かなり寒い、おー寒い。やっぱり寒さは新鮮で、なかなかもう慣れたという具合にはいかない。これはわかっているのだが、人の体温が36℃前後というのも困ったものだと、一瞬思う。20℃ぐらいでいいんではないか。変温動物もいることだし。彼らだってちゃんと生きていける。寒くなって、凍るような時間は眠っていればいいのだし。それで、その反対の方、暑さでゆくと、人の体温ほども気温があれば、これは、青息吐息で済みそうにない。が、これくらいの気温に慣れている方も世界にはおられる。
どの辺りが、この辺りの、北緯35度前後の地域で住むのに適した体温か、それは何℃くらいのものか、なかなか難しい問題である。ある人は、寒いときは、暖かい方へ、暑いときは寒い方へ、これはへんかも、行かれるようだが、これまた大変である。体温が、なぜ今の値なのか、これって何で決まっているのだろうか。
相変わらず、ぼんやりとしたことを書いているが、寒さはコタツの中でも同じだ。コタツの中の温度設定は、「強」になっている。なってはいるが、それでいても寒い。ここは、一応は建物の中である。耐寒性のなくなった自分の体は、今さら取り替えるわけにもいかない。ここは、やっぱり、寒いときはより寒い方へという、一種のおまじないのようなことをやらないといけない。ひどいときはそれほど続かないが、その吹雪はかなりなもので、地響きを伴うようにも思える。この紙と木で出来ている家も、その吹雪で揺れるのである。揺れるからいい、というのは、こんな程度の吹雪では当てはまらないものである。おっかない。
それで、まだ少しうつむきかげんで、ポツポツとお昼過ぎの時間、歩き始めた。傘を差すことは差すが、これは空から落ちて来る雨、雪を避けるためではなく、あちこちに積もった雪が溶けて落ちる、その水を避けるために、意味があるようだ。また、地面からの、放水もかなり勢いがいいが、さすがにその方向に傘を向けるのは止めた。そこを避ければいい。ひらけたところに出てみる。雪雲は、少しおさまり、青空も見える。雪の量は少なめ。これは幸いである。この朝に雪が積もっていたら、はたして雪かきをやっただろうか。もう、勝手に降ればいいなど思って、ほったらかしにしたはず。しかしお天気も人の子で、そこのところは勘弁してくれた。だから、たまには、このお天気も誉めなくてはなどとも思う。だが、寒いのは変わらない。
再び雪がちらつく。それから、ときに太陽も顔を出す。なぜか、私が歩いている間、一度だけ、雪と風が強くなったときがあったが、それも、ある時間たつとその寒気は通り過ぎたようで、ミニカメを出す時間もあった。雪を意識しながらのものであるが、その小さなレンズに、これは人の目と同じくらいの大きさのようだ、そんなことを今久しぶりに思い出した、雪の粒が当たるというか、降りかかる可能性は、確率は、かなり小さいようである。今までの経験で、ミニのレンズに雨なり雪が付いたことはないような気がする。回りのゴミは、小さなものはやはり入るが、これなどもあってもいいし、また出て行ったりもするのではと思う。
それから、またグタッとした時間を過ごしていると、今度は虚しさが身にしみるが、そんなことはどうでもよかった。それよりもこれだけ低温で、しかも風もあるというのに、何とめでたくクシャミまで出た。これまでは、寒いか、あるいは暖かで、鼻ムズ、グシャであったのに、それは両方やって来た。寒いが、春は近いのかも知れないとも思うが、どうもこの先今以上には、のほほんとも出来ないような、そうゆう予感もしてきて、たぶん、「のほほん」と、緊張の間でぶらぶら揺れる、そうゆう老化の階段を下らないといけないようである。そう、漠然と思っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/c6/e5eaf8eeb86a788ca62e955e8b90be33.jpg)
雪の田んぼは、一部は雪が溶けている。緑が新しい時間を予期させる。それがやがて優勢になってゆく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/22/5e11b19f9102412913a2e2ea19b0af00.jpg)
きのうと同じスイセンの個体だが、ただ、花は違うと思う。昨日きょうの厳しい寒さで、この状態である。しょんぼり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/f7/74bfdbe718d2538376f8b89bde0e0fc0.jpg)
この書き込みで、標準となる、これしかないかも知れない「紅梅」の様子。この木も、細くてしかも古木のようで、花の数は少なめ。満開になると、そのときは一面その花弁でその色に染まってしまうが。
どの辺りが、この辺りの、北緯35度前後の地域で住むのに適した体温か、それは何℃くらいのものか、なかなか難しい問題である。ある人は、寒いときは、暖かい方へ、暑いときは寒い方へ、これはへんかも、行かれるようだが、これまた大変である。体温が、なぜ今の値なのか、これって何で決まっているのだろうか。
相変わらず、ぼんやりとしたことを書いているが、寒さはコタツの中でも同じだ。コタツの中の温度設定は、「強」になっている。なってはいるが、それでいても寒い。ここは、一応は建物の中である。耐寒性のなくなった自分の体は、今さら取り替えるわけにもいかない。ここは、やっぱり、寒いときはより寒い方へという、一種のおまじないのようなことをやらないといけない。ひどいときはそれほど続かないが、その吹雪はかなりなもので、地響きを伴うようにも思える。この紙と木で出来ている家も、その吹雪で揺れるのである。揺れるからいい、というのは、こんな程度の吹雪では当てはまらないものである。おっかない。
それで、まだ少しうつむきかげんで、ポツポツとお昼過ぎの時間、歩き始めた。傘を差すことは差すが、これは空から落ちて来る雨、雪を避けるためではなく、あちこちに積もった雪が溶けて落ちる、その水を避けるために、意味があるようだ。また、地面からの、放水もかなり勢いがいいが、さすがにその方向に傘を向けるのは止めた。そこを避ければいい。ひらけたところに出てみる。雪雲は、少しおさまり、青空も見える。雪の量は少なめ。これは幸いである。この朝に雪が積もっていたら、はたして雪かきをやっただろうか。もう、勝手に降ればいいなど思って、ほったらかしにしたはず。しかしお天気も人の子で、そこのところは勘弁してくれた。だから、たまには、このお天気も誉めなくてはなどとも思う。だが、寒いのは変わらない。
再び雪がちらつく。それから、ときに太陽も顔を出す。なぜか、私が歩いている間、一度だけ、雪と風が強くなったときがあったが、それも、ある時間たつとその寒気は通り過ぎたようで、ミニカメを出す時間もあった。雪を意識しながらのものであるが、その小さなレンズに、これは人の目と同じくらいの大きさのようだ、そんなことを今久しぶりに思い出した、雪の粒が当たるというか、降りかかる可能性は、確率は、かなり小さいようである。今までの経験で、ミニのレンズに雨なり雪が付いたことはないような気がする。回りのゴミは、小さなものはやはり入るが、これなどもあってもいいし、また出て行ったりもするのではと思う。
それから、またグタッとした時間を過ごしていると、今度は虚しさが身にしみるが、そんなことはどうでもよかった。それよりもこれだけ低温で、しかも風もあるというのに、何とめでたくクシャミまで出た。これまでは、寒いか、あるいは暖かで、鼻ムズ、グシャであったのに、それは両方やって来た。寒いが、春は近いのかも知れないとも思うが、どうもこの先今以上には、のほほんとも出来ないような、そうゆう予感もしてきて、たぶん、「のほほん」と、緊張の間でぶらぶら揺れる、そうゆう老化の階段を下らないといけないようである。そう、漠然と思っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/c6/e5eaf8eeb86a788ca62e955e8b90be33.jpg)
雪の田んぼは、一部は雪が溶けている。緑が新しい時間を予期させる。それがやがて優勢になってゆく。
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きのうと同じスイセンの個体だが、ただ、花は違うと思う。昨日きょうの厳しい寒さで、この状態である。しょんぼり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/f7/74bfdbe718d2538376f8b89bde0e0fc0.jpg)
この書き込みで、標準となる、これしかないかも知れない「紅梅」の様子。この木も、細くてしかも古木のようで、花の数は少なめ。満開になると、そのときは一面その花弁でその色に染まってしまうが。