思っていたが、またレンジのコンロの火が付かないというので、仕方なしにその電池をはずして、ちょっとごろごろさせたりあるいは、ヒータで暖めたりして、またカチカチカチという音はして、ぼっと火が付くがどうゆう訳か、またその火が消えて電池交換せよの、ランプが付く。
はて、なんでやねんとなるわけであるが、何度同じことをやってもランプが付いて、火は付かない。付いていた火が消えるのである。ようやくわかった、今時のコンロというかレンジは、電池がある程度ないと、そのガスは消えるようになっているのだ。何とも、安全性の代償というと変かも知れないが、電池で安全を確保していたのである。そうか、知らなかった。今どきのレンジは、常にあるレベルの電圧と電流が規定に達しないと、他はよくわからないが、それは動かない、働かない。よって、もしも停電などになって、いつでも使える暖房、熱源と考えていたコンロも、電池がなければ、ただの石みたいなものなのである。書いていて、これは慌てて、もう一度、予備の電池、これは単一である、を買っておかないといけない、と思う。
しかし、なにがしかし、か、世の中もむつかしい御時世になったものだ。それから、電池にも、乾電池であるが、色々種類があって中にはびっくりするような値段のものがある。大体、定価があるのに、その値段が明記されなくて売っている場合も多い。一番困るのは自然放電であって、どこにも何にもつながっていないのに、電池というものは放電していて、そのうち、それは電池でも何でもなくなってしまう。一体それはどうゆう形で、どうゆう色で放電されているのか、それを目で見てみたい、などとも思う。枕の後ろに懐中電灯があるが、これがほんまに必要なときはまだ来ない。それをときどき使う。寒いときはふっさくる。そうすると少し明るくなったりする。はたして、この懐中電灯に入っている電池、いったいいつのものか、これも調べたみないといけなくなった。
雪が降って少し積もっている。止んでいる時間も長いが、春は遠く3月になってもたぶん寒そうで、雪もある。
フキ。どこからが「フキ」かわからないが、かなり大きくなったフキで、パンクしそうでしない。雷が鳴ると、この固い蕾も開くと思われる。
梅も変化がないが、ちょっと開きそうな気配はある。
同じ時間に撮った紅梅であるが、一輪開き始めた、左上、ようで、これは目で見ていてわかった。先にこちらの花が咲きそうで色も、かなり赤味がはっきりしている。
穏やかだが、雪がチラチラ、ときに、吹雪いて、それ以外はどうだったか、曇りのお天気で、気温は上がらなかった。だから、当然寒い。
少し変だと思わないといけないことが、なんとも思わなくなって、しかし、脳裏のどこかにこれはおかしい、という感じの痕跡が残っていた。はっきりとおかしいことが確認されて、それはどうも、呼び鈴、チャイム、ピンポンが鳴らないようであること。この人くらい腰の低い方を存じ上げないが、水光熱に関する仕事をされているかたで、その方が来られて、どうもすいません、調子が悪いようでうかがいました、と言う。が、しかしどうもワタシンチから、その件について電話をしたことはないようで、同じ苗字のかたは多いから、うちではないようですが、と話した。そういえば、ガスの湯沸し器はなかったですね、そのかたも、冷静である。これで、和んだが、しかし、どうもチャイムの、ピンポンの音が聞こえないのは事実であることが確定して、これは面倒になったと思った。
どこにチャイムはあるか、これはわかっていてしかしその場所は説明が難しい。高いところにある。その程度の高さで高所恐怖はない。それより、ぐらっと来て倒れる可能性の方が高い。それと、乗っかっている椅子は、それようのものでなく、ちゃんとこの上に乗っからないで下さい、と書いてある。他にも丸椅子みたいなのはあるが、みな同じことが書いてあるが、でもそれしかないから、それで、少し身長を高くして、そのピンポンなるものを目の前にする。中を開けた。さびた電池があって、くっ付いているようで、またいらぬところに指先が当たった。それより、何とも作業のしにくいこと。単二か、危うく間違えるところである。
電池で思い出したが、今時のコンロというかガスレンジは、さすがにライタと同じ火打石でぼっと火が付くことはない。カチカチカチと最低3回は音がして、どうゆう理屈か知らないが、電池を必要とする発火装置が働いて、ぼっと火が付く。だから、ときに、その電池が、乾電池である、なくなったときなど、その代わりにそれこそライタを使ったり、マッチも使ったりして火を付けたりしたものだが、それが今も有効に作用すると思っていた。きのうか一昨日までそう思っていたが、またレンジのコンロの火が付かないというので、仕方なしにその電池をはずして、ちょっとごろごろさせたりあるいは、ヒータで暖めたりして、またカチカチカチという音はして、ぼっと火が付くがどうゆう訳か、またその火が消えて電池交換せよの、ランプが付く。
はて、なんでやねんとなるわけであるが、何度同じことをやってもランプが付いて、火は付かない。付いていた火が消えるのである。ようやくわかった、今時のコンロというかレンジは、電池がある程度ないと、そのガスは消えるようになっているのだ。何とも、安全性の代償というと変かも知れないが、電池で安全を確保していたのである。そうか、知らなかった。今どきのレンジは、常にあるレベルの電圧と電流が規定に達しないと、他はよくわからないが、それは動かない、働かない。よって、もしも停電などになって、いつでも使える暖房、熱源と考えていたコンロも、電池がなければ、ただの石みたいなものなのである。書いていて、これは慌てて、もう一度、予備の電池、これは単一である、を買っておかないといけない、と思う。
しかし、なにがしかし、か、世の中もむつかしい御時世になったものだ。それから、電池にも、乾電池であるが、色々種類があって中にはびっくりするような値段のものがある。大体、定価があるのに、その値段が明記されなくて売っている場合も多い。一番困るのは自然放電であって、どこにも何にもつながっていないのに、電池というものは放電していて、そのうち、それは電池でも何でもなくなってしまう。一体それはどうゆう形で、どうゆう色で放電されているのか、それを目で見てみたい、などとも思う。枕の後ろに懐中電灯があるが、これがほんまに必要なときはまだ来ない。それをときどき使う。寒いときはふっさくる。そうすると少し明るくなったりする。はたして、この懐中電灯に入っている電池、いったいいつのものか、これも調べたみないといけなくなった。
雪が降って少し積もっている。止んでいる時間も長いが、春は遠く3月になってもたぶん寒そうで、雪もある。
フキ。どこからが「フキ」かわからないが、かなり大きくなったフキで、パンクしそうでしない。雷が鳴ると、この固い蕾も開くと思われる。
梅も変化がないが、ちょっと開きそうな気配はある。
同じ時間に撮った紅梅であるが、一輪開き始めた、左上、ようで、これは目で見ていてわかった。先にこちらの花が咲きそうで色も、かなり赤味がはっきりしている。