光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

黒くて白い、街並み

2008-02-22 19:00:58 | 散策
  木の芽時でもないけれど、ときに街に出かけるときがある。これは、何とも説明の付かないもので、大体そうゆうものを書いている。
  すでに、太陽は、山の端から出ているはずで、しかしかなり厚めの雲がかかっている。少し冷えたが、しかしこの程度なら大丈夫な気がする。
 
  端折る感じで、少し前に見かけた、それは1年前かも知れないが、そこのある路面を、少し雪を避けるように後ろに歩いて、それから歩道に出た。その先に、大きな道が続くのだが、この辺りは昔の勘で、すぐに左にそれて、迂回するように歩いてゆく。道は、公園の中で、それで人はいるかというと、少ないか、一人であって、もし相手の人が、人影を見つけたときにビクッとしないかどうか、自分の立場で考える。そんなに、妙な格好ではなく、これはいつも病院にゆくときと同じである。その辺りを歩いていて、人影が見えたということの方が私にとっては不思議でもあった。昔は、昔であるが、人は未来には行けないものである。
  したがって、昔はここはどうだったか、そうゆうことを考えつつ、少しくらい、まだ曇り空の中公園を歩いている。今日の天気予報は、かなり暖かというものだが、その時間にジョギングなどする方の姿はない。一筋違い、約100mくらいは歩いた気がするが、直線で、するとかなり古びた感じのする建物があって、これは今様ではなく、戦国のあるいは、歴史上の建物というべきものであって、それがいつごろ建ったものか、判断しかねた。そういえば、お城に関することが長く、PR誌に出ていて、城の好きな方もおられるのだな、と感心したことがある。
  駐車場は、ないといけない。逆にいうと、歩いてどこそこへという感じでは、話しが出来ないものもあって、この同じ列島に住む人でありながら、その感触にはどうしても違和感を感じる。そこの駐車場は昔からあった。それを知っているが、なぜかその辺りは、金属の塀に囲まれている。道はないようなところから、その塀の辺りから、早歩きの方が出てこられた。そうか、この方は駐車場に車を止めて歩いて来たのだ。納得する。
  
  別に懐かしくもないが、もう一つのある道に、大きな道に出る。この道は、市内軌道は走っていない。ただ、こっちにバスの道が走っていて、この先に、街の大きな駅がある。そうか、先ほどの道でも行き先は同じであった。
  少し急ぐ。寒くなってきたし、用も足したくなってくる。この通りに、3、4人の歩行者がいて、それから自転車に乗っておられる方もいた。そういえば、自転車には乗れたっけ。この先に、もっと行き慣れたところがあるのだが、そこに至る必要はない。もう少し時間と体力があれば、その先までゆける。しかし、今の段階では、そこには。

  なぜかもう一つの歴史上の建物が見えてきた。新築である。白い。これはなかなかいい風景である。しばし見とれるが、用も足したいし、他にもヤボヨウがある。これくらい、非生産的なものはない用である。そこの建物で、用を足して深呼吸する。なぜか鏡があって、そこに自分がいる。これを、まずはファイルにすべく、ボタンを押した。もう一回やった。モニタを見た。失敗。で、最後によくやる、自分で自分をというのをやった。これは、不思議と、ましな、自分にしてはましなように見える。
  それから、用を済ませて帰路につくが、駅までの先は長い。焦る必要はないが、少し体は楽なようで、しかしなぜか落ち着かない。最後には、地方鉄道の駅の中に、久しぶりに入ってみた。なぜか、昔の西武鉄道の、5000形の列車と会うことが出来た。
  帰って来て、なぜ落ち着かないか、しばらくして答えが出た。ある職員の方にこれでよろしいですか、と念を押して帰って来たのだ。が、それが、自分でもわかったのだが、少し位置がおかしい。この先に、なにが待っているか。それにしても、なぜこんなところで。以下は、白紙。


  移ろいゆく景色。



  ごく、どこにでもある川であるが、どうもこのミニカメを誉めてあげたいくらいいい感じである。白い雪がこうゆうときに映えるのである。まわりが神秘的。




  黒と白と、黒い緑の世界に、朱が混じる。なかなか近くでは見ることの出来ない光景。




  静寂という言葉がぴったりである。少し雲があるから、白の派手さが目立たず、いかにも上品ともいえる美しさがある。






  富山地方鉄道に、もと西武鉄道で走っていた、5000形の電車(レッド・アロー)が走っていることは、すでに知っているような気がしたが、この車両が予期せずに現われてびっくり。地鉄では、モハ16010形とされている。
  今日は、ちょっと時間もなかったので、これだけで。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿