光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

寒さと花粉とが一緒に

2008-02-24 19:02:01 | 散策
  かなり寒い、おー寒い。やっぱり寒さは新鮮で、なかなかもう慣れたという具合にはいかない。これはわかっているのだが、人の体温が36℃前後というのも困ったものだと、一瞬思う。20℃ぐらいでいいんではないか。変温動物もいることだし。彼らだってちゃんと生きていける。寒くなって、凍るような時間は眠っていればいいのだし。それで、その反対の方、暑さでゆくと、人の体温ほども気温があれば、これは、青息吐息で済みそうにない。が、これくらいの気温に慣れている方も世界にはおられる。
  どの辺りが、この辺りの、北緯35度前後の地域で住むのに適した体温か、それは何℃くらいのものか、なかなか難しい問題である。ある人は、寒いときは、暖かい方へ、暑いときは寒い方へ、これはへんかも、行かれるようだが、これまた大変である。体温が、なぜ今の値なのか、これって何で決まっているのだろうか。

  相変わらず、ぼんやりとしたことを書いているが、寒さはコタツの中でも同じだ。コタツの中の温度設定は、「強」になっている。なってはいるが、それでいても寒い。ここは、一応は建物の中である。耐寒性のなくなった自分の体は、今さら取り替えるわけにもいかない。ここは、やっぱり、寒いときはより寒い方へという、一種のおまじないのようなことをやらないといけない。ひどいときはそれほど続かないが、その吹雪はかなりなもので、地響きを伴うようにも思える。この紙と木で出来ている家も、その吹雪で揺れるのである。揺れるからいい、というのは、こんな程度の吹雪では当てはまらないものである。おっかない。
  それで、まだ少しうつむきかげんで、ポツポツとお昼過ぎの時間、歩き始めた。傘を差すことは差すが、これは空から落ちて来る雨、雪を避けるためではなく、あちこちに積もった雪が溶けて落ちる、その水を避けるために、意味があるようだ。また、地面からの、放水もかなり勢いがいいが、さすがにその方向に傘を向けるのは止めた。そこを避ければいい。ひらけたところに出てみる。雪雲は、少しおさまり、青空も見える。雪の量は少なめ。これは幸いである。この朝に雪が積もっていたら、はたして雪かきをやっただろうか。もう、勝手に降ればいいなど思って、ほったらかしにしたはず。しかしお天気も人の子で、そこのところは勘弁してくれた。だから、たまには、このお天気も誉めなくてはなどとも思う。だが、寒いのは変わらない。

  再び雪がちらつく。それから、ときに太陽も顔を出す。なぜか、私が歩いている間、一度だけ、雪と風が強くなったときがあったが、それも、ある時間たつとその寒気は通り過ぎたようで、ミニカメを出す時間もあった。雪を意識しながらのものであるが、その小さなレンズに、これは人の目と同じくらいの大きさのようだ、そんなことを今久しぶりに思い出した、雪の粒が当たるというか、降りかかる可能性は、確率は、かなり小さいようである。今までの経験で、ミニのレンズに雨なり雪が付いたことはないような気がする。回りのゴミは、小さなものはやはり入るが、これなどもあってもいいし、また出て行ったりもするのではと思う。

  それから、またグタッとした時間を過ごしていると、今度は虚しさが身にしみるが、そんなことはどうでもよかった。それよりもこれだけ低温で、しかも風もあるというのに、何とめでたくクシャミまで出た。これまでは、寒いか、あるいは暖かで、鼻ムズ、グシャであったのに、それは両方やって来た。寒いが、春は近いのかも知れないとも思うが、どうもこの先今以上には、のほほんとも出来ないような、そうゆう予感もしてきて、たぶん、「のほほん」と、緊張の間でぶらぶら揺れる、そうゆう老化の階段を下らないといけないようである。そう、漠然と思っている。




  雪の田んぼは、一部は雪が溶けている。緑が新しい時間を予期させる。それがやがて優勢になってゆく。




  きのうと同じスイセンの個体だが、ただ、花は違うと思う。昨日きょうの厳しい寒さで、この状態である。しょんぼり。




  この書き込みで、標準となる、これしかないかも知れない「紅梅」の様子。この木も、細くてしかも古木のようで、花の数は少なめ。満開になると、そのときは一面その花弁でその色に染まってしまうが。  

プラスの2℃は、暖かか。

2008-02-24 07:16:11 | 散策
  朝のお天気、雪か曇りか、吹雪。西の風に乗って、雪が壁に張り付いている。アメダスの6時の気温、マイナス0.9℃、1時に、マイナス2.5℃とあってそれから少しずつ上がっている。積雪は8cm。室温が低くて、2℃である。2℃とちょっとあるが、これを書くところが、いかにもだが、2℃。寒い。このあたりの積雪、多いところで、10cm。
  
  「しょうもないこと」は、時間とともに減衰振動して先ほどまで、眠っていたが、それにしては、寒いと思う。マイナス3℃の寒気が辺りをおおっているので、寒いのは当たり前なのだが、そのことも忘れている。ただ、一応窓の外は眺めて、ウーと低く唸るように、雪の量はさほどでもないと思う。トイレまでは、短い距離であるが、震える。頭は、雪のことと寒さで、満たされて、他のことを考えることはない。さらに、外が晴れていることも認めるが、それに対しても無反応である。
  部屋の中がマイナスの気温になることはあまりないというか、そこまで詳しく調べていないが、昔のうちでは、0℃くらいにはなった。ただ、温度計の印が0℃までしかなかった。それ以下は、以下であっても0℃という、なかなか便利なものであった。かなり正確な温度計、気圧計、湿度計あればとも思うが、そうゆうものは実際には必要ない。ここは、アメダスのデータで十分である。

  起きてみると、2℃。窓は、凍って開かないところがある。さらに他の、灯油ヒータの置いてあるところの、モニタは、1℃を示している。これは、きのうよりはましであるが、やはり着ているものは、真夏の感じで、どうも半分裸でいるような感じだ。それから、体が、空気のようであるかどうか。これは少し違った。なぜか、着ている1枚目のシャツが、それがときに冷たく、体を刺激している。幸い、水道、ボイラに異常はない。北側の窓は開いたが、開くことがわかれば、それ以上のことは不要である。

  父が帰って来るときに限って、気温が下がる。今日は、あまり濡れてなく、着替えそのものは楽であった。しかし、排泄されるものが少ないのは誉められたものではない。水分が足らないのである。本人は、まだ水を飲むことが出来るが、ただ嚥下にはかなり時間がかかる。そのタイミングがやって来ない。薬などを飲む時も、かなり苦労している。一番いいのは、むしゃむしゃ噛んで飲めるタイプの薬で、抗生剤は何かにつけて必要だから、こうゆうものが大きなカプセルや錠剤ではなく、より飲みやすいものが出て来てもおかしくない。
  こうゆうときは、そういえばイチゴのような一応は固形で、ただ水分は多い、そうゆうものを食べるのが一番問題のない、茶碗をひっくり返して大声を上げることもない、水分の摂取方である。そのイチゴは、ちゃんと冷蔵庫の中にある。これは、もう私には必要ない。さっさと、父の体の中に入っていって、少しの潤いが彼の体を元気付けてくれればいい。