光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

如月の暖かさ

2008-02-10 19:06:25 | 散策
  雪の東海道というのも珍しい。雪の東京は昔は当たり前だったらしいが、それについては知らない。お昼のtfmのDJの方が、雪が降ったかどうか気にしていた。
  高尾山にはよく行ったので、ときどきそのことを書かれる方がいるから、そのページを見ているわけで、自然とその今の様子がわかる。高尾も昔は、雪もかなり降ったのであろう。奥多摩、奥武蔵などの、手前の低いところのみ歩いていた。丹沢、さらにその向こう側、雲取山などは、ただ遠くから眺めただけである。
  ある年に、高尾にも雪は降ったが、都心近くも大雪ということがあって、そのときに、早春の高尾に行った。雪は、もうなかったはずである。しかし、そこに植わっていた杉が、かなりの大木が、かなりの数が倒れていて、その姿は少し恐ろしいものであった。昔から、人の手で整備されていたからかも知れないが、高尾の杉は、水分の多い湿った雪にはまったく弱かった。
  最初は、たぶん舗装してある道を登って、それから、頂上にいった後、裏高尾に行って、また元の高尾山口に戻るコースを予定した。少し下ると、滝があってそこまで行ったか記憶はない?が、この下りの道に大きな杉の気が何本も倒れていて、歩くこともままならない感じがあって、ある人は、少なかったが、そこから先下まで降りるのを止めたような気がする。私は、背を低くしたり、やれることはやって、その通行止めの杉を通り越してきたが、それにしても、雪の重さも色々で、杉も、意外に弱点をもつものだと思った。このことについては、一度か二度、もう書いたかも知れない。
  太平洋側に、紀伊半島に、駿河灘に、関東に雪を降らす、低気圧が発生して、雪の警戒が必要というニュースを今頃見ると、どうしても、この高尾の雪の日のことを思い出す。それが、また、春の使者であるのはゆうまでもなく、ただ、当時はこれを笑ってすます余裕というものがあったが、今はちょっとした雪に往生するから、このニュースもただ、笑って見ているわけにはいかない。

  朝、午前、曇りか小雨か雪かという天気で、それから不思議なことに晴れ間が出てきた。そうゆう天気予報も出ていたようだが、これで暖かく感じることはないだろうと思ったが、どうゆうわけか、寒いのを気の毒に思ったのか、少し暖かいということが、外に出てわかった。思ったより、暖かく、この感触は何日ぶりか。
  氷付けに近い状態だったからかも知れないが、その印象はかなりいい。太陽の光が暖かく感じられる。風も弱く、しかもこの風も暖かい。やんわり暖かい。
  その後も晴れ間が出て、ポーっとした感じが続き、そのうち眠くなって来た。温度計は、14℃くらいを指している。こうゆう温度に時々はなっているが、どうも太陽の光だけでもかなりポカポカして、日向と同じである。これでは、眠くなるのも、ぼんやりするのも、ポカンとするのも当然のようである。この状態は、無論続かないだろう。こうゆう、弛緩した感じのあとに、また次の寒気がやって来る。これも、決まっていることだ。
  あー、ダラダラした一日を送った、送れたことに感謝してっと。




  雪の積もる屋根瓦。ある建物。塀。きのうの写真もそうですが、これは2月8日の様子です。道路には、ほぼ雪はありません。




  何か白く光るものがあって、それはタンポポの冠毛に降り積もった雪が溶けて、水になったもののよう。この冠毛で書を、などと考えたりもする。

  最後は、今日のもので、スイセン。



  道から少し離れたところにある。気が付かなかったのかどうか。空き地のその先にある。とことこ、歩いて、うつむいているスイセンにこんにちは。
  色は、やっぱり春のそれでした。地面との隙間が小さく、手探り。

朝の珍事

2008-02-10 07:09:56 | 散策
  朝のお天気、曇り。風は弱く、穏やか。顔を窓から外に出す。特に冷たくもない。アメダスの6時の気温、マイナス0.3度、積雪0cm。室温、3.5℃、きのうよりは、まし。
  背中が曲がっている。もともと猫背である。気にしている。少し前までは、どこかの大きなガラスなどに写る、自分の姿を見て、これはアカンね、と思った。最近は見ることが減った。たぶん、もっと曲がっていることだろう。
  このPCのモニタの前に座る姿勢も、少しへこんだようだ。重力に抗する力が足りない。気が付くので、背を伸ばす。
  朝は、からだが痛い。大体が、右か左かを向いて眠っているが、トイレなどに起きてそれから、また眠るとき、この寝入りに失敗することがある。右に、左に寝返りする、うつ伏せが有効なこともある。しかし、今日はもう起きる時間が近く、半分起きたまま、ある時間を迎える。 
  やけに静かである。いや、その後になって、そう思ったのか。
  父が、うちの布団で眠る日で夜も何事もなく、静かだった。朝まで静かで、その父が、どうにか半分は自力で起きてきた。ここから、着替えなどをやるわけだが、これが結構大変で、介護の方もさぞかし大変だろう、そのときはそう思う。何事もなさそうで、しかし違った。父の左手がやけに黄色い。左の指、その爪が特に黄色い。右手は、こちらは普通だ。あれ、もう一度左手、指を見る。さらに爪の中まで少し黄色い、いや黒い。黄疸ではなく、要するに「大」の方のものが出てしまっていて、それが手に。ここまでで、十分で、あとはどうするか。どうなったか、書くこともない。
  少し驚いたのは、手を洗うことを嫌うことである。普段は、意識しないが、そういえば、そうゆうことを特にやることはなかった。無論、お湯がちゃんと出る。台所が嫌いなわけでもなさそうで、しかし、手を伸ばすことをせず、嫌がってその力の強いこと。二人がかりで、どうにか洗う。ここは、もたもた本人の自覚を待つ時間もないから無理やりやったが、この変化は何か。あまりにも、急にやったからいけないのか。
  わからないことも多いが、知らぬうちに人は変化する。自分もそうであるが。「小」だとあまり気にもならないが、どうも父の機嫌も、よく眠っていたようだが、この後はよくないようで、さてどうゆう措置が一番だったのか、考えてもわからない。